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デザインに銀の弾丸はあるのか

ビジュアルデザインをやっている人は意識的もしくは無意識に「このフォントを使うと良い感じになる」とか「このエフェクト使うとだいたいクオリティが最低レベルを超えてくれる」みたいなものを持っているのではないでしょうか。

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王道進行

「王道進行」というのをご存知でしょうか?8年前に音極道という方が王道進行についての動画を出していました。

簡単にいうと、「J-POPのヒット曲のほとんどが1つのコード進行で出来ている」という話で、それを王道進行と名付けていました。

マキタスポーツさん著の「すべてのJ-POPはパクリである」では、J-POPはカノン進行やお決まりの歌詞と作曲方法がパターン化されていると批判しています。

もちろんこれらを使ったからといって必ずヒットするわけではありませんが、それなりにヒットの確度は高くなります。これらのコード進行は「銀の弾丸」化されているととれます。

味の素はなんでも美味しくなる?

社名ではなく、調味料に「味の素」ってありますよね。別名「うま味調味料」で、なんでも美味しくなるような響きです。

味の素には賛否両論があって、「これをかけておけばだいたい美味しくなる」という人もいれば、「害がある化学調味料(※)だ」「味が画一化されてしまう」と反対する人もいます。

反対派を除けば、この魔法のような調味料に油と塩分を合わせれば、「銀の弾丸」になり得るかと思います。

※なお「第3章 「うま味」の発見|本の万華鏡 第17回 日本のだし文化とうま味の発見|国立国会図書館」にも書いてあるように、うま味は昆布のダシに多く含まれていて、甘味、酸味、塩味、苦味と並ぶ「味の種類」であってうま味自体はごく自然なものです。

量産型ファッション

いつ頃からかはわかりませんが、ネットで「量産型ファッション」と批判されるファッションが現れました。

ファッションYouTuberのげんじ氏は、黒のスキニーパンツをそれこそ銀の弾丸化して「9割の人に好かれるコーディネート方法」を提唱しています。

主にそれに類して大学生がよくしているような「無難でシンプルなコーディネート」が「量産型ファッション」と揶揄されています(げんじ氏が紹介しているせいか、ドクターマーチンやダニエルウェリントンを身につけてる時点で「はい、量産型」と過激化している気がしないでもないです)。

デザインにおける銀の弾丸

「デザインの銀の弾丸はこれです!」と決め打つのはとても難しいです。それぞれのデザインに背景や目的や制約があるからです。

「にしてもみんなこれよく使うよね?」っていうのがたまに見つかるので、(かなり独断と偏見な気がしますが)思いつくものだけ共有します。

フォント

・A1明朝
・丸明オールド
・こぶりなゴシック
・DIN(とその角を丸くしたやつ)

フォント自体の審美性が高くて、ビジュアルのクオリティをあげたいときについつい使ってしまうフォントたちです。。

これらは2000年代くらいから流行り廃りがあったようですが、なんだかんだ今でもそれなりに目にする気がします。ガチなグラフィックデザイナーは「何を今さら」という感じでしょうが。

Webデザイン

・グラデーション(uiGradientsが有名ですね)

トレンド中のドレンドですよね(むしろピークはとっくに過ぎた気が...)。こういうグラデーションは日本語とそんなに相性よくない気がするので、日本語のサイトでは使わない方がいいのかなあとか思っています。

その他にも流行しているものはありますが、みんな真似してやってるけどクオリティを担保するものってあまりないのかなという認識です。

前に、ウェブサイトがなんでも同じように見えてしまう話が「@yhassyの週刊UX : 海外で話題になったUX最新情報 その2 | アドビUX道場 #UXDojo 」で紹介されていましたね。

このジョークサイトは、笑える反面、耳が痛くなるのではないでしょうか...

リファレンスの時代

2017年4月のideaで次世代デザイナーの座談会みたいな特集が組まれていたのですが、そこでみなさんが言ってることが「そうだなあ」と思ったので抜粋します。

だいたいみんなが同じサイトを見てるからリファレンス先が似てしまうこと。もうひとつは, 誰がつくってるのかわからない最新画像をいっぱい見すぎてて, なんとなく「今っぽいもの」をつくることはうまくできても属人的じゃない, 根っこがなくて薄っぺらい, 代替可能なデザインになってしまうことだと思うんです。
いまってリファレンス前提で, 作品の制作方法がリファレンス×リファレンスのマッシュアップでみんなと似ないように自分のものをつくる, ってなりがちだと思うんですよ。僕もそういうふうにつくったものが実際にあるのでなんとも言えないんですけど, ずっと続けるのはジリ貧でいつか回らなくなるだろうという危機感はもっています。

音楽にしろデザインにしろファッションにしろ、WebやSNSで参考資料を享受しすぎてしまって、頭の中にそのパターンが染み付いてしまうようになってしまっていると思います。

銀の弾丸の弾数は限られている

先に紹介したマキタスポーツさんの本で「カノン進行はドーピングである、その曲で売れたとしても一発屋で終わることが多い」と述べています。

みんなが銀の弾丸に気づけば、音極道さん(王道進行の動画の人)が言うように「コンテンツの形骸化」も進みます。先に紹介したAdobeの記事の中で@yhassyさんは以下のようにコメントしています。

ユニークな見た目のWeb サイトが少なくなってきていることを危惧している人もいれば、そうと思わない人もいます。UXデザインという観点から言うならば、見た目がユニークかどうかではなく、ビジネス又はユーザーの課題を解決しているかどうかが重要でしょう。

これはめちゃくちゃ同意です。めちゃくちゃ同意ですが、

ほとんどのビジュアルデザインでは最低限の審美性要件がある
→審美性レベルが高いフォントがある
→そのフォントを使おう

のような考えをするデザイナーが増えすぎてしまって世の中がA1明朝や丸明オールドで溢れかえっても、「ビジネス又はユーザーの課題を解決」しているから是としていいのだろうか...と疑問に思いました。

本来、優秀なデザイナーであれば、それぞれの案件で要件を俯瞰して適切なレイアウト・余白・フォント・色などを全体のバランスを見ながら決定することができます。

ただ、今まで見てきた中で、やはり「銀の弾丸に頼りきっているな...」と感じてしまうデザイナーがたまにいて、なんだかなあと思ってしまいます(それしか使わないということは、仕事の幅をせばめているという見方もできますが...)。

そのデザインは必然か

最後に、「正しいデザイン」かどうかを判断する基準として、自分の中では「必然性があるか」が大事だと思っています。「だからこそデザイン」といいますか。

またしてもマキタスポーツさんの言葉ですが、コード進行・歌詞・楽曲構成と売れる法則を守れば売れるわけではなくて、そこには「オリジナリティ」が必要だと述べています。

「こういう経験をしてこういう人生を歩んだからこその、この歌詞だ」という風にストンとおちるポイントを見つけることが重要であると。

以前見たheyのロゴの制作過程の記事とか、まさに必然だなあと感じて舌を巻きました。ロゴ制作とかは偶然の中に必然を見つける作業だと思っています。

ファッションでも料理でも、その人ならでは、その料理ならではのやり方があるはずで、それが一番よく見えて、美味しくなって、一番しっくりくるのではないかなあと思います。

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こんなこと書いてますが、銀の弾丸に一番頼っているのは自分です。自分を戒めるために書きましたが、何か心当たりがある人の心をチクチクさせられたらいいなと思っています。

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