ハマス・イスラエル戦争後に、望むこと

 ハマス・イスラエル戦争が終わった後の姿について、すでにイスラエル国内ではどのようにすべきかの議論が始まっているようです。

 政治的な解決をいろいろ話しているようですが、私は、自身がキリスト教徒としてはっきり言えることがあります。

どの宗教においても、過激主義を排除する

 このことを貫けば、かなりの部分、ハマスが無くなった後も、イスラエルとパレスチナの共存が保たれると思います。イスラム教はいわずもがな、ユダヤ教も他宗教を排除するような過激主義をなくさねば、必ず今のような戦争が再び起こります。

 キリスト教に対する嫌がらせは、極右ユダヤ教徒や超正統派からこの頃とみに酷くなっており、みながこれを非難しないと、必ずイスラエル社会が歪みます。

 そしてキリスト教も目が当てられないような、申し訳ない思いになることがあります。安息日にユダヤ地区で拡声器を使って、「イエスを信じてください」と言って、超正統派の子たちが反発している動画を見ました。全然、愛のない行為です。

Preaching the Gospel through a bullhorn in Jerusalem’s Jewish Quarter on Shabbat isn’t love or wisdom
https://allisrael.com/preaching-gospel-through-a-bullhorn-in-jerusalem-s-jewish-quarter-on-shabbat-isn-t-love-or-wisdom

 そして、キリスト教会の中に、親パレスチナを装った反ユダヤ主義、また相変わらずのユダヤ人陰謀論も出回っています。キリスト教会はユダヤ人の選びを否定する神学と戦わなければいけません。

けれども、もう一つ言わせてください。

どの思想においても、過激主義を排除する

 これもやっていかないといけません。ユダヤ人の世俗派に、これまでのユダヤ教の伝統を無視するだけでなく、攻撃する人たちがいます。司法改革案で内乱状態であったイスラエルでは、人々が祈っているところに左派の一部が邪魔しに入ったというニュースを見ました。無神論過激主義です。

 それから、世俗派でも、パレスチナ自治政府のようにテロリストの遺族に給付金を与えるなど、過激な民族主義も排除せねばなりません。

聖書信仰だからこそ命じられている寛容

 私自身は、聖書を丸ごと信じている、いわゆる福音派信者です。一部の人たちからは、原理主義者と揶揄されます。けれども、聖書を信じているからこそ、「さばきは神のもの」という信仰が強固にあります。そして命令されているのは、「愛しなさい」なのです。自分の手で裁くことは、聖なる神の領域に立ち入る冒涜行為であり、人を愛さないのは、神に対する不信です。だから、過激主義は聖書信仰から断罪するのです。

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