鈴木鉄也 / 気づきのマーケティング講座

講演・セミナー講師 顧客体験コミュニティ主催。「軽やかに暮らすためのコラム」や「役に立…

鈴木鉄也 / 気づきのマーケティング講座

講演・セミナー講師 顧客体験コミュニティ主催。「軽やかに暮らすためのコラム」や「役に立たない思い出や風景」を綴っています。著書「顧客体験コミュニティで気づいてなりたい自分になる」kindleunlimited

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    モンシロチョウ

    ブログやコラムに書いた記事を、少しまとめてみようと思っていました。仕事に関することや自己啓発に繋がることなど、今まで思いつくままに気軽に書いてきました。その中でも、どのカテゴリーにも入らないものがある。今回はそんな内容の文章をひとつにしてみました。コラムというほど堅苦しいテーマも無いことから、エッセイと呼ぶことにしました。タイトルは、「モンシロチョウ」25編の中の一編です。例えば、こんなことを書いています。(1 モンシロチョウ より)… ヒトから見れば、成虫として舞う時期がモンシロチョウの絶頂期だ。その可愛さに憧れ、短さに儚さを想う。でも蝶たちはそうではないかもしれない。脱皮を繰り返し成長するアオムシの時代が生涯の黄金時代かもしれない。人間でも成長を遂げた時、「あのひとは脱皮したね」と称賛される。四回も脱皮を繰り返すなら、それはとてもエネルギッシュな時代だ。白くエレガントなモンシロチョウになることばかりを目指していた。でも、脱皮を繰り返すだけのエネルギッシュな人生もいいものだ。何故なら、ひらひらと舞うチョウになった時間はヒトもそんなに長くない。悠長に、華麗に舞いを演じているが、実はチョウも必死の形相かもしれない。なにしろ短い成虫期に子孫を残さなければいけない。モンシロチョウを観察すると二匹から数匹が固まって飛んでることがある。それは一匹のメスを複数のオスが追いかけてる姿らしい。必死だ。何だかヒトと変わらない……。その他、こんな目次があります。1 モンシロチョウ2 美談にならない話3 人生の余白を感じてみよう4 断捨離5 誰も置き去りにしない6 あなたにはあなたの時間が流れている7 言葉を吐く8 映画「閉鎖病棟」を見て9 無理しても食べること10 心配とはわがままな趣味のようなもの11 ナンバー2の憂鬱12 ネガティブな情報ばかりが心を占める13 複雑な感情に揺れて14 自分に甘く15 いつだって私はあなたの味方です16 書いて繊細な自分の心を発見する17 生きる理由はわからないけれど、生きたいと思う理由はわかる18 結局、男は大きな話でまとめたがる19 損はしたくない、得をしたい20 新聞スクラップ21 またひとつ、電話番号を消さなくちゃいけない22 世の中に緩衝材がなくなる23 モノは散らかっているが、生き方は散らかっていない24 美しいラブストーリー25 会いたくて会いたくて仕方ありません書いたことは私の感想、意見、体験談です。文章の余白を埋めるのは読者の皆さんです。考えるヒントにご利用ください。
    ¥500
    気づきのマーケティング講座
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    軽やかに暮らすためのコラム販売します

    自分を楽しませる他人を尊重するこの世の不思議を味わう色々言ってもこの三つで自分の人生は出来ていると思う。他人と比べて自分を追い詰めてもなるようにしかならない。だから苦しくなったら、美味しいものを食べてる姿を想像して自分から笑顔をつくる。その笑顔は誰に向けたものでもなく、自分を楽しませるものだ。自分より優れていようが劣っていようが、目の前の人の話を聴いてみる。尊敬(リスペクト)ではなく尊重することが大切だ。合わない人がいれば適度の距離を置いて相手の縄張りを無理に侵さない。世の中の三割の人は私と合わないと分かっている。人との出会いも仕事への情熱も不思議だ。勝手に誰かと居たいと思い、頼まれもしないのにやりたいことを探して頑張ろうとする。この世に生まれたからには何かしなければ、と信じ込んでいる。でも不思議は不思議として楽しむ。あの世(スピリチュアル世界)に助けを求めずこの世を楽しむ。こんなことを考えていたら、所ジョージさんの言葉を思い出した。「軽やかに暮らす」 いい言葉だ。生きる目的も必要。でも、今は生きたい理由があるだけで幸せだ。軽やかに暮らすとは、何も感じない、考えないことではない。泣いて恨んで失望して笑って、それでも軽やかに歩くということだと思う。そんな25編のコラムです。1 軽やかに暮らす2 怒りは自己を正当化し、正義になりすまそうとする3 他人の不幸を餌にしてはいけない4 SNSで毒を吐く人5 背中合わせの人間関係6 自分の居場所は自分でつくる7 見えないものと見ようとしないもの8 自分の視界の狭さに気づく9 お金は、「どうでもいいこと」の排除に使う10 人生はミルフィーユのようなもの11 辛い時こそ自分の長所を忘れるな12 生きたいと思う気持ち13 嫌いな人との付き合い方14 相手の夢にイライラする?15 自分が自分であることにこだわり過ぎない16 正誤の判断を好き嫌いに変えてみる17 いきなり「感謝」は難しいものです18 なんとなく好き・・・19 心のほこりを掃除する20 違いが差に思える時がある21 価値観は手相のようなもの22 ものごとは心で見なくてはよく見えない23 誰も「普通の輪」の中に生きていない24 帆の向きは心の持ち方25 自分は弱いとあきらめるコラム冊子は、PDFファイルでのご送付になります。
    ¥525
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    ブログやコラムに書いた記事を、少しまとめてみようと思っていました。仕事に関することや自己啓発に繋がることなど、今まで思いつくままに気軽に書いてきました。その中でも、どのカテゴリーにも入らないものがある。今回はそんな内容の文章をひとつにしてみました。コラムというほど堅苦しいテーマも無いことから、エッセイと呼ぶことにしました。タイトルは、「モンシロチョウ」25編の中の一編です。例えば、こんなことを書いています。(1 モンシロチョウ より)… ヒトから見れば、成虫として舞う時期がモンシロチョウの絶頂期だ。その可愛さに憧れ、短さに儚さを想う。でも蝶たちはそうではないかもしれない。脱皮を繰り返し成長するアオムシの時代が生涯の黄金時代かもしれない。人間でも成長を遂げた時、「あのひとは脱皮したね」と称賛される。四回も脱皮を繰り返すなら、それはとてもエネルギッシュな時代だ。白くエレガントなモンシロチョウになることばかりを目指していた。でも、脱皮を繰り返すだけのエネルギッシュな人生もいいものだ。何故なら、ひらひらと舞うチョウになった時間はヒトもそんなに長くない。悠長に、華麗に舞いを演じているが、実はチョウも必死の形相かもしれない。なにしろ短い成虫期に子孫を残さなければいけない。モンシロチョウを観察すると二匹から数匹が固まって飛んでることがある。それは一匹のメスを複数のオスが追いかけてる姿らしい。必死だ。何だかヒトと変わらない……。その他、こんな目次があります。1 モンシロチョウ2 美談にならない話3 人生の余白を感じてみよう4 断捨離5 誰も置き去りにしない6 あなたにはあなたの時間が流れている7 言葉を吐く8 映画「閉鎖病棟」を見て9 無理しても食べること10 心配とはわがままな趣味のようなもの11 ナンバー2の憂鬱12 ネガティブな情報ばかりが心を占める13 複雑な感情に揺れて14 自分に甘く15 いつだって私はあなたの味方です16 書いて繊細な自分の心を発見する17 生きる理由はわからないけれど、生きたいと思う理由はわかる18 結局、男は大きな話でまとめたがる19 損はしたくない、得をしたい20 新聞スクラップ21 またひとつ、電話番号を消さなくちゃいけない22 世の中に緩衝材がなくなる23 モノは散らかっているが、生き方は散らかっていない24 美しいラブストーリー25 会いたくて会いたくて仕方ありません書いたことは私の感想、意見、体験談です。文章の余白を埋めるのは読者の皆さんです。考えるヒントにご利用ください。
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    自分を楽しませる他人を尊重するこの世の不思議を味わう色々言ってもこの三つで自分の人生は出来ていると思う。他人と比べて自分を追い詰めてもなるようにしかならない。だから苦しくなったら、美味しいものを食べてる姿を想像して自分から笑顔をつくる。その笑顔は誰に向けたものでもなく、自分を楽しませるものだ。自分より優れていようが劣っていようが、目の前の人の話を聴いてみる。尊敬(リスペクト)ではなく尊重することが大切だ。合わない人がいれば適度の距離を置いて相手の縄張りを無理に侵さない。世の中の三割の人は私と合わないと分かっている。人との出会いも仕事への情熱も不思議だ。勝手に誰かと居たいと思い、頼まれもしないのにやりたいことを探して頑張ろうとする。この世に生まれたからには何かしなければ、と信じ込んでいる。でも不思議は不思議として楽しむ。あの世(スピリチュアル世界)に助けを求めずこの世を楽しむ。こんなことを考えていたら、所ジョージさんの言葉を思い出した。「軽やかに暮らす」 いい言葉だ。生きる目的も必要。でも、今は生きたい理由があるだけで幸せだ。軽やかに暮らすとは、何も感じない、考えないことではない。泣いて恨んで失望して笑って、それでも軽やかに歩くということだと思う。そんな25編のコラムです。1 軽やかに暮らす2 怒りは自己を正当化し、正義になりすまそうとする3 他人の不幸を餌にしてはいけない4 SNSで毒を吐く人5 背中合わせの人間関係6 自分の居場所は自分でつくる7 見えないものと見ようとしないもの8 自分の視界の狭さに気づく9 お金は、「どうでもいいこと」の排除に使う10 人生はミルフィーユのようなもの11 辛い時こそ自分の長所を忘れるな12 生きたいと思う気持ち13 嫌いな人との付き合い方14 相手の夢にイライラする?15 自分が自分であることにこだわり過ぎない16 正誤の判断を好き嫌いに変えてみる17 いきなり「感謝」は難しいものです18 なんとなく好き・・・19 心のほこりを掃除する20 違いが差に思える時がある21 価値観は手相のようなもの22 ものごとは心で見なくてはよく見えない23 誰も「普通の輪」の中に生きていない24 帆の向きは心の持ち方25 自分は弱いとあきらめるコラム冊子は、PDFファイルでのご送付になります。
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    軽やかに暮らすためのコラム 2

    軽やかに暮らすためのコラムの追補版(25選)です。・自分はどんな人生を選択するか・見渡せば街にはいっぱい素敵なことがある・心と思い、美しく生きるために・誰もが自分のモノサシを使って考えます・自分の短所も「強み」になることがあります・好きなこと、やりたいことをする・今見える世界は自分の作り出した世界・新しい世界を創っていく・何もしない心地いい時間・上を向いて歩こう・突き刺さる刺激に注意しよう・目の前の人の幸せを作ることで自分も豊かになる・好きがたくさん集まって私らしくなっていく・ふぞろいを補う・100回やって出来るようになったことは・「何でも一番になる」をやめたとき、仕事はもっと楽しくなる・自分のものがたりを書き始める・生きたいと思う気持ちは、パズルのピースに似ている・本当に大切なものを思い出すときがきた・私は一本の竹のように生きている・モノは散らかっているが、生き方は散らかっていない・バランスの悪い人間でいい・自分で自分の心を攻撃しない・小さな幸せをたくさん持つ・心豊かな人になれ気が付けば、こんなことが続いている。 「人の嫌な部分を探してる」「人の欠点を探してる」「人の悪い部分を探してる」 こんな自分になったことはないだろうか?私はある。 「あの時もそうだった」「あの問題も・・・」と、政治や社会への悪口が止まらない。そうすると、どんどん気分が悪くなる。自分とは関係ない人のことでネガティブな気持ちになっていく。 何とバカバカしい!「人の悪口を言う」、「人が失敗すればいい」と思うことは、自分に呪いをかけているのと同じと聞いたことがある。悪口の主語を脳は理解できない。だから悪口を言えば、脳は自分に向けられたものと思う。 そして、怒れば怒るほど自分を正しいと思い込むようになる。自分の正義がすべてだと思うようになる。でも正義には制限がある。「決して人を傷つけてはいけない」怒りが自分を正当化するのは、自分の心のクセかもしれない。だから同じことを何回も繰り返していた。 怒りは心に盛る毒だった。毒はやがて身体を蝕む。冷静な判断もできない。何ひとついいことは無かった。 改めて見れば、自分が見ている世界は自分が作り出した世界だった。だから、怒りを持って見ればすべては怒りの世界になる。 それでも、素敵なことをたくさん発見できた。だから今日はこんなことを目指したい。「誰かの日常にちょっとしたしあわせを」。それも与えるのではなく「添える」 嫌なこともたくさんあった。嫌なことに目を向けて批判することは否定しない。でも素敵なこともあった。だからもっと素敵なことに目を向けたい。 嫌なことはこの先も無くならない。でも素敵なことも決して無くならない。だったら、素敵なことがちょっと多くなる世界を探していきたい。 人の一生も同じだと思う。 悲しい時はシクシクと泣く、4×9=36嬉しい時はハッハッと笑う 8×8=64合わせて人の一生は100になるシクシクと泣く日が多いときもあるでもどんなに号泣しても・・・5×9=45人生の半分は超えない だから、上を向いて歩こうそして、素敵なことを探しに行こう素敵な人を応援しよう これが私の目標だ。(「上を向いて歩こう」より)コラム冊子は、PDFファイルでのご送付になります。
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研修やコンサルティングで使うテキストや資料をオンライン商品として販売しています。また、メール相談や電話相談も行っています。まずはDMでお尋ねください。 ブログ記事を元に講演・セミナーを開催します。 お気軽にお問い合わせください。 デジタルブック メール相談 電話相談 講演・セミナー・研修 生きる目的を探すことも必要。でも、今は生きたい理由があるだけで幸せだ。そんな軽やかに暮らすために集めたコラムを講演にしました。

    • そんな世界が美しい

      映画「PERFECT DAYS」を観た。 役所広司が規則的な箒のはき音で目覚め、薄い布団をたたみ仕事着に着替える。無表情で歯を磨き丁寧に髭を揃え、入り口近くに置いてある棚上の鍵と小銭をポケットに詰め込む。ペンキの禿げた古いアパートの横にある自販機で、毎日同じ缶コーヒーを買う。そして仕事用の道具を詰め込んだ車で日が昇る前に出かける。選んだカセットテープを押し込む「カチャッ」という音が懐かしい。英語の曲が流れ始める・・・・・・・。 若い人と私のような年寄りで評価が分かれるよう

      • たくさんのことを素通りしてきた

        こんな人参の収穫を期待していた。でも畑に蒔いた種から今も芽は出ていない。 9月から始めた市民農園で、大根と人参の栽培を始めた。その後、キャベツ、ブロッコリー、玉ねぎの苗も植えた。今ではイチゴの苗も新しい畝に十株ほどある。毎週その成長を楽しみに畑に通っている。 ところが人参だけは発芽しなかった。何故だろうとYouTubeで調べたり他人の畑をそっと覗き見した。市民農園ならではの楽しみだ。楽しいが人参の失敗は明らかのようだ。農家でも人参の種まきは失敗するという、だからそんな

        • くつ底についた泥

          私には世の中という器の底に沈む泥をすくうことはできない。でも自分のくつ底についた泥は洗い流すことはできる。心についたどろも心のみぞに石が挟まっていれば、丁寧にとり除きブラシでみがく。 畑でついたゴム長底の泥はなかなかとれない。だから少し水に漬けて、みぞにこびりついた土を柔らかくする。ブラシでみぞから土を掻きだし、やわらかな布で水気をそっと拭う。 毎回毎回おなじことをする。「またすぐによごれるのに」とひとは笑う。 笑われてもいい。バカにされてもいい。 くつ底についた泥をと

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          89本
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          46本
        • 気づきのマーケティング講座
          19本
        • 顧客体験コミュニティ
          7本
        • ストーリー いつだってあなたの味方です
          5本

        記事

          「〇〇問題」という言葉に隠されたもの

          「利益や効率だけで物事の、そして人間の価値を測ろうとする社会が、『老い』を『老人問題』というように『問題』にしてしまっている。 ネットでこんな一文を見つけた。 若い人に比べ利益を上げず医療費などお金ばかりかかり、身体も弱り効率的に活動できない老いた人は問題となる。「老い」はそれだけで問題で、「老人問題」という「〇〇問題」と呼ばれている。 でもここでちょっと考えたい。 その前提に何があるのか? 利益や効率が絶対、という思い込みがあるのでは? 「利益や効率だけで物事

          「〇〇問題」という言葉に隠されたもの

          明るい人

          その人の周りには多くの友達が集まり賑やかになる。 いつもニコニコ笑っていて楽しそうだ。 誰からも好かれている。 「明るい人」といわれるとこんなイメージが想像できる。 「あの人のようになりたいな」とか「明るいひとはいいな」と内心思いながら、いつも横目で見ている。明るさを正面で受け取ることができない。造り笑いをしながら、苦笑いを心の中に隠している。比べているのはいつも自分だった。 無理する必要はない。 稲盛和夫氏は「明るい人間」についてこんなことを言っている。

          誰も間違いを認めない

          自分の頭が悪いのか? ・・・と近ごろ悩んでイラついて、腹の中にいつまでも不消化な気持ち悪さが残る。こんなときは心の内を書き出してスッキリさせた方がいい。 ジャニーズ問題で、「テレビにも責任がある」と追及されればアナウンサーは、「厳しい意見がありました」「我々も反省しなればいけません」と誰もが同じコメントを繰り返す。今もって用意された原稿を読んでいる。 上の空の「反省」という言葉はいらない。 言うなら「反省しなければいけない」ではなく、「今、大変反省しています」だ。 とて

          「勝ち」ではなく「価値」にこだわる

          勝ちにこだわるときは相手を見ている。 自分の価値を高めることはひとりで出来る。 相手は次々と現れる。いや現れるのではなく、自分で生み出している。 仮想敵を生み出しているようなものだ。 でも別の生き方もある。 誰かに勝つことにこだわらず、自分の価値を高めることにこだわり続ける生き方だ。 勝ち続けることはトーナメント図の上を常に目指すこと。 価値を目指すことは、ひとりで螺旋階段を上がり続けるようなものだ。 迷いながらパズルのピースをひとつひとつ埋めて世界を広げるこ

          「勝ち」ではなく「価値」にこだわる

          「相手のしあわせを願う」を止めていっしょに喜ぶ

          「軽やかに暮らす」の中で「三つのしあわせ」を提唱しています。 三つのしあわせとは ・自分のしあわせ ・相手のしあわせ ・仕合わせ(めぐり合わせ) きょうは「相手のしわせ」についてです。 悩む人間関係の話です。 「相手のしあわせ」を願う。 これはとても大切なこと、もちろんです。 自分の子どものしあわせを願わない親はいません。 でも私は願わない、と決めました。 「願う」ではなく、相手がちょっとでもしあわせに近づいたとき、いっしょに「喜び」ます。 「相手のしあわせを

          「相手のしあわせを願う」を止めていっしょに喜ぶ

          「許し」と「赦し」

          「ゆるす」という言葉は、漢字では「許」と「赦」の二つがあてられる。前者は許可する意で、後者は本来許可できない悪いことをした相手をせめないことだ。 水に流す、忘れるということではない。私を傷つけたあなたを人間として受け入れるから、あなたも同じ人間として私の痛みを知って二度と痛みを経験する人が出ない未来を一緒に作ってくれ、という相手への突き付けにも似た、最後の祈りなのです 新聞紙面でこんな文章を見つけた。 「許す」は許可する意味 「赦す」は相手をせめないこと 「赦す」は相

          黒い糸のからまり

          からまりは小さな糸のダマから始まる。 さまざまな色の糸がダマをつくり、ダマとダマが絡まってやがて大きな糸の塊になる。 赤色、黄色、青色は、それぞれ同じ量が混ざると黒色になるという。だから、この塊も徐々に黒くなるかもしれない。汚れて埃をかぶれば気味悪い黒色に成長する。 ややこしく絡み合った糸の塊は、人のもたらす利害関係のようだ。困ったことに、絡み合ったままの方が安定したりする。 小さなダマを大きく成長させたのは、「忖度」かもしれない。他人の心中をおしはかる「忖度」も、本当

          生きたいと思う気持ちは、パズルのピースに似ている

          ちょっとの気づきや生きたいと思う気持ち これはパズルのピース(一片)に似ている。 それぞれのピースは形も大きさもばらばらで、隣り合わせに繋がるとも思えない。でもいつかはどこかでピッタリとはまる隙間が生まれるような気がする。 出来上がった「パズルの絵」は何だろうか?今はわからない。でも分かったとき、見えてきたとき、自分の人生が終わる気がする。 パズルは、もともと出来上がった絵を様々な形と大きさのピースに分断する。だから最初に誰かが書いた絵が存在する。それは夏に咲くヒマワリ

          生きたいと思う気持ちは、パズルのピースに似ている

          上を向いて歩いていこう

          ここで、オードリーヘップバーンの名言をご紹介した。 「美しい唇である為には、美しい言葉を使いなさい。美しい瞳である為には、他人の美点を探しなさい」 美しく生きていくための知恵だ。 でも過去の私はどうだった? 「人の悪い部分を探している」 あなたもこんな自分になったことはないだろうか? 私はある。 例えば、過去の安部元総理の緊急記者会見。内容は別として、聞いててこんなことが頭をよぎった。 「やっぱり、育ちのいいボンボンはわからないな」「苦労したことも無いからわからな

          僕は美しい生き方をしているだろうか

          世の中に綺麗なものやこと、そして綺麗な人は沢山いる。 でも美しい人は少ないと思う。 美しい人はその生き方が美しい。 「4色問題の証明は美しくない」 「容疑者Xの献身」という映画の中で、堤真一演じる天才数学者がこんな台詞を言っていた。 この言葉がどうしても気になり調べてみました。 以下、「YAHOO知恵袋」から まだはっきりしませんが何となくわかりました。 と同時に、この「美しい」という言葉自体に興味が湧きました。 そしてまた調べてみました。 「きれい」と「美しい」の

          僕は美しい生き方をしているだろうか

          断捨離

          「モンシロチョウ」より  「ダンシャリ」「ダンシャリ」と言葉ばかりが騒がれているので、遅まきながらブームに乗ることにした。六十歳を過ぎた節目の意味もある。 大病を二つもしているから、いつどうなるかわからない。大きな動機は、居なくなった時、「こんな部屋で」とか、「何をこんなにガラクタため込んで」と嘲笑されないためだ。死んだ後のことだから、何を言われても聞こえない、構わないのに、それでも見栄を張っているのか。 それでも、兎に角やってみる。まずは捨てるものを探すこと。整理整頓

          君の声が聴きたい

          これを読んで何かためになることはない。そうそう、この話にはこんなオチがあってこれを伝えたかったと、始めから意図するものも無い。何となく自分の周りに巻き起こる風景を描いている。繰り広げられた小さなドタバタ劇を思い出しながら書いていく。 「よかった…。君の声が聞けて」 好きなドラマのなかで、主人公の裁判官が心を閉ざしていた若い被告人に法壇から話しかけていた。彼が初めて悪態をついた言葉を吐いたときだ。 この言葉が私のこころに今でも居座っている。 瞬間、自分と被告人を錯覚した。