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LEARNERSのリプレスに寄せて〜TEENAGE KICKSと阿佐ヶ谷リッキーの思い出 by 与田太郎

KKV Neighborhood #171  Column - 2023.06.15
LEARNERSのリプレスに寄せて by 与田太郎

キリキリヴィラは2014年の12月にライフボールのコンピレーションを最初のリリースにしてスタートした。気がつけば今年で9年目となる。2015年にはCAR10、レーベル・コンピレーション『While We're Dead』、NOT WONKとSEVENTEEN AGAiNのアルバムを発売してレーベルとしても本格的に動き出した。といっても2015年のあいだは僕自身も仕事をしながらのレーベル運営で、現在のように日々の業務に専念するほどではなかった。12月にラーナーズの1stをリリースしたことで事態が動き出した。当時としては異例のヒットとなったCDの追加プレスやアナログの進行管理、取材や情報の発信と増えてゆくリリースや企画の計画などが一気に押し寄せてきたことで、2016年早々にはレーベルの運営に専念することになった。いわばラーナーズの1stに背中を押されたカタチで、もう一度レーベルの運営と向き合うことになった。そういう意味でも今回3回目のリプレスとなったラーナーズの1stはキリキリヴィラにとって大きな意味のある作品であり、また多くの人に愛されたクラシックなのである。今回ラーナーズの1stと2ndのリプレスにあたりラーナーズとの出会いについて書いてみたいと思う。まるで昨日のことのようだけど、もう8年もたってしまった。

Black Lips Japan Tour 2015

ラーナーズとの出会いは2015年6月15日、ラーナーズがはじめて今の5人で演奏した日だった。この日はブラック・リップスの来日をレーベルの企画として行ったその当日だった。キリキリヴィラは設立当初から海外のアーティストの来日公演を企画したいと思っていて、その最初の企画がこの公演だった。ラーナーズはじめキリキリヴィラのデザインを多く手がけているキンちゃん(鈴木KINK均)が以前ブラック・リップスの国内盤のリリースを手掛けていたこともあり、彼の紹介で企画が実現した。ブラック・リップスはガレージ・パンク、インディー、パワーポップがクロスする絶妙なポジションで、当時のキリキリヴィラにとっては理想的なバンドだった。ちょうどバーガー・レコードとレーベル・コンピのカセット発売が進行中でもありバーガーからもリリースしていたブラック・リップスの来日は良いタイミングだった。京都の公演はセカンド・ロイヤルが引き受けてくれ、東京の2日間がキリキリヴィラの企画となった。1日はSEVENTEEN AGAiNとCAR10が決まり、もう1日をどうするかキンちゃんに相談したところ、ラーナーズを紹介してくれた。

僕自身はそれまでラーナーズのことをまったく知らずにいた。チャーべくんについても90年代に僕がワンダー・リリースをやっている頃から名前は知っていたけど話すのはこの日がはじめてだった。90年代前半の東京のシーンでは共通の友人も多く同じような場所にいたけれど、彼がニール・アンド・イライザなどで活躍する時期には僕がロックやインディーから離れレイヴやパーティーに突っ込んでいた。なので不思議なことに顔を合わせる機会はこの日までなかった。

公演当日ブラック・リップスのリハが終わりラーナーズのメンバーがフィーバーに集まった。リハが始まる前にチャーべくんに挨拶をした時点で、僕はラーナーズがどんな音楽をやるのかまったく知らなかった。その直後、30分程のリハーサルを見てすぐにチャーべくんにキリキリヴィラからなにかリリースしてほしいと伝えた。その日はじめてバンドで演奏するというラーナーズはリハを見た時点でもう特別なバンドだった。ラーナーズの魅力はこれまで何度も語ってきたし、知ってる人にとっては分かりきっているので、ここでは僕がキリキリヴィラからリリースしてもらいたいと思った理由をふたつ挙げたいと思う。

キリキリヴィラの活動は2014年の12月にはじまったが、レーベルを立ち上げようという話は2014年の夏に遡る。銀杏BOYZをやめてからしばらく群馬にこもっていた安孫子がようやく人と会うことができるようになり、久しぶりに東京に出てくることになった。そこで僕らはゴーイング・ステディー時代のスタッフで何年か振りに集まった、そこで彼は最近地元で知り合ったCAR10のことや連絡をくれたSEVENTEEN AGAiNのことなどを語り、またなにかのカタチで音楽やライブハウスに関わりたいといった。そこで僕は、じゃあレーベルをやろうよと提案した、それも自分達が良いと思うものしか出さないレーベルを。クリエーションやファクトリーのようなスタイルのアーティストと対等な立場のレーベルを趣味としてやろうよ、と。それから何度かのミーティングをする間に彼がレーベルをやるならこういう音楽を出したいという音源を送ってくれた。そこには70年代のシングルのみのレアなパンクや80年代のパワーポップのシングル曲が詰まっていた。それを聴いた時に僕は安孫子がやりたいことがはっきイメージできた。つまり彼はアンダートーンズの「TEENAGE KICKS」みたいな曲をリリースするレーベルがやりたいんだと確信した。それはサウンドもそうだけど、普通の若者が自分の気持ちをシンプルに伝えるという意味合いとして。

KKV-021VL

ラーナーズの最初のシングルが紗羅マリーが歌う曲ではなく、もっとキャッチーな曲でもなく「TEENAGE KICKS」だったのはこういう理由があった。6月15日のフィーバーのステージでラーナーズが「TEENAGE KICKS」を演奏した瞬間、こんな出会いがあるのかと驚いたことは忘れられない。

そしてもうひとつラーナーズをライブを見て受けた衝撃があった。チャーべくんは当初からラーナーズはパーティー・バンドだと言っていた。そう、ラーナーズのビートはダンス・ビートなんだ。ロカビリーもあればスカもあって、もちろんパンク・ビートもある。僕がはっきりそう感じたのは、86年から87年にかけてはじめて体験した音楽で踊るという体験に直結している。現在ではダンス・ミュージックも普通にポップスと同じレベルで根付いているし、フェスやクラブで踊ることはあたりまえのことになっている。けれど80年代の幕開けとともにティーンネイジャーとなり音楽を聴くことに夢中になった僕がダンスすることに目覚めたのは1986年、阿佐ヶ谷にあったリッキーという小さなロックバーでのことだった。それまで音楽は聴くものだったし、たとえばルースターズやスターリンのライブにいってもステージ前に詰めかけて叫びながらジャンプすることはあってもダンスではなかった。当時よく見に行っていたJAGATARAのライブですら踊るとは程遠い状態だった。

リッキーは阿佐ヶ谷駅東口から線路と並行に走る小さな路地を2~3分歩いた正面にある古いビルの地下にあった。荻窪在住だった音楽好きの先輩が僕をリッキーに連れて行ってくれたのが86年の冬だった。細い階段を降りると右手にカウンターともよべないような流しのついた小さなスペースとテーブルがあり、その後ろにレコードが満載の棚があってターンテーブルがセットされていた。店内は10畳ぐらいのスペースで10人も踊ればぎゅうぎゅうだった。短めのモヒカンにサングラスをかけたマスターのリッキーが一晩中DJをするのだけど、そこではオリジナルのパンク、Oiパンク、ハードコア、2トーンのスカ、サイコビリーとネオ・ロカビリー、それにポーグスやメン・ゼイ・クドゥント・ハングなど当時の音楽雑誌などでは取り上げられることのない数々の名曲がかかっていた。

それまで僕にとって音楽は家で聴くものだったから、好きな曲を大音量で聴くことがこんなにも楽しいものだと、そこではじめて気がついた。同時に最高のパンク・ナンバーは最高のパーティー・ナンバーであり、ダンス・ミュージックなんだということを理解した。そしてはじめてダンスすることを意識した。もちろん最初からフロアで踊れたわけではなく、少しづつビートに合わせて自分の手足をコントロールしてステップを踏んで歌うことを覚えていった。踊ること、ダンスは自然にできるものではなかった。自分で意識しながら工夫して少しづつできることだった。マッドネスの「ワン・ステップ・ビヨンド」やスペシャルズの「トゥー・マッチ・トゥー・ヤング」でモンキー・ダンスをしてストレイ・キャッツの「ランナウェイ・ボーイ」でロカビリー・ダンスをしてコックニー・リジェクツの「Oi! Oi! Oi!」でポゴ・ダンス、デッド・ケネディーズの「ポリス・トラック」でもみくちゃになった。そうやって少しづつ自分が動きたいようにうごけるようになっていった。

87年ごろのリッキーにはパンクス、モッズ、ロッカーズ、さまざまなスタイルの音楽好きが週末ごとに集まっていて、時にはあの狭い店内に入りきらない客が外まで溢れていた。僕が一番通った87年あたりはメテオズやキング・カート、グゥアナ・バッツなんかのサイコビリー、ネオ・ロカビリーとトースターズやデルトーンズ、バッド・マナーズなどの2トーン以降のネオ・スカがよくかかっていた。とにかく気になった曲がかかるとバンド名とジャケットを覚えてすぐに新宿のヴィニール・ジャパンに買いに行った。リッキーに通ったのは2~3年のあいだだったけど、そこで覚えた好きな曲を大音量で聴きながら踊り、パーティーをする楽しさはその後のマッドチェスター、インディー・ダンスを経由してレイヴ、パーティーを経て現在まで続いている。88年あたりからは下北沢ZOOに行きはじめ『CLUB PSYCHICS』や『NEWS WAVE NIGHT』に行きサークルの部室でパーティーをやりはじめ、89年になるとライブハウスで自分のDJイベントをはじめて現在に至る、その原点がリッキーだった。

リッキーの思い出がつまった曲でプレイリストを作ってみた、なんと半年前にSpotifyにはなかったBlubbery Hellbelliesがあった!

ラーナーズのステージをはじめて見た時に思い出したのがリッキーのことだった。最高なロカビリー・ギター、パーティー感のある選曲は阿佐ヶ谷の小さな地下室で聴いた音楽そのものだったからだ。もちろん長くパーティーをオーガナイズしてきたチャーべくんとTA-1くんという二人のDJを擁したバンドがパーティー・バンドでないわけがなかった。

現在は音楽をイヤフォンやヘッドフォン越しに聴くこが中心になっているかもしれないけど、そこそこ大きな音でそれぞれが好きな曲を聴きながら、歌ってステップを踏むことは本当に楽しい。ラーナーズはそんな時にぴったりの曲をいくつも持っている、ただレコードをかけるだけでパーティーはできる。


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2015年のリリース以来CDでもロングセラーを続けている完全なるクラシック・アルバムがカラーヴァイナルで3rdプレスとなります。『MORE LEARNERS』のレーベル在庫は完売となりました、『LEARNERS』も在庫わずかとなります。

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アナログ再発を記念してTシャツも当時の柄で再発します。ロゴ部分はシルクスクリーンプリントのシルバーがきらりと光るデザイン。ボディは肌触りのいい5.6ozの厚手の生地を使用。
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