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日本人

 子どもの頃から、『日本は単一民族国家である』と教えられてきました。だから、アイヌの人々を見たときに、日本に先住していた民族が少数残っているのだろうと思うぐらいで、あまり深く考えてきませんでした。

 しかし、ここのところ、縄文時代に関して調べはじめると、日本人というのは、単一民族ではなくて、さまざまな人種が混ざって今まで維持されていることがわかってきました。今回は、そんな話をしたいと思います。

 まず、われわれヒトという種族は、その元をたどっていくと、一つの種に集約されます。ヒト(ホモ・サピエンス)という一つの種です。そして、私たちの祖先は、アフリカの大地にいました。

 ここで、種と人種の違いについて、簡単に触れておきます。種といった場合、生物学上の区分けを意味しています。生物学では、「界>門>網>目>科>属>種」という具合に分類されます。そうすると、私たちは、「動物界>脊策動物門>哺乳類網>サル目>ヒト科>ヒト属>ヒト種」です。

 つまり、日本人も、アメリカ人も、中国人もみな同じヒトという種であり、生物学上では区別がないわけです。つまり、人種とは種の中の亜種ぐらいの違いしかないと言うことです。そして、人種は生物学上の分類ではなく、定義が非常に曖昧なものということになります。それでも私たちは、人種を色濃く分けてしまう性質があるようです。

 種とは、どういうふうに区分けするのでしょう。それは、交配によって代々子どもが出来るか出来ないかで決まります。日本人とアメリカ人の間でも子どもができますよね。そして、その生まれた子どもも、大人になれば、他の人と子どもを作ることができます。だから、同じ種だと言えるのです。ちなみに、馬とロバの間には、ラバという子どもができます。しかし、ラバとラバの間には子どもができません。だから、馬とロバは種ですが、ラバは種ではありません。

 私たちが同じ一つの種であることは、我々のDNAを調べることでも判明しています。

 男性が所有するY染色体をマーカーにして調べていくと、ヒトが誕生してから今までに、枝分かれした系統が、AからRまでの18系統あることがわかりました。DNA的に分類すると、この18系統にさらなる系統内での枝分かれ(例えばO2a系統とかD2b系統など)を加えた数十種のタイプにすべて振り分けられるわけです。

 また、アフリカで生まれた我々ヒトは、アフリカから移動した時期により、5つのグループにまとめることができます。アフリカから移動した時期によって、どの系統がどの時期に世界各地に移っていったのかがわかるのです。その5つの系統とは、アフリカから出て行った年代順に、

・A系統(アフリカに固有)
・B系統(アフリカに固有)
・C系統(出アフリカの第一グループ)
・DE系統:D系統とE系統(出アフリカの第二グループ)
・FR系統:FからRまでの十三系統(出アフリカの第三グループ)

となります。

 このうち、日本列島には、後期旧石器時代にC3系統、Q系統のヒト集団(移動性狩猟文化を持った集団)が、やってきます。この系統の人たちは、氷河時代にバイカル湖湖畔に閉じ込められていた人たちで、気候が暖かくなってきた時期に、移動してきたものと考えられています。しかし、この系統の人たちは、現在では、北海道および東北の一部に見られるものの、日本全体には広がっていません。

 その後、新石器時代にはD2系統(縄文文化を持った集団)、C1系統(貝文文化を持った集団)およびN系統のヒト集団が、やってきます。このうち、D2系統の人たちは、先ほどのY染色体の調査で、日本全国に今でも存在していることがわかっています。1万年以上続いた縄文時代は、この人たちによって築かれたものと思われます。

 そして、最後に、金属器時代以降にはO2b系統・O2a系統のヒト集団(長江文明を持つ集団)、またその他、O3系統(O3e系統は黄河文明と関連した集団)、O1系統(オーストロネシア系集団)などのヒト集団が渡ってきました。

 このうち、O2b系統の人たちは、現在でも5割ほど日本に残っています。この時期は、中国で漢民族が勢力を広げた時代でした。この時、日本にやってきた彼らは、この漢民族に居場所を追われ、ユーラシア大陸を移動して、日本にやってきた集団の一部だと考えられています。そして、この時の集団が中心となって、日本に稲作文化と金属で作った道具や武器を持ち込み、弥生文化を築き、やがて、天皇を主体とした王朝を築いていったようです。同時に、それまで延々と住んでいたD2系統の人たちを弾圧したものと思われます。

 一方、ユーラシア大陸では、漢民族によって、それまでユーラシア大陸に住んでいた系統の人たちは駆逐されていきます。一部日本や韓国に逃げた人たちもいましたが、それまで住んでいたほとんどの系統の人たちは滅びてしまいます。同じ時期に、韓国でも同じようなことが起きており、旧石器時代の人々はほぼ全滅してしまいました。

 ところが、日本では、現在まで、割合にこそ差がありますが、それぞれの時代に移動してきた集団が維持されています。それは、新しく移動してきた集団が、ある程度抑圧はしたものの、漢民族に追われた経験からそれまでの集団と融合する方向に動いた為と思われています。つまり、互いに交配して、系統を混ぜ合わせていったということです。このように、実は、日本列島は、過去に移動してきた集団の系統が非常に多く残っている世界的に見てもめずらしい地域なのです。

参考文献:「DNAでたどる日本人10万年の旅」崎谷満著 昭和堂

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