それでいいんじゃないか?
気づいてしまった。
インターネットやネットショップはこの20年の話なんだね。
ぼくが事務所にしてるタワーマンションは2003年竣工、当時西日本一の高さで話題、以降のタワマンブームの魁(さきがけ)となったらしい。こちらも20年前。
「タワマンすごい、最上階セレブ」なんていうのも、わずかこの20年の価値観とわかる。
20年なんてのはね。あっちゅーま。矢のごとし。
常識ってのは言い換えると、電車に乗ってる人たちが思ってること。
ということは、明治時代の電車乗客のアタマん中とはまるで違う。
ほんのつい最近に思えるのだが、こちらは1989年〜1992年。
30年前。登場するカップルのアタマん中、2024年のカップルとは違う。
ということで、「タワマンすげー」も「ネットショップいいね!」というのも、泡のように溶け、雪のごとく消える気がする。
元旦に警告された。
タワマン50F、地上150メートル空中で尻出してトイレに座る、しっぽ出してシャワー浴びる、どれだけ危険か。地震イコール停電、停電イコール断水。
50Fを階段で降りるなんて無理。以前のオフィスが21Fで、ものは試しと、螺旋階段降りたことがある。目が回った。二度はないと思った。
命にかかわる。
「ネットショップ」は「安い買い物」の代名詞だった。
しかしインフレ基調の経済において「いいものを安く」というのは「黒い白鳥」というくらい形容矛盾になる。じりじり経営を蝕む。非論理的。
ネットがインフラになったから、わざわざ「ネット」つけなくても良い。「ショップ」。そう、ほんらいの経営力が求められる。
「ネットだから」という「甘え」が通用しない。
1986年の「常識」と2024年のとはまるっきり違う。不適切にもほどがある。クドカン、また面白いドラマ始めてくれた。
1986(昭和61)年の主人公(体育熱血教師、愛煙家)が2024(令和6)年の会社員に向かって言う。
「オレたちは、こんな世の中にしたくて頑張ってんじゃない!!」
配膳ロボットがうろうろする居酒屋で。オーダーのやり方がわからず、炙りしめ鯖200個も注文してしまった。
あらためて見ると、ほんと、2024年ってのはめんどくさい、ややこしい世の中だ。つまらん。郵便局ATMで小銭引き出すと手数料取られるし。
やれパワハラ、やれセクハラ、部下に「がんばれ」「仕事、早いね」など言おうものなら、辞めてしまう。コンプラもあるしね。
今、目の前にトンネルがあって、右は令和、左が昭和とする。
どっちに行くだろう。
どっちかなあ。
令和はめんどくさい。ひたすらめんどくさい。
1986年、巨大地震(阪神淡路大震災、東日本大震災)起こってない。まだ原発爆発してない。コロナ、ない。
インターネット、ない。
ケータイ、ない。
もちろん、スマホ、ない。
SNS、ない。
・・・と、ここまで書いたのが昨夜。
なんか、やりきれない気分だった。
出社した。雲見してたら、朝の空、素敵だ。
ふと、「希望」という言葉が降りてきた。
その後、ある件があり、某ホテルに電話した。
若いフロント担当者はこちらのめんどくさい依頼を真正面から受け止めてくれ、丁寧に、誠意を込めて対応してくれた。
電話終えるときは、お互い、笑顔だった。
令和も悪くない。むしろ、素晴らしい。
それでいいんじゃないか?
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