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違うけれど、同じ。同じだけれど、違う。

数学は面白い。

数学の世界では、「掛け算は簡単だが、足し算は難しい」とされる。

たとえば、12を素数(1と本人以外に割れない数)分解すると
2×2×3  つまり、2が2つ、3が1つ。これらを遺伝子DNAとしよう。

これに素数5を掛ける。
12×5=60 
60のDNAには2が2つ、3が1つ、5が1つある。
つまり、DNAが全部受け継がれていることになる。

身近に紙がないので、自分の本にあわてて書いた(笑)

一方、足し算はどうなるかというと
4(2×2)+21(3×7)=25(5×5)

「親」となる4のDNA2が2つ、21のDNA、3と7が1つずつ
が「子」である25(5が2つ)にはまるで受け継がれていない。

つまり、積(掛け算)の場合は、先の予測がつくが、和(足し算)では皆目予測がつかない、ということだ。

これを予想できるかもしれない、としたのがabc予想

abc予想は少し横に置いて、では、この数学の考えは商売の何に使えるかというと、在庫である。

在庫は限りなく小さいほうが良いのは財務会計の基本だ。

本来であれば、社員給与にも先行投資にも交際費のシャンパンにも使えるキャッシュが、製品という、そこから他に何にも化けられない物体に固定されてしまったのだから。

「手元キャッシュをどれだけ速く簡単に動かせるか」が経営の腕の良さを測定する指標になる。業種にもよるが、月商の3倍の手元資金があれば健康とされる。

とはいえ、在庫がなければ販売機会の損失につながりかねない。
ただやみくもに在庫をゼロにするのもあかん。

そこで数学の本質を思い出す。
「積は予測可能だが、和は予測不能になる」。

つまり、在庫を常に積で分解できるようにしておく。
仕入れる際には、必ず2SKU(ストックキーピングユニットStock keeping Unit)ずつと決める。
足し算で仕入れるから、後で理解不能になるのだ。

「なんとなく、不安だから」と、足し算していくと、論理が消える。

というお話でした。朝から数学やってて、降りてきたので、メモ代わりに書いておきます。

さて、数学史上難問中の難問とされているabc予想だが、日本の京都大学望月新一教授が証明したと論文発表し、査読も終了しているのだが、数学界は賛否両論のようだ。

宇宙際タイヒミュラー理論によるディオファントス的不等式は、簡単にいうと、現在ある数学という宇宙と全く同じ宇宙をもう1つ作る。

それを使って証明する。つまり、1つの宇宙では積を、もう1つの宇宙では和を司る。

「積は予測可能だが、和は予測不能」であるのであれば、両者を分断してしまおう、というわけだ。

ただ、両方の宇宙はつながっている。

違うけれど、同じ。
同じだけれど、違う。

これによって証明したのが、望月教授の論拠なのだが、数学の世界では、「違うなら違う、同じなら、同じであり、それはないでしょう」ということで、受け入れられない人がいる。これが望月論文の評価を分けているのだが、ぼくは望月教授の挑戦に賛成したい。

望月教授は要するに、これまでの数学を進化させたいのだ。

その進化の引き金となるのが、

違うけれど、同じ。
同じだけれど、違う。

という、禅的思想である。

でも考えてみれば、「違うけれど、同じ。同じだけれど、違う。」世界認識の方法、ぼくたちは日常の中で普通に認めている。

たとえば呼吸。「吸う」、「吐く」それぞれ違うが、でも、「呼吸している」という点では同じだ。

ギョーザを食べる。皿の上にあるうちはギョーザは自分とは「違う」。でも、食べてしまえば、やがて自分と「同じ」になる。

抜けた髪の毛。頭皮にくっついている間は「自分」だが、抜けて洗面台にへばりついている姿は「違う」。

違うけれど、同じ。
同じだけれど、違う。

この禅的思想が、数学に入ると、もっと世界は面白くなる。

そして、商いの世界にも、取り入れていきたい。

年明けから始めるマーケティングZENもその試みだが、楽しい挑戦だ。
ワクワクする。

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