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生きたいと思う気持ちは、パズルのピースに似ている

ちょっとの気づきや生きたいと思う気持ち
これはパズルのピース(一片)に似ている。

それぞれのピースは形も大きさもばらばらで、隣り合わせに繋がるとも思えない。でもいつかはどこかでピッタリとはまる隙間が生まれるような気がする。

出来上がった「パズルの絵」は何だろうか?今はわからない。でも分かったとき、見えてきたとき、自分の人生が終わる気がする。

パズルは、もともと出来上がった絵を様々な形と大きさのピースに分断する。だから最初に誰かが書いた絵が存在する。それは夏に咲くヒマワリかもしれない。

でも人生のパズルは、そこにどんな絵が描かれているか最後までわからない。最終の絵を知っているのは神様だけかもしれない。だからおもしろい。

歳をとって分かったことといえば、何枚かのピースがつながってきたことだ。2枚つながったもの、3枚つながったもの、そしていまだにどこにもつながらない一枚のピースもある。
一枚のピースにも意味を込めたらしい、綺麗な柄が施してある。この先何枚のピースがつながるか、どんな絵が見えてくるのか、命が尽きるまで楽しめる。

生きたいと思う気持ちがパズルのピース(一片)なら、千枚のピースがつながった「ヒマワリの絵」は、探していた、私が生きる理由(目的)かもしれない。

今までどんなピースが見つかっただろうか?
一部をご紹介しよう。


1.新しい私をひとつ増やすだけ

ふと見た言葉や聞いた言葉が過去の言葉と自分に繋がることがある。そして、発見した言葉で私の中で何かが繋がった。

以前こんなCMコピーがあった。
沢尻エリカ演じるサントリーのCMです。

すっきりした
無理に変わろうとしない
新しい私をひとつ増やしただけ
決めた・・・

「新しい私をひとつ増やしただけ」

でもこれが意外に難しい。変わろうとする、反省することは、過去を修正することと思っていた。でも直す過去を真面目に見つめるほどつらくなる。

だったら、過去を直すではなく「新しく始める」と思えばいい。
「~しないように」でなくて、「新しい行動を増やしてみる」。

そしてこれからは、もっと気楽に好きを増やしていこうと思う。人の目を気にした、「しなければいけない?趣味」は捨てます。

自分がしたいように無理なく出来るサックスの練習。3年やっているけど全然うまくならない。でも週一のレッスンの後は、息をおもいきっり出した爽快感があります。

女性に混じってのエアリアルヨガのレッスンも、5年続けたおかげで身体も好調です。レッスンはきつい時もあるのですが、不思議と続いています。

仕事のことも・・・

もちろん生活していくためお金は必要ですが、無理に相手に合わして自分を追い込まない。私も今年で65歳です。これからは、今までの80%で生きていく今、そんな気持ちでいます。

残りの20%を趣味に費やそうとするのではありません。
何もしない・・・のです。

何もない・・・ではなく、何もしないのです。

これは結構こわいです。
若いころ、手帳を予定で埋めないと不安で不安で・・・そんな時期が長く続きました。そんな私ですから、何もしない20%は相当こわいです。

でも、その何もしない20%がとても貴重です。そして、これからはその20%の中にゆっくりと自分の好きを増やしていきます。

歳をとって趣味がないとつまらない・・・
気の合う友達がたくさんいないとつまらない・・・
いつも家族に囲まれていないとさみしい・・・

本当だろうか?

無ければそれはそれでいい。好きなものが出来るまでゆっくり待ちます。無理に増やそうとしません。

好きなものが出来たら、それを増やすだけ
新しい私をひとつ増やすだけです。


2.いつだって私はあなたの味方です

「応援してます」と言われるとうれしくなります。自分を後押してくれる、「頑張れ」と言ってくれる、自分のことをいつも気にしてくれているとうれしくなります。

でも、もっとうれしくなる言葉があります。

「私はいつだってあなたの味方です」

この言葉は男女の間だけじゃなく、親子の間でも子どもの心に残ります。父子の間ならこんな表現になるでしょうか。「お父さんは、何があってもお前の味方だよ」と。

味方は何があってもその人を応援します。
だから間違ったことをすれば正します。でもその前に間違ったことをして誰かを傷つければ、一緒に行ってその人に謝ります。決して逃げることはありません。それが味方になるということです。

応援することは、声に出して「頑張れ」ということ、味方であるということは、じっと静かにしていてもいつもあなたの傍にいるということです。何かあれば無条件に助けたいと思うことです。
「いつだって私はあなたの味方です」
素敵な言葉だと思いませんか。

私はこの言葉をある女性に掛けてもらいました。そのころ私はどん底でした。何をしてもうまくいかない、頑張っても頑張っても空回りの連続でした。暗い顔をしているとどんどん人は去っていきます。「頑張れ」の声もかけづらかったのでしょう。そんなとき、そっとこの言葉を掛けてくれました。「大丈夫、私はあなたの味方だからね」と。

力強い太陽の光が降り注ぐというわけではありません。でも雲を離れた月のように静かに私を照らしてくれました。静寂な夜に快い冷ややかさを誘う空気のようです。

そしてまた歩き出そうと思いました。また帰るところがあるようです。

誰かの味方になってください。相手が順調なときは必要ありません。大変なときに傍に寄り添ってください。

3.心が動くということ、心が傷つくということ


ドラマの中で、「えッ!」という言葉に出会うことがある。何かとつながった感覚だ。これは、いつも私が言っている「点と点が結びつく」「そして線になる」、そんな感覚だった。
 
それは、こんな言葉だった。
 
「心が動くって、今まで使っていなかった筋肉を使ったときのよう。なにか痛い」
 
空手少女が初めての恋愛で知った気持ち? なんて勝手に解釈している。
困るけど心地いい。痛いけど今まで受けた痛さじゃない。身体を痛めたときの激痛とは違うようだ。

心が動いたときを、「今まで使っていなかった筋肉を使ったときのよう」と言い換えている。そのときの少女の可愛らしさが何ともいえない。気持ちを表すために捻り出した言葉が空手少女らしい。痛々しくても微笑んで見ていられる。私はこんなセリフが好きだ。
 
そして、私の中に呼び戻され結びついた言葉が、「心の傷」という言葉。
よく言われる言葉だ。

誰かの言葉で私の心が傷つけられた。相手は気にもしていないだろう。でも、私は勝手に傷ついていた。苦々しい風景が言葉といっしょに呼び戻された。過去の点が今の点とつながった。
 
身体とは違う、心の傷をどうやって治したらいいのだろうか?
使っていなかった筋肉を使った時とは違う。すでに使っている心の部位だから傷は明らかだ。

私はこんな風に考えてみた。
 
酷い傷なら縫うしかない。三針で済むか、五針になるか分からないが、それはプロに任せるしかない。心療内科に罹るのもいいかもしれない。アマチュアでいいなら誰かに傷の深さと辛さを聴いてもらえばいい。
 
処方箋をもらって傷を治す心の抗生剤を服用することも必要だ。これで心の内側がさらに傷つく前に、炎症を止めることも出来る。心の傷の多くは自分で炎症を広げている。

心がチクチク痛ければ、鎮痛剤も必要だ。心が痛いときの鎮痛剤は何がいいだろうか?
 
プロの処方薬も必要だが、その前に自分専用の処方薬も用意しておきたい。誤魔化す、考えない、遊ぶ、逃げる、逃がす。自分に合った処方薬を色々試してみればいい。
 
大切なのは、鎮痛剤も抗生剤も期限を決めて服用の量を守ること。これは怪我をしたとき、医者に注意されたことだ。「決められた期間は薬の服用をやめないこと。量を守ること。そうしないと完全に治らないよ」と言われた。
 
だから、「心の傷」も一週間かけてゆっくり炎症を止めて、痛いときは心を逃がす。焦らない、私はそう決めている。
 
 
心の傷の処方薬を、抗生剤や鎮痛剤など複数もつこと
そして、治す期間を決めること。そして焦らない。
 
書き始めて、こんなことに気づいてきた。
 
そうすると、いつの間にか傷は癒されていた。
 
 
皆さんには役に立たない話かもしれない。自分で書いていてもそう思う。
でも、書くことは自分の心を放つこと。とても爽快な気分になる。
心の傷を癒す私の最良の処方箋は、書くことかもしれない。


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