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【ソシガヤ格闘記・第5週①】ゆっくり、じっくりurbanismの源流を巡る。

こんにちは。初めまして。
慶應義塾大学メディアデザイン研究科修士2年、
休学中の吉田凌太(よしだりょうた)といいます。

時間が空くと、文章を書くスピードも遅くなりますね。
全てが高速化・効率化されるなか、ゆっくり、じっくり考える。遅延、じっくり考える、といったことに寛容な環境が少ない世の中。僕にとっては良い風向きです。活動全体でもじっくりコトコトと煮ながら進める中で、時に油を注ぎたくなる時もあり。街自体は日進月歩で変化していくものなのに、火を強くしすぎて火傷してしまう。ゆったり感も大切にしたいものです。

人間の脳には、自動的で速い処理のシステム1と、意識的で遅い処理のシステム2という、2つのモードがあるという二重過程理論という仮説があります。とは、人間が情報処理(認知)をおこなうさい、大きくわけて2つの異なるプロセス(過程・システム)があるという認知科学的処理論を意味します。また両者は「システム1(無意識的)」・「システム2(意識的)」と呼ばれており、2つは「互いに独立しながら、同時に稼働している」と考えられています。

さて、活動で大切にしたいことの一つに、「歩行/身体性」があります。何度も文にしてきました。ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、という言葉に象徴されるよう、何ひとつ同じものはない。その中に反復可能性を見出していくのが自然科学の究極的な目的である反面、事実として全く同じ現象が起こることは希少です。到底予想できない現象が存するのが自然であります。そしてそれを頭で理解しようとすること自体、無謀だと感じます。古典力学のようにベクトル方向に力が働き、わかりやすい形で平衡が生まれる、といった現象は希望を見出すでしょう。ただ量子力学では、人の感覚で捉えるのは無謀です。そもそも思考自体、記憶容量はざっくりしていますし、人の普段の感覚はかなり曲解されてます。

歩くこと、自然に触れ合うこと、体を動かすことを失ったら、人間は生きていけるのでしょうか。生きてはいけるでしょうが、きっと見ている世界がぎゅっと狭くなるでしょう。東京大学名誉教授の養老さんも自然と触れ合うことの大切さをおっしゃってます。自然に対して、柔らかい頭で向き合うことが必要だと繰り返しています。

当の僕も昨年度家の近くで畑で夏野菜を育てていました。夏の日差しが当たる中、土で汚れた衣服を纏い、ひたすら土を耕してました。畑にいた元東京農業大学教授の伊藤先生は、植物の巧妙な生存戦略や歴史的由来をたくさん教えてくださりました。地球に触れることの大切さ、太陽にあたり自然と対話することに喜びを感じられました。

蛇足はここまで。とにかく自然と触れ合うには、頭で考える以上に、身をもって体験する機会をどう作るか、しいては歩いて外の空気を感じることが不可欠だと感じます。

今回はタクティカルアーバニズム(Tactical Urbanism)という考え方を引用して、街全体の移動性を上げるために取られた施策をアウトプットします。この考え方は公開会議でも冒頭に情報共有する予定です。僕も第一人者ではないですが、今後のまちづくりに一定の希望と視座を共有します。

メッセージはとてもシンプルで、簡単です。最初から大きくやるな、小さく検証を重ねながら徐々に輪を広げていけ、というのが考え方の骨子です。

Tactical urbanism, also commonly referred to as guerrilla urbanism, pop-up urbanism, city repair, D.I.Y. urbanism,[1] planning-by-doing, urban acupuncture, and urban prototyping,[2] is a low-cost, temporary change to the built environment, usually in cities, intended to improve local neighbourhoods and city gathering places.[3]

Tactical urbanism is often citizen-led but can also be initiated by government entities. Community-led temporary installations are often intended to pressure government agencies into installing a more permanent or expensive version of the improvement.[4]

wikipediaより引用

ゲリラアーバニズムと称されるこの手法では、市民主導で、いかに安価に高速にプロトタイピングできるかといった点に主眼が置かれます。行政や都市計画によるトップダウンで街を変える手法と並行して、小さくボトムアップで街を変えていく考え方です。特段目新しい手法ではなく、単に現象に名前がついたのがTactical Urbanismになります。

中島先生の言葉を引用するのであれば以下の通りです。
アーバニズムという語が初めて明確な定義のもと使われたのは、アメリカのシカゴ学派都市社会学者を代表するルイス・ワース(1897-1952)による1938年の論文「都市における生活様式(Urbanism as a Way of Life)」においてと言われてます。急速に都市化していくシカゴにおいて、かつてあった共同体が解体して個人化が進むことへの問題意識が前提に置かれいます。その後、社会学では、たとえばクロード・S・フィッシャー(1948-)が下位文化論の側面からアーバニズムをとらえ、社会の解体ではなく、新たな連帯の登場に着目するなど、都市をさまざまな視角から分析を加えてきています。一方現代のアーバニズムの文脈では、理想的な都市のあり方や理想を目指す運動を含めた、つまり価値判断を前面に出した規範概念の性格を帯びています。そのため社会学で生まれた事実概念としてのアーバニズムと、都市計画で使われる規範概念としてのアーバニズムは使われ方が異なるらしいです。

ちょっと導入が長くなりすぎたので、実際に事例紹介は明日に回します。

そして、祖師谷でも来週土曜日に移動をテーマに会議を行います。
課題をじっくり話し合うというより、楽観的に歩くこと移動することを話し合います。課題を話し合うと、課題の方向性がある程度予測できてしまうためです。実験的にYoutubeライブで配信するので、ふらっと参加できる人は誰でも参加をお待ちいております!


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