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太陽光パネルを見て思うこと

 休みの日に、車で走っていると、どう見ても風景に似合わないものがずらっと並んでいるのを目にすることが多くなったような気がします。太陽光発電用のパネルのことです。

 電気自由化が叫び始められたころから、目立ち始め、今では、山や林間、そして田んぼの空き地などにデンと広がっています。

 遊んでいる土地を何とか利用したいという気持ちはわからないわけでもないですが、草木を伐採して、設置したのでは、再生エネルギーを得るためとはいえ、本末転倒な気がします。

 植物が光合成で自分の栄養分を採るかわりに我々に恵みを与えてくれている酸素。わたしたちは、この植物がつくってくれる酸素があるおかげで生きることができます。

 陸上植物が約70%、海上植物(藻や植物プランクトン)が約30%の酸素をつくってくれているといわれている。そして、太陽の光がもつエネルギーを植物が光合成によってエネルギー変換する率は、思っているよりもかなり低く、1%に満たないといいます。植物は、効率良くというよりは、物理的な量で酸素を供給してくれているということらしい。

 もっとも、ミクロな世界で見ると、光合成は、人間では作り出せないほど緻密に構成されたパーツを使って行われているため、それを再現することは相当むずかしいらしい。

 太陽光発電のエネルギー変換率が10%程度だとしても、得られるのは電気のみで、わたしたちに不可欠な酸素は供給してくれません。そう考えると植林や田んぼを削って発電するというのは、いかがなものかと思ってしまいます。

 何よりも、黒色に近いブルーの人工的なパネルがみどりのなかにあること自体が、景観を損ねていると思います。商業地区や都心、工業地帯の空き地などを有効活用してもらえるとうれしいのですが、法規制などがなければ、山間や田んぼに設置する動きは止めようもないでしょう。

 去年、鬼怒川が氾濫して、大きく被害が出たときにも、堤防の役割をしていた山を削り、太陽光パネルを設置していたことが話題となっていました。

あるブームが始まると、景観などは度外視して、われ先に設置し始めるというのは、今に始まったことではありません。看板やホテルなど人の目を引きたいものが設置され始めると、あっという間に景観を損ねてしまいます。

 歴史が、いつも教えてくれているのに、どうして人間は懲りないのでしょうか。経済活動を優先することが、豊かな社会を作り出すとは思えないのです。そこには、欲望はあっても知恵は存在しない気がします。

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