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#019 ウケようとし過ぎるとウケない

久々の投稿です!完全に毎日投稿ストップしましたが、気にせずマイペースでやらせていただきやす!

おかげさまで、かなりお仕事が忙しくなってきまして、特に今年から積極的にやっていこうと思っている、セッション系のお仕事が、増えてまいりました。予想外の流れなんですが、こういうもんなんだなぁと。

きっかけは何なのかなぁ?と考えてみると。

1,自分の氣が満ちている、準備が整い、必要なものが揃ってきている
2,意識がその方に向き出して、強くなってきている
3,全体の流れとタイミングが合わさり、そろいだす

こういう条件が揃ってくると、また必要なことが起きて、目の前の現象が変化してくるんだろうなぁ~と、それが新しいお客様という形で、自然と現れてくる。春になって、自然と草花の芽が芽吹いてくるかのように。

東京まで、心理学の研修に行って、その帰り久々にブログを開けると、気づいたことがありまして。

いいねがついてる記事と、ついてない記事をふと見比べてみたら、あーやっぱりそうなんだなぁと思うことがありました。

なんか、ウケてやろう、すごいこと書いてやろうというのが出てる記事ほど、いいねがついてない(笑)

仕事や、プライベートでも全く同じなんですが、ウケてやろう、スゴイと思わしてやろうとかは、意図的であり、作為的であり、支配的であり、不自然に見えるんですよね。とても違和感を感じる。

まさしく執着とエゴが丸出し状態なので、気持ち悪く見えるんでしょうね。

とりあえず実験的に書いたりしているので、色々な感覚を試していて、こんな書き方したらどうなるだろう?こんなテーマで書いたらどうなるだろう?

そんな感覚で、今はやってるんですが

ウケようとし過ぎるとウケないね~

芸人さんとか、アーティストとか、クリエイターも、きっとおんなじ感覚なんだろうか?

かと言って、ウケなくてもいいんだ~って開き直っても、いいものはできないし、なんか足りないんですよね。

スパイスの足りないカレー?
ダシの薄いちゃんこ鍋みたいな?

ほんとに、料理なんかと一緒で
濃すぎてもダメだし、薄すぎてもだめ、また人によって好みもある

こだわりは大切なんだけど
どこかのタイミングでそのこだわりは邪魔になることがある
調和を目的とした時だ

そのこだわりを手放した瞬間、ちょうどよいものになる
ちょうどよい、ええ塩梅とは、調和しているということだ

過去と今が合わさる瞬間
調和した絶妙なものが生み出される

物理学と現象論が合わさる瞬間
調和した絶妙なものが生み出される
(今日の研修で、物理学と現象論の話が出たので比喩として)

陰と陽
善と悪
男と女
大人と子ども
火と水
過去と未来
幸と不幸
光と闇
有と無
人工と自然
我と無我

今という「空」間で、統合し調和させる
調和させることで、この2元を超越する

そのことの大切さが、わかってくれば
もっと自然な自分を再現して、心地よく生きていけるのだろうなぁ~と
そのための「在り方・あり様」を伝えていくんだなぁと
再認識した次第です。

全てから学べる
noteのいいね数からでさえも学べる(笑)

今日もあなたに
最高の氣づきが訪れますように♪



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