「文章も見た目が9割」なので、最後は夏目漱石の『こころ』を無双してみる

人生投稿サイトSTORYS.JP編集長の清瀬です。
読まれるためにまずは中身より見た目が重要ということを、前回に引き続きお伝えします。良いことを言っていても「分かりにくければ」内容を理解されずにスルーされて終わりです。長時間の推敲も水の泡です。

前回の記事では「内容の宣言」と「見出し」が重要だとお伝えしました。

この記事では

1.   いい見出しの付け方
2. 「画像」や「(吹き出し付)会話文」の力

をお伝えします。2については、夏目漱石の『こころ』を文章を一切改変せずに魔改造して検証します。

ページビュー数、いいね数は約2倍
見出しの効果はデータで見ても明らか

おさらいですが見出しの効果を示したデータです。STORYS.JPに投稿いただいている物語中、ランダムにピックアップした1246記事について、見出しのある/なしが記事の実績にどのような差をもたらすのか調べてみました。

× 見出しなしの文章
平均PV数: 4,853 PV
平均いいね数: 7いいね / 記事
1PVあたりの平均いいね率: 0.14 %

◯ 見出しありの文章
平均PV数: 9,280 PV ↑91%UP
平均いいね数: 18いいね / 記事 ↑157%UP
1PVあたりの平均いいね率: 0.19 % ↑35%UP

上記を見るとわかるようにPV数が約2倍、いいね数が約2.5倍上昇しています。データ上でも見出しのある方がよく読まれ、かつ読了後の反応も良いことが見て取れます

じゃあ、どういう見出しをつければいいんでしょうか。

見出しは”見出す”ためにある

「見出し」が決まらん... 文章を書く人は一度は悩んだことがあると思います。

そもそも見出しの目的は何でしょう? 辞書を引いてみると、

1. 新聞・雑誌などの記事の内容が一目でわかるようにつけた標題。ヘッドライン。 
(以下略)
━大辞林 第三版より

とあります。

見出しとは、何ついて書かれているかを分かりやすくするためのものです。

その記事が「何について書かれているか、わかりやすく」なれば、一旦良い見出しです。

良い見出しと悪い見出し。
夏目漱石の『こころ』に見出しを付けることで、その違いを感じてみましょう。

*主人公がある人物の呼称について説明する部分です。主人公が普段からその人のことを先生と呼んでいて、自分にとっては自然なことであると。だから、文章内でも「先生」と呼びますよ、と伝える部分です。

悪い見出しの付け方 (←これも悪い見出し)

その人の呼び方
私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。

今回付けた見出しは、「その人の呼び方」

これだとぼんやりしていて何も伝わってこないですよね?
見出しは太字で書かれ、文字サイズも大きく目に飛び込んでくる見た目になっています。そこに「その人の呼び方」と書かれていても一切得られる情報がありません。文章を読む時、人は読解のためにエネルギーを使っています。ガソリンのようなものです。このような見出しは、読者の目を引かせておきながら何も情報を与えてくれないので、その読者のガソリンをただ消耗させるだけです。見出しをただのラベルにするのは避けましょう。これ結構やっちゃいがちなので注意が必要です。

いい見出しは、それだけで話の筋が追える

次に良い例です。

その人を、私はいつも「先生」と呼ぶ
私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。

こうすれば見出しだけで「あ、なるほど、先生と呼んでるのか。」と理解できます。こんな感じで、見出しだけ読めば話の筋を追えるようにします。

*注意*
興味をそそって読みたくさせる見出しも有効ですが、興味を引くのはなかなか難しいです。使い方を誤ると逆効果にもなるので、一旦は「読者に寄り添う分かりやすい見出し」を心がけるのが◯です。

「画像」と「会話文」で夏目漱石の『こころ』を無双してみる


さて、ここまで「見出し」について触れましたが、ここからは画像や会話文です。

画像や会話文があるだけで、グッと文章の世界に入っていきやすくなります。(特にwebの場合は)読者のために付けた方がよいです。
夏目漱石の『こころ』の画像と会話文を挿入してみて、その変化を見比べてみましょう。

まず何も付けないサラの文です。(ざっと読み流すくらいでOKです)

ーーーーーーー

    私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。その時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書を受け取ったので、私は多少の金を工面して、出掛ける事にした。私は金の工面に二、三日を費やした。ところが私が鎌倉に着いて三日と経たないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親たちに勧まない結婚を強いられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心の当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固より帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。

ーーーーーーー

次に、画像と会話文を挿入してみます。

ーーーーーーー

 私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。その時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達から

画像3

という端書を受け取ったので、私は多少の金を工面して、出掛ける事にした。私は金の工面に二、三日を費やした。

画像4


ところが私が鎌倉に着いて三日と経たないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から

画像2

という電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親たちに勧まない結婚を強いられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心の当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せて

画像1

と相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固より帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。

ーーーーーーーー

いかがでしょう? 会話文は半ば無理やりに詰めましたが、ざっと読み流しても「なんか面白そう」と感じられ、話に登場する人物の存在感やシーンのリアリティーもグッとUPしたのではないでしょうか? 会話文を投稿できるサイトはなかなかありませんが、画像はぜひやってみてください。
(STORYS.JPなら会話機能使えますよ。完全に宣伝。←すみません、現在お休み中ですTT  近いうちに復活させます。)

という訳で、以上読まれるために重要なことについてお伝えしました。
読まれるために重要なのは「何について書かれてあるか、わかりやすいこと」です。

重要なのは、テクニック論ではなく読者への思いやり

最後になりますが、この記事を通じてお伝えしたいのは表面的なテクニック論ではありません。「内容スッカスカでも見た目よくしとけば読まれるぜ!!ヒャッフゥ!!」という事ではありません。

読者に伝わることが文章の使命であり、そのために短時間でできる事があるからまずやってみよう、という事です。特に今はWebの時代です。noteなどの文章執筆のツールがあって、見出しや画像挿入も出来るようになっています。なのにそれを一切使わずただつらつらと自分の頭の中の事だけを書き連ねる。それでは読まれません。

もちろん、意図的に見出しや画像を入れない場合もあります。でも意図がないのなら、ぜひリーダーフレンドリーになるためのツールをまず使ってみましょう。その配慮がないと、せっかく力を入れて書きこんだ本文も読まれないことになってしまいます。

読者への親切心を持ち続ける。自分ではない人の心に常に関心を払い、適切な文字を手渡す。それはなかなか難しいことですし、私も全然修行中なのですが、その配慮の継続がいい記事に繋がります。

長くなりましたが、本記事は以上になります。貴重なお時間を使って読んでいただきありがとうございました。これからもSTORYS.JPの運営を通じて私たちが気付けたことを、なるべくデータや根拠をもとにお伝えしていきます。自分の人生を語る人にも、そうでない人にとっても、社会へ”物語る”力の向上に貢献できればと願っています。

*STORYS.JPとは
2013年に始まった人生の体験談投稿サイト。投稿者は10代から80代まで、職業も学生/主婦/声優/ホスト/起業家/映画監督/大学教授など多岐にわたる。投稿された作品は書籍化もされ、そのうち「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」は、2015年初夏『ビリギャル』として映画化された。例年開催される吉本興業株式会社とのコラボレーション事業で「カタリエ」(原作開発プロジェクトの一環)は、全国から人生の物語を募集し、書籍化・映像化を目指す。


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