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会社を辞めて移住までの間の話-キャリア②現場仕事時代-

 前回からキャリア編を書き綴ってまして、新卒で入った会社での経験について主に書かせてもらいました。今しかできないことをやりたい軸に沿うような形で縁をもらい、色んな経験ができた1社目。

 自分の実力不足や社会に出て自分の特性を改めて認識して、結果的に辞めて移住することになったのですが、今回はその辺りの変化と移住までの間期間4ヶ月ほどあったのでその時のことを書いていきます!前回の記事はこちら↓。

ツマラナイ大人になっていた自分

 1社目を3年半で辞めることになるのですが、在籍中はずっと悶々としていたと思います。同期が営業や各ポジションで活躍していく中、僕はパッとせず、既存顧客回りをしている営業マンという感じ。定期的に組織改編があって、役割が変わったり、担当エリアが変わったりして、心機一転がんばるぞ!となっても、長続きせず状態でした。

 営業数字も月間の数字は未達である事が多く、かといって必死に提案をして価値を上げられるほどの馬力もなく、ただただ仕事をしていた状態。学生時代にみた「仕事を楽しんでいる社会人」とは程遠い生活でした。

 そんな生活だったので、疲れやストレスを癒やすように飲み歩きに時間を使ってましたね。飲むこと自体は大好きだったので、大阪の福島や天満のごちゃっとしたサラリーマン飲み屋街によく出没していました。仕事終わりに先輩や後輩、同期ともよく飲みに行ってましたし、週末は友人や飲み友達と新店開拓をしたり、昼間から飲んだりと、、本当に飲んでた記憶しかない。笑

 平日に悶々として週末にお酒で晴らす、という生活は、今思うと不健康まっしぐらでして、、常に疲れは抜けない感覚がありましたし、週末どこかへ遊びに行きたいのに、すぐ疲れてしまって動きが鈍くなる、といった事も多かったです。よく風邪も引いてたし。楽しく仕事してる人って、休日も充実してるイメージありますよね?

 ツマラナイ大人になってしまったなー、と実感した瞬間は今でも憶えていて、駅でハンカチを落とした人が居たのを見て見ぬふりして通り過ぎた自分が居たんですね。普段から正義感の塊ではない(むしろうちの妻はそういうの見かけたらすぐに声かけれるタイプ)のですが、どう考えても自分の目の前に落ちて拾うのが自然な状況にもかかわらず、素通りしてしまいました。急いでた訳でも無いのに。

 その瞬間は拾うか迷ったのですが、「まぁいいや」でやり過ごしてしまい、時間が経ってから何とも言えない虚しさが心に広がったのを憶えてます。「このままじゃダメだ、変わらないと」と決意した瞬間。そこから転職や移住を考えはじめ、行動に移していきます。この話は次回の記事で。

知らない世界を見まくる日雇いバイト生活

 そんな状態から移住先を探しはじめ、運良く京丹後に出会えて移住を決意します。会社を辞めてすぐ移住!という計画ではなく、通いながらじっくり判断をして、決意してから1年後の移住としていたので、会社を辞めてから少し時間が空いてました(妻の退職タイミングと合わせて移住を計画)。

 その間、何もせずのんべんだらりと過ごしてる訳もいかないですし、翌年に結婚式も控えていたので、その資金集めをしないといけません。笑 たまたま妻が僕の大好きだった酒蔵で期間労働の募集を見つけてくれて、真っ先に応募して、採用してもらったのですが、それが始まるまでの2週間ほどを、日雇い派遣のバイトをして小銭を稼いでいました。

 ピンポイントで空いている日に上がっている仕事をネットで見つけて、応募して、決まれば当日現場に行って働く、という日雇いバイトですね。工場勤務や倉庫など、経験したことがない仕事が多かったので面白さ半分怖さ半分、自分の経験の為に日雇いバイトを入れまくる生活。

 衝撃だったのが初めての日雇いで行った運送業の会社。そこそこ大きな会社の倉庫で荷物の仕分けをする仕事だったのですが、事務所に集まって、控え室となる団地(倉庫勤務者や運転手の宿舎?)の一室に案内されます。控室といっても団地の4畳半くらいの部屋に5,6人の労働者が居座っていて、荷物を置くくらいの場所しかありません。

 部屋に入った瞬間から何だか不穏な空気を感じたので案内してくれたスタッフに「貴重品は持っておいた方がいいですよね?」と聞くと「身に付けてください、盗られますよ。」、僕「!!!!!(やっぱり直感は正しかった)」。貴重品を身に付けてお昼ごはんだけ置いて控室を出ると、夜勤明けの労働者たちがゾロゾロと団地から出てシャワー室?お風呂?へ向かっていました。何とも言えない昭和の空気感。。

 こ、この世界は、初めてだぞ、、、!朝8時の爽やかな空気が流れていたはずですが、夕日を浴びてセピア色になった風景が僕の脳内に刻まれました。法人営業してたら絶対に見ない現場だな。。

 他にも、サンドイッチ製造の工場でベルトコンベアから流れてくるサンドイッチにひたすら具をのせながらお局オバサンからイビられたり、別の倉庫の仕分けで扱う商材が重すぎて常にマネージャーがキレながら僕らに指示出してたまに商品ぶん殴ってたり。一緒に働く人達も荒くれ者っぽい人も居れば優しい人も居たのですが、皆さん総じてその場で給料をもらってしまうとパチンコとタバコに日当を溶かしてました。

 今までの人生で出会わなかった人や職場環境との出会いは、僕の働くという価値観を更に広げてくれるのでした。。(田舎の町工場はイメージ通り優しい社長と現場の人が居て楽しかったりもあった)

伏見の酒蔵での3ヶ月間

 日雇い期間も終わり、伏見の酒蔵で3ヶ月の期間限定労働がスタート。日本酒づくりは、冬なのでその時期だけ人手が必要なんですよね。製造はもちろん、作ったお酒を瓶詰めしたり、出荷作業が忙しいので季節労働者をどの蔵も雇うのですが、僕は蔵に入って日本酒づくりをガッツリさせてもらいました。

 これがめっちゃ楽しかった!洗米から蒸し米をタンクに入れて櫂入れ(混ぜる)作業をしたり、麹室にも入れてもらって、日本酒の麹づくりをやらせてもらったりもしました。日本酒づくりの現場は真冬の寒い時期に行う肉体労働で、寒さに耐えながら水を扱う事も多い一方で、麹室では汗だくになりながら麹づくりをする、ハードな職場です。

 だけど、それもひっくるめて僕は楽しくて、美味しい日本酒をつくる為に、蔵のみんなと協力しあいながら肉体労働をすることは、僕にとって清々しいものでした。デスクワーク主体ではなく、身体を動かすこともやっぱり好きだったのだと思います。

 蔵の仕事は5,6名で各行程を回していくのですが、杜氏さんの役割、年長者の役割、僕のような新人の役割、がそれぞれ明確だったので、慣れてくると次の行程を逆算しながら動くとチームワークが上がっていくので、それも楽しい要因でした。辞める時「来月から井上くんが居なくなると思うと不安で仕方ない」と杜氏さんから言われたのはグッときたなー。

 日本酒つくりに関わった3ヶ月間で、いくつか自分が関わった日本酒も出来上がっていたので、搾りたての新酒を味わった時の感動はひとしおでした。今までは営業の立場だったので生産する側におらず、ものを作る楽しさを身にしみて体感した瞬間。

 大好きな日本酒だったのもありますが、蔵開きや商店街の日本酒イベントの出店も手伝わせてもらい、自分がオススメの日本酒やアテとの合わせ方などが、接客する中で自然と出せたのも良い経験でした。好きこそものの上手なれ、という言葉がありますが、好きなものだからこそオススメしたいし、自身を持って話せていたのだと思います。「兄ちゃんが言うてた日本酒美味いわ!」とか「そこまで言うなら買うしか無いわ」といった反応も貰えて、嬉しかったなぁ。

 そんな楽しい時間はあっという間に過ぎ、京丹後へ移住する日がやってきました。移住経緯も含め、また次回の記事で。

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