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【ソシガヤ格闘記・第11朝】車に塗れた世界で歩行の持つ意味ってなんだろうか?

こんにちは。初めまして。
慶應義塾大学メディアデザイン研究科修士2年、
休学中の吉田凌太(よしだりょうた)です。

先日以下の記事を見つけた。The Motorist Wonと称し、警鐘を込めて、車に塗れた世界をmidjourneyにてビジュアライズ。

自家用車のために道路が拡張され、ランドマークが駐車場と化したこのシリーズ。作者であるカイル・ブランシェシは、公共交通機関よりも自動車や自家用車の利用が増加し、一貫していること、そして、自転車レーンや歩道などの緑地に対して、政府がバックアップすることで何ができるのかというイギリスの政治情勢に耳を傾けている。

当たり前だが、自動車が生活にもたらす影響は必ずしも悲観的な側面だけでもない。自動運転が実現することにより、人間による意図的な管理が軽減し、事故は減るかもしれない。以前どこかの動画で見たが、永続的な渋滞は振り子のように一部での停滞が後続車に影響を与え、発生する。素人意見ではあるが、運転経路が事前に予測されていれば、渋滞を発生させる要因を減らすことができる、と思っている。ただしこれらは、外部的な要因、飛び出しや天候による不良といった要因を排除しており、確実になくなるとは言い難い。また住空間の一部を、車内部分と接合し、モジュール型にすることで、電力を共有する電源として車を活用するケース、車内搭載されたミリ波レーダーを活用して車内置き去り検知や、外部の電灯の異常検知を行う研究とかも出てきている。必ずしも未来は一つではないので、車自体にも色々な意味やメディアとしての機能が付随されてきている。

こういったテーマは自分にとっては門外漢なのでここまでとして。

カイル・ブランシェシの主張するように、歩行者に優しいまちの意味は再考の余地がある。少し前になるが、各地域における徒歩での暮らしやすさを数値化するサイト「Walk Score」を利用し、さまざまな地域に関して、どの程度小売店やオフィスが集中しているかを検証し、「歩行者に優しい」都市ほどGDPが高いと証明する研究もあった。実際に、より安全で気軽に歩行できる街では、大気汚染の影響や交通事故が少ないほか、肥満人口が少なく子どもたちが遊ぶ時間は長いとされている。さらに、人々が街を歩き回るためローカルビジネスの経営状況が好調であること、格差の小ささも報告されている。

これらは調査による相関に過ぎない。なので今週は歩くことに優しい街を調査した上で、自分にとっての歩くことの意味を言語化してみようと思う。

ちなみに自分は毎日30分程度歩く時間をとっている。
写真家・赤瀬川原平の影響を受けており、街中の超芸術トマソンを見つけるのがとても好きなのだ。意味もなく存在し、こちらに意識を迫ってくるトマソンがなんとも悲壮な表情を帯びている。それを歩く中で偶然見つけ、喜びを感じるのがたまらない。だからこそ、歩くことは自分にとって身近であり、自分を構成する要素となっているといっても過言ではない。

『歩くこと、または飼いならされずに詩的な人生を生きる術』と言う本を買ったが、積読リストに入ったままなのも今思い出した。当時は心の琴線を震わすことがなかった言葉も、今はまた変わっているかもしれない。読んでみよう。

祖師谷商店街は非常に歩きづらい。車も通るし、自転車も高速で通過するし、自転車も傍に置かれている。ベンチもない。一度も止まることなく商店街の入り口からゴールまで歩き続けないといけない。
移動、これ自体が一つの未来になるのかもしれない。そう思い、今週はそれのリサーチとアクションをしてみよう。

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