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水嶋きょうこ詩集    『グラス・ランド』

歓喜とは出て行くこと
内陸の魂が大海へと、
家々を過ぎ─岬を過ぎ─
永遠の中へと深く─
 エミリ・ディキンソン   

 と、巻頭に置かれる本詩集は、エミリ・ディキンソンに宛てた恋文なのかもしれない。そして、「エミリ・ディキンソン」は、少女時代の作者の分身かもしれないと思う。ディキンソンについて、多くを知らない私が、『グラス・ランド』を理解しえたか、不安だ。
 本詩集で最も好きな作品は、『早朝』。

わたしの耳をとって からっぽの
がらすのこっぷにいれた
耳は「耳」になった

きーんと つめたく
きりがかかり
もりの音がつらなってきこえる
かわのあぶく
おれるえだ
ゆれる つりばし
じめん まう
むすうのたまご むすうのはね

ひりひりと つちがはしっていく
「耳」のあなから 水がわき
こっぷのそこにたまりだした

文字もあふれだし
耳たぶをつたい
すいめんへ うかんでいく

うるおったこっぷを てーぶるのうえで
すこしかたむける
文字がうごき ちくちくと
がらすに はんしゃする ひかり
「耳」は 水そこで
まるく かたまり
とうめいな しんじゅとなって

まどからはいるこもれびのなか
あさやけのせかいを
いちめんに のみこんだ
       (全文)

 耳は、わたしという肉体から分断され「耳」そのものになることで、今まで聞き逃し、聞こえていたはずの音を聴く。忘れかけていた心象風景も蘇る。ここで私は、ジャン・コクトーの詩(堀口大学訳『月下の一群』より)を思い出した。

私の耳は貝の殻
海の響を懐かしむ

 たしかに、耳の形はどこか、巻貝の殻に似ている。美しい螺旋。冷徹な手ざわり。「耳」の穴から湧く水とは、海のことか。なぜなら「耳」は、水底で、真珠になるのだから。(真珠は私の最も好きな宝石で、お守りとして、常に身に着けている)それは同時に、「文字」でもある。コップの中の海こそ「詩」であると思った。

水嶋きょうこ詩集『グラス・ランド』思潮社 2023年5月31日発行

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