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失われたときを求めて 


お元気ですか。

で、始まる手紙が好きではない。


だいたいそうやって誰かに手紙を送ろうとする人間自体元気とは程遠く、まずは自分の心配をしたらどうだという話なのだ。

しかも相手は、否が応でも元気だと答えざるを得ない。そして「あなたもお元気なら良いのですが」などとご丁寧に付け加えなくてはならない。

人は誰しも元気な時があればそうじゃない時があって、しかし元気じゃないからと言って他人に心配されなくともそのうち気が付いたら元気になっているようなものなのだ。

私たちは悲しいことに、存外強くできている。

しかしあえて言わせてもらおう。


お元気ですか。



君に手紙を書いたことに、これといった理由はない。むしろ、書くべきではない理由の方がたくさんあったはずだ。

それなのにこうして筆を取ったのは、もちろん、私が今元気とは程遠い状態にあるからだろう。しかしその理由は割愛しよう。君には関係のないことだからね。

「過去を振り返って生きる人間を滑稽だと思いますか。」

それは初めて私たちが出会った日、君が私に問うた言葉だ。

その時私はなんと答えたのか、もう忘れてしまったが、君を満足させる返答が出来なかったことは確かだ。

君と時間を共にしていて辛かったのは、君と心を通わせられなかったからではない。どんなに対話を重ねても君の本心の一片すら感じることができなかったからでもない。

君の体の半分が、常に過去のある時間の中に置き去りになっていることに気が付いたからだ。

君はいつもそこにいたが、実際はいつだってそこにはいなかった。


今なら少しはましなことが言えると思うんだ。

過去を振り返って生きる人間は滑稽ではない。しかし、悲しすぎる。


人は過去を忘れる。
忘れていないと思っていても、本当は忘れている。忘れたことにすら気が付いていない。
そういう風にできているらしい。

それは、悲しすぎるからだ。

過去のことをすべて覚えていながら、絶え間なく現在が過去に変わっていくことを自覚しながら生きることは、あまりにも…。

君には忘れられない過去が多すぎたんだ。いや、正確には一つしかなかったが、その一つの過去の分量が多すぎた。

働けば札束を掴むことができる。
努力をすればメダルを掴むことができる。

しかし時間だけは、どうしたって掴むことができない。
それは掴もうとすればするほど君を弄ぶようにするするとすり抜けていくんだ。

君は失われたときに翻弄されていたんだ。
悲しすぎるよ。あまりにもね。


時々思うんだ。

君と過ごしたあの一瞬を、スノードームの中に閉じ込められたらどれだけ良いだろう、と。

どうにも生きる気力を感じなくなったり、訳もなく涙がこぼれたりした日は、そっと棚の奥からそのスノードームを取り出して、眺めるんだ。

ただ、眺めるだけさ。

そんなことができたら、私は




そう。最後にね、最後に会った日
君と映画を見た。

小さな映画館のレイトショー。お世辞にもロングランヒットとは言えないフランス映画の最終日だった。

それはそれは退屈な映画だったよ。
主人公の男と相手役の年上の女の恋愛物語ではあるものの、本筋とずれたシーンばかり映すんだ。たとえばこう、年上の女が朝方、主人公のために作ったオムレットにケチャップをかけるシーンをちまちまと長時間映すんだ。何かの暗喩のように振る舞ってはいるものの、それはまったくのお門違いというわけだ。まいったね。

だけど私は、あの最低で下劣なB級映画のエンドロールが永遠に流れなければ良いと思ったんだ。

もっとも、そんな事態が起こったらせっかちな君は痺れを切らして途中で退席しただろうけど、論点はそこじゃなくて、一瞬を感じるのは決まってそういうときだっていうこと。

分かるかな。
分からないよな。
分からなくていいんだ。

でも、君なら分かってくれるって信じてるよ。

私たちはあんな風に別れてしまったけど、でも私は、君がいて嬉しかった。

あのさ

なにも君を元気づけたくて言うんじゃないっていうのは信じてほしいんだけど、あのさ、私は

君と時間を過ごして
いや
違うな

人間が愛する人と出会い、かけがえのない時間を過ごし、そして別れるというこの世界にあまりにもありふれたその事象自体が人間に教えてくれるのは

最高の時間は長くは続かないなんてことなんかじゃなくて、最高の時間ってのは少なくとも存在するっていうことなんじゃないかと思うんだ。

これは友の受け売りだけど、良い考え方だろう。何が良いかって、ほら、ちっとも悲しくない。

そんな風に思えれば、これから人との出会いも怖くなくなるし、人との別れも淋しくなくなると思うんだ。


君に今度、スノードームを贈るよ。
中にはパグ犬がいて、おどけた顔で君を見ている。
パグは失われた時間を悲しんじゃいないし、かといって未来に希望を抱いているわけでもない。
可愛いだろう。

パグ犬の名前は君が自由につけてくれていいけど、間違えてもアレクサンダーとかマイルズとかそういったとんちんかんなのはやめてくれよな。

それでは、


うん、そうだね。 





それでは、またいつか。元気で。



親愛なるオールドスポートより


これは、べらぼうに長い小説がどうにも読めない人に向けた某小説の要約だと思って、もらったら困るけど、でも君の好きにしたら良い。




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