"ペルソナ3"について語る為に必要なこと


"ペルソナ3"について語る為には、スグルさんについて語らなければならない。

筆者が国立O大学(※1)に通っていたのは15年以上前に遡る。世間一般の大学生と同様に、当時の筆者は大学での勉強に打ち込む真面目な学生だったわけでは決してなく、講義中に隠れて読書をし、家に帰ればゲームに勤しむ、目立ってその存在をアピールするわけではないが、炙り出せば必ず存在する、2023年12月現在の表現で表すところの"陰キャ"、もう少しスタイリッシュな表現を用いれば"陰の者"と呼ばれるべき存在だった。決して表に出るわけではなく、しかしながら自尊心だけは人一倍あるものだから、ありとあらゆる華々しい物事を心の中で軽蔑し、本を読了することやゲームをクリアすることの達成感こそが人生の華だと決めつける、世間と交わることこそ不名誉の極みと思いこむ不毛な人生を送っていた(※2)。

ところで筆者は、いわゆる大学生活の象徴と言える活動の一つである"サークル"(※3)と呼ばれるものに所属しておらず、はたまた学生なら打ち込まずにはいられない活動の一つである"アルバイト"(※4)にもそこまで精を出していなかったので、大学の講義と講義の間にしばしば隙間時間が発生した。過去から現在まで、隙間時間を埋めることにかけては一日の長があると自負しているが、そうした時間に筆者が行うことと言えば、緑色のプレハブ建ての学生食堂(※5)の2階で本を読むか、数少ない友人とこの世に生まれてくるべきではなかった価値のない雑談に励むか、あるいは研究室(※6)に顔を出して、誰かがどこからか持ってくる菓子類に手を出すか、概ねその3パターンしかなかった。そしてその研究室で出会った謎の人物こそ表題の男、スグルさんである。

大学を卒業して15年程が経つが、未だにスグルさんという人間を定義する言葉が見当たらない。何せ、年齢すら定かではないのである。おそらく当時はまだ学部生で、年齢でいうと筆者の5歳は上だったと思うが、明確に確認はしていない。周りから伝え聞いた伝承のような情報によると、大学に入学し、オーストラリアだかアメリカだかに渡り、よくわからないが海外をふらふらした後に、大学に戻ってきたと言われており、戻ってきたタイミングが、たまたま筆者が研究室に顔を出し始めた時期と一致していた、ということだと理解している。

スグルさんは周りの人間から疎まれていたり嫌われていたり、あるいは避けられていたわけでは決してないが、「空気読み人知らず」を地で行く非常に独特なキャラクターを持っていたということは誰にも否定出来ない(※7)。文章上で彼の特異さを表現するのは、筆者が持ち合わせている表現力では非常に困難だが、アメリカ合衆国のことをなぜか頑なに「ステイツ」(※8)と呼び続けるくらいには彼は変わっていた。筆者はこの世に生を受けて約40年、物心がついてからは約30年、働き始めてからは概ね15年が経過し、社会人としてのキャリアには海外で働いた経験も含まれているが、未だかつてスグルさん以外の人間が、かの国を「ステイツ」と表現しているところを見たことも聞いたこともない。しかも彼は、公式・非公式を問わずその呼称を貫くのである。北米出身の方はみんなそうなのだろうかという疑問を持つが、そもそも彼は日本人であるということも念の為に強調しておきたい。

スグルさんは、日常的にゲームを嗜むようには見えなかったし、サブカルチャーに詳しいということもなかった、というのが筆者の印象である。しかしながら、年代的にレトロなゲームを一通りプレイした経験はあるようで、サブカルを忌避する傾向もなく、加えてお世辞にもお洒落でスタイリッシュで休日はカフェで過ごしてます(※9)、みたいな立ち回りもしていなかったので、どちらかと言えばこちら側、彼岸か此岸で言えば此岸(※10)の人間だったように筆者は評価している。筆者は、自分の趣味がゲームで、土日や祝日に限らず、時間が空けば一人で不気味な笑みを浮かべながら電脳世界に没入していることを特に隠してはいなかったので(※11)、話の流れで自分がゲーマーの末席を汚しているということも、明確には覚えていないが伝えていたように思う。そして、ある日突然、スグルさんが「これ、めっちゃ面白いから貸したるわ」と言って大学のキャンパスに持ち込み、有無を言わさず筆者に渡したゲームこそが"ペルソナ3"、そしてそのAppend版(※12)である"ペルソナ3 フェス”である。

人間は、カテゴリ分けをすることが非常に好きであり、ありとあらゆる物と者をステレオタイプに嵌めようとする性質を誰しもが持っているように思うが、一口にゲーマーと言っても、全国津々浦々に海千山千の様々なタイプのゲーマーが、防波堤の岩をひっくり返した際に現れるフナ虫(※13)のように隠れ潜んでいるのだということを我々は十分に自覚しなければならない。筆者は、面白そうだと感じれば、ジャンルを問わず飛びつく節操のない雑食ゲーマーだが、世の中には「ある特定のタイトルのゲームしかプレイしないが、そのタイトルをプレイするためにはゲームハードを含めた出費を全く厭わない」というジャンルの人々(※14)が確かに存在する。今にして思えば、スグルさんもこのジャンルに属する人々の一人、すなわち「アトラスのゲームしかプレイしないが、アトラスのゲームをプレイするためなら何でもする」人々(※15)だったのではないかと筆者は考えている。

翻って筆者はと言えば、アトラスのゲームの名前は認識しているものの、過去に友人が"ペルソナ1"をプレイしているのを一瞥したことがある程度で、スグルさんに提供されるまで完全にシリーズ未プレイだったことは猛省する限りである。筆者が食指が向かなかった理由はあのエキゾチックなビジュアルで、いうなれば単なる食わず嫌い(※16)であり、ゲーマーの風上に置けないという誹りを受けても全く反論の余地がない。言い訳をさせて頂くと、当時は日本産のゲームが徐々に世界における地位を失い始めた時期だったと認識しているが、それでも矢継ぎ早に新作が発売されており、一度タイミングを逃したゲームを改めてプレイする時間は、いくら暇を持て余す大学生と言えども捻出することは叶わなかった。

閑話を休題する。筆者はあまり人から勧められるという行為が得意ではなく、勧められた時点でそのものに対する興味というかモチベーションが急速に失われてしまう。中学生時代に、「これ、面白いから」と言って貸してくれたマンガ(※17)を、どうしても読む気が起きず、結局未読のまま返却し、「ああ、うん、面白かった、かな…」と虚偽の感想を伝えることでお茶を濁してしまったタクラくんには本当に申し訳ないことをしたと思うし、今でも謝りたい気持ちでいっぱいであるが、これが筆者の性格というか性質で、今でこそタクラくんにしたようにお茶を濁しはしないものの、どうしても人から勧められたものというのに興味が湧かないのである。

翻ってスグルさんの"ペルソナ3”だが、これもタクラくんと同様に曖昧に笑ってその場をやり過ごしたかというとそんなことはなく、なぜかモチベーションも失わず、普通に借りて普通にプレイし始めるのである。この時の筆者の心境は全く覚えていないし、スグルさんの選定眼に絶大な信頼を置いていたということも決してない(そもそも、スグルさんがゲームをするということも、”ペルソナ3”を渡されるまで把握していない)。たまたま、プレイするゲームがなかったのかもしれないし、自分が好きなゲームを同好の士にプレゼンするスグルさんに何かただならぬ気配を感じたのかもしれない。とにかく、筆者は家に帰って”ペルソナ3”を始めるのである。

その後、筆者が”ペルソナ3”に対してどのような感想を持ったのかは想像に難くないだろう。まー面白いんだな、これが。筆者は、ゲームというのは全てロールプレイングであり、インタラクティブであることを活用し、実生活では味わえない経験を疑似的に体験させることに真髄があるエンターテイメントだと思っているが、”ペルソナ3”で体験出来るのはまさに日常と非日常。我々が遠い昔に経験した(ように錯覚するが実際にはそんなわけがないジュブナイル(※18)、しかも夜な夜な現れる怪しいダンジョンに仲間と共に挑むという非日常が付いてくる。”ペルソナ3”は、その後のペルソナシリーズの方向性を決定づけると共に、どうしてもファンタジー世界が舞台になりやすいJ-RPGにおけるある種のマイルストーン的な作品とすら定義付けられると思う。このゲームを食わず嫌いで避けていた過去の自分に刹那五月雨撃(※19)を食らわせたいが、高い自尊心を持つ中二病の大学生が真摯に反省をするほどに、”ペルソナ3”は素晴らしく面白いゲームだったのである。

その後、ペルソナシリーズは2023年12月時点で5まで発売されているが、筆者は"ペルソナ3”1周、”P3P”1周、”ペルソナ4”1周、”P4G”2週、”ペルソナ5”1周、”P5R”2週、計8週はクリアしていると思う。”メタファー:リファンタジオ”も楽しみだ。"真・女神転生”も3、4、5はクリアした。このように、筆者は”ペルソナ3”に触れたことをきっかけにアトラスを知り、そしてアトラスが誇るオリジナリティ溢れるゲームの数々をプレイするに至ったのだが、全ての始まりはスグルさんが貸してくれた”ペルソナ3”であり、”ペルソナ3フェス”だった。もちろん、彼がいなくても、その後の人生においてアトラスのゲームに触れる世界線があったかも知れないが、今、筆者が生きている世界線においてスグルさんが果たした役割は非常に大きく、少なくとも筆者は彼を恩人だと思っている(※20)。

筆者とスグルさんは、大学を同じタイミングで卒業した。筆者は就職の為に大学のあった地(※21)を離れ、スグルさんは他の大学の大学院に進んだように記憶している。その後、筆者とスグルさんの人生は交わっていない。連絡先も知らず、その後の消息を辿ることが出来るようなチャネルもなく、彼が今どこで何をしているのか、大げさに言うと生死すら定かではない。おそらく今後も我々の人生が交わることはないだろうが、筆者が初めて”ペルソナ3”をプレイしてから約20年が経ち、2024年に原作をフルリメイクした”ペルソナ3 リロード"が発売される。筆者はもちろん買う。”メタファー:リファンタジオ”も買うだろう。あれから時が経ってもアトラスのゲームに執心しているのは、スグルさんのおかげでありスグルさんのせいである。それほど長い付き合いだったわけではないのだが、アトラスのゲームに触れるとスグルさんを思い出す

以上が筆者と”ペルソナ3”とスグルさんの想い出である。"ペルソナ"について語る為には、スグルさんについて語らなければならないし、大袈裟に言うのであれば、"ペルソナ"について語るということは、筆者にとってスグルさんについて語るということなのである。そんな”ペルソナ3 リロード"は、2024年2月2日発売です

彼が今もなお息災で、”ペルソナ3 リロード”に触れることを祈る。

注記

※1:この表記から見て取れる通り、筆者は森博嗣(敬称略)のファンである。大学名の表し方も一連のシリーズから拝借した。非常に古くて恐縮だが、好きな作品は『すべてがFになる』、『今はもうない』、『黒猫の三角』辺り。
※2:エンターテイメントを演出するために敢えて過剰な表現となっているが、人並みに友人もいたし、それなりに社会性を維持して日々を暮らしていたということだけはここで強調しておく。ただ、当時は今ほどゲームに対する理解がなかった時代だったということも同時に事実であったと認識している。
※3:FFの技ではなく、共通の趣味やアクティビティを持つ学生達が集まる同好会活動を指す。筆者が通っていた大学では、大学公認の部活動と、非公認のサークルがあり、学生のほぼ全てが何らかの部活やサークルに所属していたが、筆者はどちらも無所属であり、当時の尺度で言えばそれなりに珍しい存在だったと言える。
※4:非正規雇用の形態の一種。学生の中には全てを投げうってアルバイトに励み、結果として大学を辞める人もおり、個人的には手段の目的化の最たる例だと認識している。補足として、筆者は大学の最寄り駅であった阪急宝塚線I駅に併設されていた書店でアルバイトをしていたが、最寄り駅の名称は変わってしまったし、この書店は今はもうない。
※5:丼料理とうどんの店であり、DonDonという名前だった(表記の大文字・小文字の区別はもはや覚えていない)。DonDonの2階を、仲間内ではDon上(どんうえ)と呼んでいたが、おそらく公式名称ではない。メニューが比較的安価であり、入学当初は肉うどんとライスを好んで食べていたが、いつからか肉うどんに乗っている肉が豚肉から牛肉に変わり、味が落ちたので頼まなくなった。これは筆者の大学生活における一つのエポックだったと言える。代わりにリピートしていたのがとんかつあんかけうどんで、これはうどんに出汁の効いた餡がかかっており、さらにその上にとんかつが乗っているというコンセプト不明の料理だったが、それなりのボリュームで300円というコストパフォーマンスが仲間内で人気だったように思う。なんかDonDonの話で興が乗って長くなっちゃった。この食堂も今はもうない。
※6:一般的にはゼミと呼ばれているものと思うが、国立O大学の某学部では研究室と呼ばれていた。実態としてはゼミと同じ類のコミュニティと認識してもらえれば問題ないものと判断している。
※7:スグルさんを知っている人に比べ、知らない人の方が地球上に圧倒的に数が多いので、否定出来ないのは当たり前である。
※8:United States of Americaから取っていると思うのだが、Statesの部分だけ取る人っています?
※9:休日をカフェで過ごすことをお洒落だと思っている時点でお洒落ではない。
※10:筆者から見た此岸であり、一般の方から見れば彼岸である。観測者が結果に影響を与えている。
※11:一人でゲームをしていて自分が不気味な笑みを浮かべていることを認識するのは困難であるため、現実を切り取った表現とは言えないかもしれない。
※12:曖昧だが、スグルさんが貸してくれた”ペルソナ3 フェス”は、単体では起動しないバージョンだったように記憶している(違っていたらすいません)。近年のゲームでは珍しいと思うが、当時はディスク数枚組のゲームもあり、かつ筆者はbeatmaniaを嗜んでいたので、Appendディスク自体には馴染みがあった。
※13:実物のフナ虫を見たことはないが、筆者は『イジらないで、長瀞さん』の読者である。
※14:最も有名なのは「"モンスターハンター"しかプレイしないが、"モンスターハンター"をプレイするためなら全てを犠牲にする」人々ではないだろうか。
※15:スグルさんがアトラスのゲーム全般をプレイしていたのかどうかは定かではなく、そういった意味で実態よりもやや広範な表現となっているかもしれない。ペルソナをプレイしていたのであれば、”真・女神転生”くらいはプレイしていたものと思うが、いずれにしても判然としない。"世界樹の迷宮"に手を出していたのかも今となっては闇の中である。
※16:食べたことのないものを、食べる前から嫌うことを指すが、転じて体験・経験していない事象を、経験することなく毛嫌いすることを指す。ゲームの場合は、プレイしていないのに批判することを指すが、消費していないものを語ることは出来ず、語りえぬものについては、沈黙しなければならない
※17:何のマンガだったか全く覚えていない。タクラくんごめん
※18:もともとは少年・少女とみなされる年代の子供達が読む小説や物語を指したと理解しているが、現代ではそこから転じて、少年・少女の成長を軸とした物語全般を指すように変容しているように感じる。特に、子供 vs 大人の構図がよく見られるモチーフで、ペルソナシリーズで言えば"5"が顕著だと考えられる。
※19:ペルソナシリーズでお馴染みの物理攻撃技で、”せつなさみだれうち”と読む。”切なさ乱れ打ち”と読むことも出来、ネーミングが秀逸。ちなみに、食らわせたい技は”ゴッドハンド”でも”空間殺法”でも”八艘飛び”でも何でもいい。
※20:なぜここに注を打とうと思ったのか、全くわからないのだが、筆者がスグルさんを恩人だと思っていることについては間違いない。
※21:筆者は出生地と出身地と大学時代を過ごした地と就職先の会社が所在する地が全て異なる。大学時代を過ごしたO県は、住む前に抱いていた印象よりも良い土地だったと思っているが、これもノスタルジーに拠る想い出補正の可能性は否めず、”10”以降未プレイの人が「FFの最高傑作は”5”だろ」とか言ってしまうのと同じかもしれない。


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