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相手が理解する気がない話を伝えることの意味

添加物の危険性を伝えようとすると、結構の頻度で『え、気にしすぎじゃない?』、『そんなこと言ったらなんにも食べれなくなっちゃうじゃん』という言葉が返ってきます。
確かにその通りではあるんです。

添加物入りのものを買う価値としては、
・値段が安いから
・味が美味しいから
・体に出ると言っても今ではないし、ある程度は体から排出できると思うから※添加物の量や種類によって排出できないまま蓄積されるケースもあるので敢えて『思うから』という言葉を使っています。
・自分の好きなものが食べていけないことになるのが嫌だから

など。健康面を抜くと、添加物入りのものはそれはそれで価値があります。無添加を選ぼうとすると単価はあがりますし、経済力は人それぞれですから。


私自身、家族で一時期は対立することとなり、だいぶ戦ってきたと思います汗。添加物の危険性に気づいている方は、私の気持ちのようなときがあるんじゃないかなーと。
これはきっと、みんなが知らないような情報を伝えるときも共通していると思います。世界情勢だったり、コロナだったり、政治の内情だったり、国際金融資本の話だったり、、。

人の理解の仕方はそれぞれで、とくに個人から個人へ伝えるときは、
自分の周りの人の間で流行っていたら触発される人とか、
性善説のようなポジティブな話の方が受け入れやすい人とか、
(食べ物の危険性よりも自然食品のよさのほうが伝わりやすい人とか)
どこかの大学の論文や肩書がある人の発言があれば納得できたりする人とか、

色んな人がいるんですよね。
なので、万人に理解してもらうなんてかなり難しいことなんです。
家族でさえも理解しあえないときがあるのに、よっぽど気が合わなければ他人なんてもっと大変です(笑)
だからと言って、じゃあ諦めるのか?と言われると、そういうわけでもなく、少なくとも伝わらないことを伝えようとすることに意味がいないことはないと思います。

どんなに嫌いな人に言われたとしても、どこか頭の片隅に言葉は残っているものです。
同じことを違うとき、違う人に言われると、さらに響くわけなんですよ。
しばらくしてようやく理解できる懸念されてたことが起こってやっと分かったりとか。

それが何回も言われないと気づかない人もいれば、プライドを持ったまま最後まで理解しないままの人もいる。
でも、理解しなくとも、それはそれでいいんじゃないかなって思うんです。
どんな結末にしろ、そこまで意志を固くして周りに流されずに自分で選んで生きようとすることですから。そんなことなかなかできることじゃありませんしね。

相手の健康を大事に思うが故に疲弊しがちなら、自分の不安を優先する必要はないと思います。
気を配っても、なんで分かってくれないの!?とか思って、爆発しちゃいますしね。そういうときは、いったん、お休みしましょう(^^)

気がまぎれることに打ち込んでもよし、
たまにだらだらうちで過ごしてもよし、
眠たければ眠る、食べたければ食べる、
休むために体が求めてることですからね。

ああ、でも、ひとつだけ大事なことが。
これは私も研究中で、相手の気持ちを理解しながら伝えることは大切です。
自分のことを理解する気のない人の話は、なかなか受け入れれるものではないですしね。ましてや自分の反対意見を聞くときとか。そうじゃないでしょうか?
尊敬している人から言われるとすんなり受け入れれるかもしれませんが、そうじゃない人から厚かましく説教されると逃げ出したくなりますよね(笑)

ただ、この点は、私はすっごく苦手なんです(笑)
普段から人の心境の観察はしていかないといけないんだなって思いました。
言葉、表情、その後の態度の変化とか。
自分の発した言葉が相手にとってどうだったかとか。

他人を気にすることと紙一重なところで私は違うと思います。
これを言うと喜ぶんだーとか、これを言ったら怒るんだーとか、こういうときそっとしておいたほうがいいんだーとか、そういう感じでいいんじゃないかと思います。
気にしちゃうとネガティブになりがちになって悪く捉えちゃいますしね。
それと、人のまねを意識しすぎても裏目に出ますから、自分が苦手なことはしなくていいと思います。自分らしさはなくしちゃダメです。


まとめるとこんな感じです。
・理解されなくても伝えることは大事。
・でも、自分の心の余裕の方がもっと大事。
・伝わらなくても意味はあって、決して無駄ではない。
・自分のことを理解する気のない他人の話は受け入れられにくい。


あくまでも私の考えですが汗。

人生楽しく過ごせたらいいですね(^^)


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