鈴木鉄也 / 気づきのマーケティング講座
心が疲れたり悩んで嫌になったとき、そっと寄り添うバラード。すぐ役立つものはすぐ役立たなくなる。
生きる目的を探すことも必要。でも、今は生きたい理由があるだけで幸せだ。そんな軽やかに暮らすために集めたコラム。
ちょっとの気づきであなたの仕事が変わります。そんなヒントを集めています。
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映画「PERFECT DAYS」を観た。 役所広司が規則的な箒のはき音で目覚め、薄い布団をたたみ仕事着に着替える。無表情で歯を磨き丁寧に髭を揃え、入り口近くに置いてある棚上の鍵と小銭をポケットに詰め込む。ペンキの禿げた古いアパートの横にある自販機で、毎日同じ缶コーヒーを買う。そして仕事用の道具を詰め込んだ車で日が昇る前に出かける。選んだカセットテープを押し込む「カチャッ」という音が懐かしい。英語の曲が流れ始める・・・・・・・。 若い人と私のような年寄りで評価が分かれるよう
こんな人参の収穫を期待していた。でも畑に蒔いた種から今も芽は出ていない。 9月から始めた市民農園で、大根と人参の栽培を始めた。その後、キャベツ、ブロッコリー、玉ねぎの苗も植えた。今ではイチゴの苗も新しい畝に十株ほどある。毎週その成長を楽しみに畑に通っている。 ところが人参だけは発芽しなかった。何故だろうとYouTubeで調べたり他人の畑をそっと覗き見した。市民農園ならではの楽しみだ。楽しいが人参の失敗は明らかのようだ。農家でも人参の種まきは失敗するという、だからそんな
私には世の中という器の底に沈む泥をすくうことはできない。でも自分のくつ底についた泥は洗い流すことはできる。心についたどろも心のみぞに石が挟まっていれば、丁寧にとり除きブラシでみがく。 畑でついたゴム長底の泥はなかなかとれない。だから少し水に漬けて、みぞにこびりついた土を柔らかくする。ブラシでみぞから土を掻きだし、やわらかな布で水気をそっと拭う。 毎回毎回おなじことをする。「またすぐによごれるのに」とひとは笑う。 笑われてもいい。バカにされてもいい。 くつ底についた泥をと
「利益や効率だけで物事の、そして人間の価値を測ろうとする社会が、『老い』を『老人問題』というように『問題』にしてしまっている。 ネットでこんな一文を見つけた。 若い人に比べ利益を上げず医療費などお金ばかりかかり、身体も弱り効率的に活動できない老いた人は問題となる。「老い」はそれだけで問題で、「老人問題」という「〇〇問題」と呼ばれている。 でもここでちょっと考えたい。 その前提に何があるのか? 利益や効率が絶対、という思い込みがあるのでは? 「利益や効率だけで物事
その人の周りには多くの友達が集まり賑やかになる。 いつもニコニコ笑っていて楽しそうだ。 誰からも好かれている。 「明るい人」といわれるとこんなイメージが想像できる。 「あの人のようになりたいな」とか「明るいひとはいいな」と内心思いながら、いつも横目で見ている。明るさを正面で受け取ることができない。造り笑いをしながら、苦笑いを心の中に隠している。比べているのはいつも自分だった。 無理する必要はない。 稲盛和夫氏は「明るい人間」についてこんなことを言っている。
自分の頭が悪いのか? ・・・と近ごろ悩んでイラついて、腹の中にいつまでも不消化な気持ち悪さが残る。こんなときは心の内を書き出してスッキリさせた方がいい。 ジャニーズ問題で、「テレビにも責任がある」と追及されればアナウンサーは、「厳しい意見がありました」「我々も反省しなればいけません」と誰もが同じコメントを繰り返す。今もって用意された原稿を読んでいる。 上の空の「反省」という言葉はいらない。 言うなら「反省しなければいけない」ではなく、「今、大変反省しています」だ。 とて
勝ちにこだわるときは相手を見ている。 自分の価値を高めることはひとりで出来る。 相手は次々と現れる。いや現れるのではなく、自分で生み出している。 仮想敵を生み出しているようなものだ。 でも別の生き方もある。 誰かに勝つことにこだわらず、自分の価値を高めることにこだわり続ける生き方だ。 勝ち続けることはトーナメント図の上を常に目指すこと。 価値を目指すことは、ひとりで螺旋階段を上がり続けるようなものだ。 迷いながらパズルのピースをひとつひとつ埋めて世界を広げるこ
「軽やかに暮らす」の中で「三つのしあわせ」を提唱しています。 三つのしあわせとは ・自分のしあわせ ・相手のしあわせ ・仕合わせ(めぐり合わせ) きょうは「相手のしわせ」についてです。 悩む人間関係の話です。 「相手のしあわせ」を願う。 これはとても大切なこと、もちろんです。 自分の子どものしあわせを願わない親はいません。 でも私は願わない、と決めました。 「願う」ではなく、相手がちょっとでもしあわせに近づいたとき、いっしょに「喜び」ます。 「相手のしあわせを
「ゆるす」という言葉は、漢字では「許」と「赦」の二つがあてられる。前者は許可する意で、後者は本来許可できない悪いことをした相手をせめないことだ。 水に流す、忘れるということではない。私を傷つけたあなたを人間として受け入れるから、あなたも同じ人間として私の痛みを知って二度と痛みを経験する人が出ない未来を一緒に作ってくれ、という相手への突き付けにも似た、最後の祈りなのです 新聞紙面でこんな文章を見つけた。 「許す」は許可する意味 「赦す」は相手をせめないこと 「赦す」は相
からまりは小さな糸のダマから始まる。 さまざまな色の糸がダマをつくり、ダマとダマが絡まってやがて大きな糸の塊になる。 赤色、黄色、青色は、それぞれ同じ量が混ざると黒色になるという。だから、この塊も徐々に黒くなるかもしれない。汚れて埃をかぶれば気味悪い黒色に成長する。 ややこしく絡み合った糸の塊は、人のもたらす利害関係のようだ。困ったことに、絡み合ったままの方が安定したりする。 小さなダマを大きく成長させたのは、「忖度」かもしれない。他人の心中をおしはかる「忖度」も、本当
ちょっとの気づきや生きたいと思う気持ち これはパズルのピース(一片)に似ている。 それぞれのピースは形も大きさもばらばらで、隣り合わせに繋がるとも思えない。でもいつかはどこかでピッタリとはまる隙間が生まれるような気がする。 出来上がった「パズルの絵」は何だろうか?今はわからない。でも分かったとき、見えてきたとき、自分の人生が終わる気がする。 パズルは、もともと出来上がった絵を様々な形と大きさのピースに分断する。だから最初に誰かが書いた絵が存在する。それは夏に咲くヒマワリ
ここで、オードリーヘップバーンの名言をご紹介した。 「美しい唇である為には、美しい言葉を使いなさい。美しい瞳である為には、他人の美点を探しなさい」 美しく生きていくための知恵だ。 でも過去の私はどうだった? 「人の悪い部分を探している」 あなたもこんな自分になったことはないだろうか? 私はある。 例えば、過去の安部元総理の緊急記者会見。内容は別として、聞いててこんなことが頭をよぎった。 「やっぱり、育ちのいいボンボンはわからないな」「苦労したことも無いからわからな
世の中に綺麗なものやこと、そして綺麗な人は沢山いる。 でも美しい人は少ないと思う。 美しい人はその生き方が美しい。 「4色問題の証明は美しくない」 「容疑者Xの献身」という映画の中で、堤真一演じる天才数学者がこんな台詞を言っていた。 この言葉がどうしても気になり調べてみました。 以下、「YAHOO知恵袋」から まだはっきりしませんが何となくわかりました。 と同時に、この「美しい」という言葉自体に興味が湧きました。 そしてまた調べてみました。 「きれい」と「美しい」の
「モンシロチョウ」より 「ダンシャリ」「ダンシャリ」と言葉ばかりが騒がれているので、遅まきながらブームに乗ることにした。六十歳を過ぎた節目の意味もある。 大病を二つもしているから、いつどうなるかわからない。大きな動機は、居なくなった時、「こんな部屋で」とか、「何をこんなにガラクタため込んで」と嘲笑されないためだ。死んだ後のことだから、何を言われても聞こえない、構わないのに、それでも見栄を張っているのか。 それでも、兎に角やってみる。まずは捨てるものを探すこと。整理整頓
これを読んで何かためになることはない。そうそう、この話にはこんなオチがあってこれを伝えたかったと、始めから意図するものも無い。何となく自分の周りに巻き起こる風景を描いている。繰り広げられた小さなドタバタ劇を思い出しながら書いていく。 「よかった…。君の声が聞けて」 好きなドラマのなかで、主人公の裁判官が心を閉ざしていた若い被告人に法壇から話しかけていた。彼が初めて悪態をついた言葉を吐いたときだ。 この言葉が私のこころに今でも居座っている。 瞬間、自分と被告人を錯覚した。