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にしもとめぐみ詩集『女は秘密を歩き始めてしまう』

 本詩集は、扉に、リルケの詩の一節を置き、27篇の短い詩から成る。そのいずれもが恋の詩だ。シャンソンのようであったり、和歌が出てきたりする。古代、日本人の性は、現代のそれよりもずっと開放的であった。日本の古典と、恋愛大国フランスとの組み合わせは、意外と相性が良いと感じた。
 タイトル『女は秘密を歩き始めてしまう』は、収録の詩『モデラート・カンタービレ』の第一連、そのままである。マルグリット・デュラスの同名の小説を、ソネットに書き換えたものだと思った。

女は
秘密を
一日を
歩き始めてしまう

影さして 時移り
あどけない花が香る
心もからだも あなたに
抱きしめられている

陽をあびて
葉が狂る狂ると
舞い堕ちる

風景が一日を溶かし
死の口づけが
毒盃を呷らせても     (全文)

 シャンソンの歌詞のようで心地よい。第三連、「くるる」が「狂る」と表記されることで、水彩画のように明るい落葉の風景は、澱んだ油彩になる。これこそ表意文字の強みだ。もしも、この詩を、フランス語に翻訳しようものなら、説明的になりかねない。
 『半過去な時間』の「あなたの髪が額に/かかるので/それをかきあげたい/距離にいる」という表現も佳い。ここを読むだけで、二人の関係の密度を知ることができる。タイトルに「半過去」とあるように、昨日今日始まった恋ではないと、さりげなく教えてくれる。

 本詩集で一番好きな詩は、『あの日』。身勝手な読み方で、にしもとさんに申し訳ないのですが、記しておきます。ごめんなさい。

あなたは
黙って空を
見上げていた
……白鳥はかなしからずや

わたしも
黙って空を
見上げた
……空の青 海のあをにも

空はどこまでも
青く広がり
……染まずただよふ

やはり
緑も色濃く枝をひろげていて
風は吹きわたっていたのです  (全文)

 
 若山牧水の短歌「白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」が、途切れ途切れに引用されている。実は、この一首を音読するくらいの短い時間のできごとを描いた詩なのかもしれない。たまゆらの「時」を、途方もなく感じる状況というものはある。例えば、愛する人との別れを決める瞬間。この詩で、空を、「あなた」は「見上げていた」のに対し、「わたし」は「あなた」の行為に促され、空を「見上げた」。かねてから決めていた別れを、「あなた」から告げられた「わたし」の底無しの悲しみの色が、空の青、海のあをだ。最終連、生命を漲らせる新緑と、漂うしかない「わたし」の魂が対照的で、泣きたいくらいに美しい。

にしもとめぐみ詩集『女は秘密を歩き始めてしまう』砂子屋書房 2024年1月22日

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