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日曜日の夕方、薄暗い病院の冷えた通路にひとりでいた。(1)

 右足の甲が浮腫んで力が入らない。踏み込むたびに足裏がじーんという鈍い音をあげていた。右手で通路の端に伸びる長い棒を握っているが、少し進んですぐに止まってしまう。はぁはぁと荒い息の音ばかりが聞こえ、たまに口を窄めてふうっと、強張る身体を緩めるように強く息を吐いていた。
暗いな。天井を仰ぎ見たがでんきがつくわけもない。
それに誰もいない、ひとのつくる騒めきが今は恋しい。

 六階の病室まではエレベーターを使っても長い道のりだ。左手に持つ着替えのボストンバックも少しずつ重くなっている。本を十冊も持ってくるんじゃなかったともう後悔している。いちど置いて持ち直した。歩いても足音さえ残せない今の私は、病院の通路を徘徊する黒い亡霊のようだ。

 土曜日からの一時退院が終わり、また明日から抗癌剤の点滴投与が始まる。慣れたとはいえ点綴の始まりは毎回憂鬱になる。
服で隠した点滴針の痣を想い出していた。それでも「これもあと二回」と回数を口に出すと、慣れた病室の入り口に辿り着いた。引き戸の開いた病室から消毒液の匂いが漂う。名札に自分の名前を見つけると、なぜか安心して、そして落ち込む。割り当てられたベッドに隠れるように向かった。同居人はみな息をひそめ私の様子を伺っている。一時退院できた者への羨望が病室に低く充満している、私がいつもそうだったように。
治療のない土日は、世間からも病院からも捨てられた気になる。ベッドに横たわり薄暗い天井を見つめるだけの一日はとても長かった。
カーテンの隙間からテレビの音だけが小さく漏れていた。

着替えを済ませると同時に、病棟の看護師が飛び込んできた。
「真島さん、お帰りなさい」
「体調はどう。お変わりないですか」
看護師は矢継ぎ早に挨拶を済ませると、体温計を差し出し酸素飽和度を測るパルスオキシメーターを私の左手の中指に挟んだ。もう慣れたもので見ただけで私も左手を出していた。ただいま、と答えるのも恥ずかしい。もっとも入院してから病室が自分の部屋のようだからしかたない。それでも毎回「こんにちは」と小さく返していた。
小柄な小山さんのはにかむ笑顔に少し時間が止まった。それでも日曜日の看護師は、人数が少ないせいか忙しく事務的になっている。
「はい、大丈夫ですね」
吹っ切るようにそう言って、自分の勤務が夕方五時で終わることだけ伝え、足早に病室を出ていった。日曜日の沈む病棟から一刻も早く解放されたい顔をしていた。ぱたぱたと足音だけが軽快に廊下に響いている。

 入院して三か月になる。もう三クール目の抗癌剤治療だ。テーブルに置かれた今週の献立表を手にしたが、食欲はもう既にない。毎食、運ばれた病院食を前に、何が食べれるかと考え込んでいる。何から食べようかというワクワクはなく、結局半分も食べれない。それでも入院患者にとって、食事は重要な行事だ。行事とは大袈裟だが、無いと一日の時間のメリハリが付かなくなる。食べれなくても必要不可欠な時間だ。
去年見た映画「三度目の殺人」の中で、犯人役の役所広司が、拘置所で好物のピーナッツバターを大量にパンに付けて頬張っていた。黙々とがぶりつく姿は、本能を曝け出した獣の姿だった。こんな修羅場でも食欲は落ちないのか。まるでひ弱な食欲脳でなく、強欲な内臓と筋肉が獲物を欲しているようだった。
そんな強さが欲しい。でも今は、ピーナッツバターを付けたパンなんて食べれる訳がない。明日の朝食が気になったが、献立表の中身を確かめる前に眠くなってしまった。

 癌が見つかったのは、昨年九月のことだ。お盆過ぎから体調の異変が見られた。最初は首の痛みから始まった。寝る前に冷やしたり湿布薬を張っても、夜中に激痛で何度も目が覚めた。痛みが一週間以上続いた頃には、只の疲れではないことは容易に想像できた。そして次は腰の痛みだ。これも只の腰痛には思えない激痛だった。車の運転も出来ない程だから、ことは深刻だった。
近くのかかりつけ医に行っても、はっきりした診断は出ない。紹介状を貰い市民病院で精密検査、結果は癌だった。セミノーマという縦隔腫瘍らしい。

 三十代と思われる若い医師は何の躊躇もなく病名を告げた。待合室のソファーに座ってその時のワンシーンを何回も想像していた。実は、と告知されて顔面蒼白になってうな垂れている私、いや私は運がいいから癌じゃないだろうと弱く打ち消す私、同じ想像を繰り返していた。
でもドラマのワンシーンのようにはいかない。音響効果も無く、ただ「そうですか」と静かに受け入れていた。

医師から病状を聞き入る私を、誰かが診療室の上から見ていた。診察室に私が二人いる。冷静を装い前を凝視する男と、その人を心配そうに見つめる誰かだ。傍らに立つ看護師も宙を見ていた。

「気分が悪くなったらベッドに横になってもいいですよ」
そう言って、医師は淡々と病状の説明を続けている。でも実感は沸いてこない。ひとしきり病状の説明が終わると、最後のセカンドオピニオンの話に入った。案内が義務になっているのだろうか、躊躇うこともなく早口で進めた。こちらの思考回路のスピードと合っていない。早々に判断する材料がないまま、不信感がセカンドオピニオンを選択していた。

今、セカンドオピニオンで選択した「〇〇がんセンター」で治療を受けている。がんという言葉がついた病院は、聞けば誰でも口数が少なくなる。だから友人に病院名を言うと、その部位の付いた癌の種類を聞いてくるまで一定の沈黙が生まれる。しかし、セミノーマという癌は名前に馴染みが無く、もっぱら私が病気の詳細説明までも受け付けていた。そんな病状説明は、ある種の冷静さを保つのに役立った。

(つづく)


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