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【ソシガヤ格闘記・第8朝】死と向き合ったからこそ今がある。

こんにちは。初めまして。
慶應義塾大学メディアデザイン研究科修士2年、
休学中の吉田凌太(よしだりょうた)です。

今日は少し重い話になってしまうかもしれないですが、
自分が今祖師谷で取り組みを始めた経緯の一つになっている
出来事について共有します。

ソシガヤ格闘記初朝で述べた通り、僕は今ニートです。元々そんなことを気にせず自由に動くタイプではありませんでした。むしろエリートコースを目指して、誰よりも優秀に、かつ成績を高く維持し、お金持ちになるんだ、ということを中心に添えて生活していたように思えます。

僕が大学3年の時、コロナウイルスによる大騒動に直面しました。その時期、ちょうど就職活動が被っていたこともあり、周りの人間関係も疎遠になり、どこか人間を使う・使われるといった構図で見てしまうことも度々ありました。

そんな中で周りの人間関係や自分自身の整理を再度行うため、
就職活動が一度落ち着いた段階で、移住することを決めました。移住先として海外に行きたかった気持ちが強いのですが、コロナ禍ということもあり、一番日本らしくない(距離的に遠い)雰囲気を持っている沖縄県国頭村に飛び込むことにしました。

自分の親友のお母さんが沖縄名護出身だとはいえ、当時何も伝も目的も作らず飛び込んだため、正直何をするかとか一切考えてませんでした。ただこの決断があったからこそ今があると思ってます。

少し話が戻りますが、就職活動している中で、僕はお世話になっていた2個上の先輩を失いました。彼はとあるイベントで出会ってから、いつも僕の相談に乗ってくれた人で、自分にとってはお兄さんみたいな人でした。そんな彼は生まれた時から肺機能が強くなく、コロナ禍によるストレスと肺炎により急逝してしまいました。

「何かできなかったのかな」という自分への呵責はいまだに残っています。
後に、業種柄、社会的孤立になってしまい、それが溜まったことで鬱になっていたということを聞いて、衝撃を受けました。

同時に、死という存在と初めて直面した機会でもあったように思えます。
ずっと死について考えてました。「死にたい」という発想になることはなかったですが、「生きてることとはなんだろうか」とかはずっと思想を巡らせていました。

さらにそれを加速する出来事がありました。何人かの友達に誘われて、たまたま占いに行った時に、「あなたは30歳手前で不幸なことがある」と別の占い師の方から同じような言葉を3度言われました。

これが真実かはわからないですし、自分も占いなんて余興に過ぎないと思ってました。ただ別の占い師が口を揃えて同じことを言われてしまったことで、少しその気になってしまったのは事実です。

「自分の人生は30歳手前まで」という言葉は今でも心に響いてます。ただ悪い意味ではなく、いい意味として。30歳という短い人生だからこそ、今日も明日も楽しく過ごしたい、いつの日かそういう思考に変わっていったのかなと。この言葉が本当に成就するのか、しないのか、は僕にも誰にもわからないけど、30歳までといった限られた人生をデザインできるのは僕だけ。

だからこそ精一杯今を生きていこうと思います。
祖師谷での取り組みもまた。


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