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【あくまで一般論です】飲み物で差別するのは無知、無教養な差別主義者


コーヒーは紅茶を上手くいれらない野蛮人が悔し紛れに飲む泥水だとか、コーヒー飲む国は知性と品性に劣り文明国ではないとかいう人は無知で無教養な差別主義者です。
特に、欧州人よりも先にコーヒーを飲む文化を育んだアラブ人に対する差別、侮蔑です。

そもそも欧州文化圏ではコーヒーや茶などの熱い飲み物を飲む習慣がありませんでした。
コーヒーが欧州で飲まれ始めたのはオスマン・トルコがオーストリアまで攻め込んできたっものの、撤退した後に多量にコーヒーが残されたので、それを飲み始めたのが始まりだと言われています。コーヒーは元来アラブでは僧侶の眠気覚ましに飲まれていましたが、イスラムの教えに反するのではないかと問題になったこともあります。

>ヨーロッパにコーヒーが本格的に普及することになったのはロンドンのトルコ人貿易商ダニエル・エドワードが、トルコから連れ帰ったパスカ・ロゼにコーヒーをいれさせ、お客にも振る舞っていたところ大評判となり、1652年にコーヒー店をオープンしたのがきっかけになりました。異国の飲物であるコーヒーの珍しさと独特の風味にひかれて大変な賑わいを見せました。
これが近代的な喫茶店の誕生と言われています。しかもこれが、わずか10年で2000軒のコーヒー店をロンドン市中に林立させるという、熱いブームの発火点ともなったのです。ただし、この頃のコーヒーは依然として煮出して飲むターキッシュ・コーヒータイプでした。

>フランスはコーヒーの近代化に重要な貢献をしました。ドリップ式の考案です。しかも、この方式を考え出したのは、驚くべきことにひとりの名もないブリキ職人だったのです。ポットの中にたらした布袋にコーヒーの粉を入れ、熱湯を注いで浸透させる器具の発明によって、煮出すコーヒーから漉(こ)すという、近代コーヒーの基盤が編み出されたのです。それは1763年、まさにコーヒーの一大革命でした。
https://www.keycoffee.co.jp/story/culture/history/

当初コーヒーハウスは庶民のものではなく、上流やアッパーミドルの社交場でした。ここでシラフで議論が戦わされて自然科学や、社会学が発達したとも言えます。
ロンドンのコーヒーハウスでは科学や学問などの特定の分野の特化したものがでてきました。
海上保険のロイズ社ももとは港に近いコーヒーハウスでした。ここでコーヒーを飲みながら出向する船が戻ってくるかのなどの賭けが行われたり、壁に海運関係の情報が貼られたりしました。この賭けが海運保険、ひいては保険のもととなったわけです。ですからロイズの社員は保険会社になってもウェイターと呼ばれました。ぼくがロイズ本社を見学したときに聞いた話です。

欧州に茶が入ってきたのは17世紀です。それはコーヒーの後から入ってきました。
当初は日本や中国から茶碗で飲んでいました。ですが熱いものを飲み慣れていなくて、
受け皿に垂らして冷やして飲むようになりました。今の受け皿はその名残です。またカップに取っ手もつくようにりました。

紅茶が英国で多く飲まれるようになったのは、産業政策のためです。コーヒーが輸入品だったのに対して、紅茶はインドなど大英帝国内で生産されるようになったからです。帝国の産業振興のためにも国内の紅茶愛飲が進められたわけです。単に好き嫌いの話ではありません。

こうして大衆化した紅茶は労働者の飲料にもなりました。ミルクと砂糖を大量にいれた紅茶は空き腹を抑えて、カフェインで目が覚めるので工場労働者の生産性をあげるのに役立ちました。ビールを飲んでいてはそうはなりません。
更に申せば、砂糖のカリブ海などの大英帝国内で奴隷を使ったプランテーションで大量に生産されました。ですからこれまた国内で大量に消費されることが推奨されたわけです。その砂糖生産の副産物がラム酒です。


>ヨーロッパにお茶がもたらされたのは17世紀。海上貿易で世界に雄飛していたオランダによって、中国から伝えられました。それが18世紀のイギリス貴族社会で次第に人気を高めていったのです。
>当時のお茶は緑茶でした。それが紅茶となった経緯については定説はありませんが、中国のウーロン茶系のお茶がヨーロッパ人の人気を呼び、製造業者が買い手の嗜好に合わせてその発酵を進めているうちに、強く発酵した紅茶が誕生したといわれています。

>初めてお茶を商品として飲ませたのは、イギリスの貴族や文化人たちの社交場となっていたコーヒーハウスで、17世紀の中頃のことでした。このコーヒーハウスが次第に大衆化して一般人にも門戸を開くようになり、やがて紅茶はそこから各家庭にも入り込んで、食料品店でも売られるようになって市場は拡大していきました。


>イギリスで最初にお茶が売られた1657年当時、それはまだ“万病に効く東洋の秘薬”としてでした。ところが、1662年にチャールズ2世のもとに嫁いできたポルトガルの王女キャサリンが、中国の茶と当時は貴重であった砂糖を大量に持参し、宮廷に喫茶の習慣をもたらしました。貴重なお茶に貴重な砂糖を入れて毎日飲むという贅沢な習慣は、ポルトガルからきたキャサリンのイギリスに対する示威行為だったかもしれませんが、この贅沢な習慣は次第にイギリスの貴族社会に広まりました。17世紀後半から19世紀初頭までの1世紀余、イギリス東インド会社はお茶の輸入を独占(独占廃止は1813年)し、その取引の利益が大英帝国繁栄の基礎を築いたとさえいわれています。
https://www.tea-a.gr.jp/knowledge/tea_history/
当然ながら英領だった米国内でも紅茶が愛飲されました。アメリカでコーヒーを飲むようになったのは政治的、政策的な理由からです。
ボストン茶会事件もあったように、独立まで英領でしたから、紅茶を飲むことは英国由来の文化ですし、国益にもかなっていたわけです。ところが独立後は、そのような大英帝国の利益になるような紅茶を飲むことはむしろ、問題だったわけです。ですから第三国や国内で生産されるコーヒーを飲むようになったわけです。

このような背景を知っていれば、紅茶を飲むのが民度が高い国家で、コーヒーを飲むのが野蛮な国家などといった馬鹿げた主張はしません。

仮にそのようなことを「事情通」から聞いても無批判にSNSなどで拡散などしないでしよう。更に申せば例えばデパートの紅茶売り場の人間がそのようなことを言った場合、その発言がマネージャークラスの耳に入ったら懲戒対象となるでしょう。デパートにはコーヒー売り場もコーヒーショップもあります。格式高いデパートであれば、店員がそのようなことを仮に思っていたとしても、迂闊に客には開陳しません。
それは白人店員が、アラブ人や東洋人を差別するような発言と全く同じです。下手をすると解雇されるでしょう。少なくともぼくはロンドンやパリのデパートでそのような話を聞いたことがありません。

更に申せば、今は英国でもコーヒーショップが無数に存在しています。ぼくが初めてロンドンにいった40年近く前は、ロンドンのハイストリートでもコーヒーを飲めるところは少なく、特にエスプレッソを飲めるところはごく限られていました。
ところが20年以上前からコーヒーブームで多くのコーヒーショップが出店しています。テールームより圧倒的に多くなっています。紅茶は高尚でコーヒー飲むのは野蛮だといったら精神を疑われるでしょう。

このように紅茶を飲むのが文明人で、コーヒーを飲むのは野蛮人といった差別発言はコーヒーや紅茶の伝播した歴史や近代西欧史をかじっていればそれがデマの類と分かります。

それがわからないのは無知、無教養な差別主義者ということです。こういう輩は本邦はもちろん、西欧その他の外国でも尊敬されません。よほど育ちが悪いのでしょう。

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