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ブリンケン国務長官にある道義的姿勢

 今回のイスラエル対ハマスの戦争において、巷でも世界でも大きく騒いでいますが、その中で欠けていると強く感じているのは、「当事者性」です。つまり、被害を受けた人々にどれだけ共感しているのか、そこには自分と全く同じ生きている人々がいる、ということです。

パレスチナ人を「愛している」人は?

 パレスチナ人の命をイスラエルが考えていない!と言っている人々のどれだけの人が、常日頃からパレスチナの人たちの人権や尊厳に寄り添って、愛してきたでしょうか?そう、パレスチナ人を「愛して」来たでしょうか?以下の標語は、極端ですが、けれども多かれ少なかれ、「自分の正義感や思想やイデオロギー」のはけ口としての「パレスチナ」ではないでしょうか?

 パレスチナ人の間でも、いろんな意見があります。正反対にもなります。例えば、ハマスに対してイスラエルが激烈に戦い、一掃すべきであると考える人々も、その過程であまりもの犠牲を一般市民が強いられていることに憤りを感じている人も、少なくとも私の知るパレスチナ人のクリスチャンにはどちらもいます。(下のモサブ・ユーセフ氏はキリスト者です)

モサブ・ハッサン・ユーセフからのメッセージです。同氏のプロフィールは下記のとおり。 ------------------- 1978年ヨルダン川西岸のラマッラでイスラム教の家庭に生まれる。父親のシェイク・ハッサン・ユーセフは、イスラエルへの...

Posted by 谷内 意咲 on Saturday, October 28, 2023

 けれども、大事なのです。当事者性なのです。彼らにとっては、それは自分の生きてきた土地であり、そこに多くの血が流されてきた傷と痛みを今もおっていて、そこから出てきている言葉です。その多様な声を傾聴しなければいけません。

「ホロコースト」を感じた、ハマスの極悪所業

 そしてもちろん、イスラエルの人たちの痛みは、ホロコースト以来のものであると察知している私自身は、強烈にイスラエル擁護に回っているわけです。

 あの惨殺は、私がホロコースト博物館に初めて訪問した時の、あの下界から来た霊どもの仕業、としか形容できない、人間の自然の理性を超えた悪を、そのまま感じました。ホロコーストの再現なのです。この感想は私だけのものではありません。イスラエル・ユダヤを専門にしたミルトス出版社の社長のXポストです。

 したがって、イスラエルと共に立たなければ、いつ立つのか?どうやって、ユダヤ人が最も苦しんでいる時に、彼らへの神の愛を示さないでいられようか?ということです。

学者の冷徹な研究姿勢

 日本においては、マスコミはもちろんのこと、学者たちの間にある、一種の冷たさには驚愕しています。しかし、冷静に考えれば、ジャーナリスト徳留絹枝さんが以下におっしゃっているとおりなのです。

学者なら、この事件を客観的に見て解説し、日本の取るべき政策を提案するなど、学術的貢献をすることに価値を見出すでしょう。彼らは、残忍なテロの被害者となった人々に人間レベルの感情移入はしていないようで、むしろしない方が彼らの活動にはいいのかもしれません。

https://twitter.com/JewsandJapan/status/1721058127968391432/photo/1

 彼らの活動には、当事者性はかえって邪魔にさえなります。議論しても、同じ土俵に立てないのだと分かりました。

政策決定者に見られる道義的責任

 では、政策決定者にとっては、どうでしょうか?私にはバイデン大統領の他に、ドイツのロベルト・ハーベック副首相が、過去の歴史の反省と道義的責任を前面に打ち出した発言をしています。

文脈化にある悪しき相対主義


 私は、ドイツ副首相の言葉に心から同意します。「パレスチナ問題は複雑である。文脈が大事だ、という声がある。しかし、文脈化が、相対化に向かってはならない。」ここなのです、絶対悪という単純明快な道義的問題は、パレスチナ問題の複雑性の中で埋もれさせるのは、道義的に許せないことなのです。

 そして、「寛容は、非寛容の寛容になってはいけない」とも強く述べています。反ユダヤ主義を糾弾している時に、「イスラム・フォビア(恐怖症)」を取り上げて(イスラムフォビア自体も取り組まなければいけないが)相殺しては決してならないと断言しています。イスラムの信仰によってであっても反ユダヤ行動をとるのであれば、ドイツ法によって厳しく対処することを明言しています。

 そして親露派の反ユダヤ主義も糾弾しています。それから政治左派の反植民地主義の主張にも強く非難しています。喧嘩両成敗(ハマスもしていることは悪いが、占領しているイスラエルも悪い)は、人々を誤らせていると断言しています。ハマスは殺人鬼でありテロ集団だと断罪しています。

 ところで上の極左の新植民地主義ですが、これが日本では、「マスコミ」や「専門家」に深く浸透している考えです。いかにこの喧嘩両成敗の意見が多いことでしょうか!

巨悪を直視せずに、周辺を叩く人々

 私が魂の奥底で拒んでいること、戦っていることは、この世にあるこうした「相殺化、文脈化という名の距離の取り方」です。悪いことをしている者は悪いと断じることを、今回のような巨悪の前で、人々は目をそらすのです。そして、周辺的なことで、これはいけない、あれはいけないと断じるのです。そして、人間にはこれだけの悪を行う能力があるということに直視していないために、その悪に対処しようとしている者を断罪することまでするのです。

 イザヤの預言に、人々の悪の中に「悪を善、善を悪とする」という言葉があります(5:20)。これが悪しき相対主義の成れです。ついでに(?)、ジョンソン元首相は、もっと端的に相対主義の悪を指摘しています。ハマスとイスラエル軍を同列に置くな!と叫んでいます。

ブリンケン氏にある高尚な道義的知恵

 そして、本題ですが、ブリンケン国務長官は、仲介者である米国の代表として、どちらにも当事者性を持って発言している次の言葉に、高尚な道義性を感じています。

イスラエルを守ることとパレスチナの市民を助けることのどちらかを選ぶ必要はない。私たちは両方を行うことができるし、そうしなければならない。

 これは、どちら側にも立たないという悪しき「中立」とは違います。どちら側にも立つという「両立」なのです。これこそが、まことの仲介です。

 例えば、誰かが被害を受けたときに、その仲介をするのはどうすればいいでしょうか?誰かがほかのだれかを殴った。そうしたら、自分は、その被害者に完全に寄り添います。そしてその被害者の心はその人に開きます。しかし、中立という名で一定の距離を置いたら、被害者が信頼できるでしょうか?ここが、「中立」という悪しき立場、無慈悲があるのです。

しっかり立つ、寄り添うことが真の仲介


 そして、被害者に寄り添うことによって、初めて、被害者が行き過ぎた行動を取らないようにお手伝いをすることができるのです。

 彼の記者会見では、ハマスに惨殺された人々についての強い共感・怒りと悲しみと同時に、イスラエル軍の空爆によって殺された、パレスチナ人の幼子のことも、悲しんでいます。両者に対する当事者性があるのです。しかし、次からが大事です。イスラエル軍のせいだとイスラエル軍を責めるのではなく、むしろ、ハマスの人間の盾のせいだと断罪するのです。一般市民への被害にも強く共感するのですが、道義の相対主義に陥っていないのです。

 そして、イスラエルに対しては、次のように説得しています。人道支援は、パレスチナ市民に憎しみの禍根を残さない役割を果たすのだ、ということです。たとえ戦争に勝っても、次のハマスが次の世代に現れます。それはイスラエルにとっても益ではありません。人道支援も共に行うことによって、はっきりと、イスラエルがハマスに敵対していて、パレスチナ市民ではないことを示すことができるのです。

 そして事実、アメリカの仲介によって、イスラエルがかなりの人道支援に従事するようになっています。このように、被害者を孤立化させないことによって、被害者が自己防衛のためとはいえ、その行動が過剰にならないように抑制する助けになるのです。しかも、イスラエルは自分たちの行動をアメリカに妨げられているとは感じない形で、これを行うことができるのです。

人の「心」を知る知恵こそ、両者の平和をもたらす


 まず、当事者性を持つこと。次に、寄り添うこと。そうすることによって、どちらからも距離を取るという悪しき中立から離れること。そして、寄り添うことによって、正しい判断ができるようにお手伝いして仲介すること。これが、私は真実の平和の架け橋、和平の知恵だと思います。

 知恵は、人間的には相反する両者に平和をもたらすことができます。そこに必要なのは、表面的な意見や主張の組み合わせではなく、当事者の心に寄り添うことです。

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