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ルサンチカ 野外公演『更地』

《Documenting20240325》
ルサンチカ 野外公演『更地』
於:都立戸山公園

 新宿区の戸山公園にて、太田省吾の戯曲『更地』(1992年初演)を上演。このあたりは学生時代によく散策したが、かつては尾張徳川家の下屋敷が、戦前・戦中には陸軍戸山学校が置かれていた場所である。園内は人工的な地形の中に史跡が点在する箱庭的空間で、歩いていると時空が歪むようなトリップ感を味わえた。

 中でも今回の公演の舞台になった野外演奏場跡は、陸軍戸山学校軍楽隊時代の芥川也寸志や團伊玖磨も演奏を行い、唐十郎の状況劇場が『腰巻お仙 忘却篇』をゲリラ上演した地だという(このへんの情報は、上演前に戸山公園サービスセンターのセンター長が解説してくれた)。中空に浮かぶリング状の構造物は、今となっては池袋西口公園にできたでかいリングを連想させるが、この円環を頭上にいただく舞台空間は『更地』の戯曲の構造と見事に対応していた。この円環を中心に、360度ぐるっと客席が取り囲む空間内をふたりの役者が動き回るという演出プランも、公園の風景に作品を接続させることに奏功していた。舞台周辺に鳩が集まってきてはたびたび飛び立っていくのを役者たちが見逃さず、ちゃんと反応していたのも面白い。私が観劇した最終日は、小雨が降りしきるなかなか過酷な状況だったが、ふたりの役者のはらの底から出ているような声はとても耳心地がよく、素晴らしい上演だったと思う。

 冒頭、なにもない舞台にやってきた夫婦は、かつてそこに「一人の男と一人の女、それに何人かの子供」がいたことを確認する。戯曲では、そこは家を解体した後の更地であるというト書きが冒頭に置かれているが、それに続くプロローグも省略した今回の野外公演では、この空間は時間の隙間にある忘れ去られた土地というような印象を与えた。ここでふたりは、過去を思い出す――というよりは創造していくかのように、生まれてから出会い、家族として生活するまでの成り行きを語り起こす。やがて「年表にも教科書にも戟ってる」ようなことではない、ふたりにとっての「黄金の時」を思い出そうとする。それは、戦争のような大文字の歴史とは違い、「忘れても仕方ないような」、しかし個人の中で「金色に光る」小文字の歴史である。

 太田省吾は、映画『ゴジラ』でゴジラが破壊した東京からこの『更地』の着想を得たというが、私の見立てでは、本作は舞台空間に物語を立ち上げるという演劇の構造そのものに言及しているのではないか。劇中、ふいに置かれる「それほどリアリズムじゃないのに」という楽屋落ち的なセリフもそれを裏付けているだろう。更地=<なにもない空間>にやってきた役者ふたりは、「一人の男と一人の女、それに何人かの子供」という抽象的なセリフから始めて、自分たちが生まれた瞬間から物語ることによって具体を獲得していき、最後は個人の記憶の中の「黄金の時」を語ろうとする。太田は、劇の言葉と文学の言葉の違いとは「場面の違いのもたらすもの」であると書いている(太田省吾『劇の症状』)。劇の<場面>とは「ある男があらわれそれが直接ことばを吐く」ような状況であり、そこでは肉体を持たぬ書き言葉は「聞いちゃいられないたれ流し」にしかならない。劇で発されるべき言葉とは「<場面>へ下降し」、「大声をあげ大手をふらなければいられない人間」のために用意された、徹底的に個別具体的な言葉だ。『更地』は、この劇の言葉=「黄金の時」が舞台上に到来するまでを描く、演劇の誕生譚であると見なせる。

 ラスト、「黄金の時」の到来をあくびという生理現象にさえぎられた夫婦は、また最初のシーンに戻って更地を眺めわたす。この円環構造は、野外演奏場跡に浮かぶ真円の構造物と同型を成している。そして、何度も語りをやり直す役者の姿は、時代を超えて同じ戯曲を何度も再生する演劇の営みそのものを指し示している。

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