Asia School Library

カンボジアはシェムリアップに長期滞在中!!

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カンボジアはシェムリアップに長期滞在中!!

最近の記事

宮沢賢治の農民芸術論の現場

日本国内から見れば、町の本屋さんはこのご時世で確かにどんどん消えているでしょうね。その日本の本屋を海外から概観すると、まずは、アマゾン。送料が1冊900円。そして、早い時なら、注文して三日でカンボジアに届く。しかし、版元からすれば、マージンが高くてアマゾンには卸さないという所もあるでしょう。 次に出版社のサイト。しかし、これは大抵、日本国内向けで海外発送をしていない所がほとんどだ。 時代はネット社会。インターネット常時接続が当たり前の時代。街には至る所でネットに繋がるWiF

    • これは2010年のカンボジアの学校前

      学校は、町のわい雑さも混沌さも直結していた。だから、外国の観光客の多いシェムリアップ。今と違って、いきなり行って授業を見たいと言っても歓迎してくれた。学校には門はあるがいつも開いていた。塀もあるようでないようなものだった。1年生の子どもたちでも、学校の周りの日常のお店で朝ごはんを一人で食べていた。それが当たり前の光景であった。つまり、学校は街とつながっていた。 それが、2020年になると、校舎も校内もそのままで、ただただ物々しい塀と校門を作って、街と一線を引いている。だから

      • ラオスの肖像」暗闇の中の天使 20200602

        アジアの学校はだいたいに暗い。暗い上に黒板が古くて文字がよく見えない。それでも子ども達は自分の薄っぺらいノートに、今もらったばかりの鉛筆で書き止める。 カンボジアもラオスも1年生から落第がある。子ども達は学びたくて学校に通っているはずなのだが、現実は必ずしも子どもに味方してくれない。ラオスの南の果ての島の学校では相当数が1年生で落第している。2回落第して、3年目が始まって、何時しか消えて行く子どももいる。島から出て行ったのか、ただ学校に出てこないのかそれが定かでない。 生

        • 過激な「カンボジアの肖像」ステートメント 20200602

          ここに写っているのは懐かしい子ども像などではない。学校は子どもの未来最前線。未来誕生の現場。 10年前と違って、ここではもはや学びに飢えた瞳を見る事はできない。代わりに一人ひとりの子どもの日々の戦いがある。惨めな自分と戦って、未来を創る。 瞬間は未来を蔵する。ここに写っているのは、子どもの未来なのだ。貴重な未来への第一歩。 小学校1年生を撮っているはずなのに、1年生ではなく人間そのものが写ってしまった。

        宮沢賢治の農民芸術論の現場

          ステートメント 002  教室の1年生

          2010年頃までは1年生の教室に色んな年齢の子がいた。下は4歳から上は15歳。その頃は今と違って学校に行くことは当たり前ではなかった。中には、午前と午後、フリースクールを掛け持ちする子もいたくらいだ。 異年齢の大集団。自然と大きい子が小さい子の面倒を見、大人数ではあるがある種の落ち着きがあった。そして、子ども達は学びに飢えていた。勉強して何になるかと言う事より、その時、その時、自分が集中する課題ができたのが嬉しくて夢中になっていた。そう、カンボジアの子どもたちは好奇心旺盛な

          ステートメント 002  教室の1年生

          ステートメント 001  カンボジアの学校の原体験

          カンボジアの学校に初めて入ったのは、2007年10月5日。ちょうど新しい年度が始まったばかりの時期であった。その後も2007年の暮れから1ヶ月、2008年11月から1ヶ月カンボジアを訪れた。2008年12月にはカンボジアからネパールに戻る予定であったが、バンコクの空港が長い事閉鎖されネパールに行けなかったので、急遽プノンペンからシェムリアップに戻った。この時、三日間連続で教室に入った。先生は持てる力を全開にして授業を見せてくれた。教室の子どもたちはみんなまるで仏弟子のように授

          ステートメント 001  カンボジアの学校の原体験

          作家活動書 for Tomo’s portfolio review

          2007年3月定年退職、2007年5月から世界一周の学校巡り カンボジアの学校に初めて入ったのが2007年10月5日、 ラオスの学校に初めて入ったのが2009年4月、 ベトナムの学校に初めて入ったのが2019年9月。 2013年12月からカンボジアはシェムリアップに長期滞在中。 写真展 2007年12月 フランスのフレネスクールで世界一周の写真展 2008年3月  日本で写真展、以後毎年一年に1回写真展 計6回 2013年2月  御苗場出品 2013年3月  川崎市民ギャラ

          作家活動書 for Tomo’s portfolio review

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          アイスランド2007年7月パート2

          アイスランド2007年7月パート2

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          アイスランド2007年7月

          アイスランド2007年7月

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          ラオスの肖像:2016−2019 暗闇の中の天使

          別の視点からは、「むき出しの生命」。 最近ではもう何故かカンボジアの教室だとこういう男の子の姿は撮れない。しかし、ラオスの田舎の島でも、この子とて、更に1年が過ぎれば、もうこういう表情はしないだろう。それだけ子ども達の世界も消費経済に巻き込まれているということなんだろう。 消費経済の世界では、暗に一つの方向が示され、人は知らず知らずのうちにその価値観に飲み干されむき出しの生命も跡形もなく消えていく。みんなが同じような事を考え同じような物を欲しがる。だから、子ども達の顔もみんな

          ラオスの肖像:2016−2019 暗闇の中の天使

          子どもの時間

          中学1年生になったある日、校舎の渡り廊下を歩いていてふっと思った。「この頃なんで1日がこんなに短いのだろうか」と。意味は未だにはっきりしていない。そのために、事あるごとに反芻され、その言葉が生き続いている。 二、三日前に、ではその一年前の様子を思い出そうとしてみたが、具体的には何一つ思い出せない。その時間が何かに包み込まれて中に入れないのだ。 次に別の事を考えた。今、撮っている子どもたちは、まさしく子どもの時間を生きている。そして、幸いな事に、その時間を共有でき、写真が撮

          遠い目線の子どもの肖像

          昨日、鬼海弘雄のSYANTIが届いた。それで、改めて自分の写真を見直して、女の子の肖像が多い。ほとんど女の子の肖像だと思った。 それで、どうして、男の子の肖像が無いのか考えてみた。 その結果、分かった事は、この目。男の子の場合には、目先しか見ていない。まあ、女の子の中にも、最近は、ほとんど、男の子と同じように、目先しか見ていない子が多い。 だから、そう言う子を撮る事はない。 そして、時たま、幸せな事に、遠い目線の子と出会うから、撮影が自然に始まる。

          遠い目線の子どもの肖像

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          続「ラオスの肖像」2019年10月10日

          続「ラオスの肖像」2019年10月10日

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          私の旅は放浪の旅ではない。

          彷徨ってはいない。ピンポイントで、学校を嗅ぎつけ、そこに入り、撮影している。だから、もう、ストリートで写真は撮れない。 定年退職して真っ先に世界の仲間の学校を訪ねた。それは、1990年以来のネットでの共同学習を続けた学校をこの目で見たいと思ったからだった。お互い、その時々の世界の教育の最前線を生きていた。当時、偉そうに教育の事を語れたのも、そんな世界の仲間のお陰だった。 まずはアメリカ。ここでは、日本のような公教育もあるが個人の教育もある事を確認した。そして、メリーランド

          私の旅は放浪の旅ではない。

          カンボジア、新校舎をもらって、次は、、、。

          第一弾が、それまで、月曜の朝しかやっていなかった朝会を 毎日やるようになった。しかも、午前6時40分にはもう ベルが鳴り、子供の中には、既に自分の場所に並んでいる。 7時過ぎに終わるのだが、掃除の続きがあり、7時半までは 何もできない。 第二弾が、今日、初めてのお布施もらいの行進。 5年が近くの市場を、6年生がオールドマーケットを目指した お布施行進。初めての事で、子供達も慣れていなくて大変。 カンボジアの仏教は、上座だから、お布施は普通にもらえる。 第三弾が、ピアニカ。

          カンボジア、新校舎をもらって、次は、、、。

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          ラオスの肖像=暗闇の中の天使 2019年2月

          ラオスの肖像=暗闇の中の天使 2019年2月

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