脳の記憶と呼び水

 「記憶とは連続的なもの」と思っている人がほとんどだろう。この世に生まれて、いつの頃か、おそらく4~5歳くらいからか、自分で覚えている最初の記憶からずっと脳の中の記憶は、今現在まで連続していると、寝ている時間を除けば、生きている限りそれは連続であるはずだと思ってしまう。しかし、日記でもつけていない限り、自分の人生すべてを語れる人は、誰もいないと思う。もちろん日記をつけていても、すべてを記憶しておくことは、難しい。

 それでも、脳はほとんどの部分を記憶しているはずだ。どういう仕組みで記憶をしているのかはわからないが、記憶は、記録というかたちで脳の中にしっかり残っている。それが、どこに記録されているのかを思い出せなくなるので、覚えていないだけだ。いや思い出せないのだ。

 日記を読み返して、記憶が戻るのは、日記が呼び水となって、脳が記憶した場所にたどり着いたに過ぎない。

 同じような勘違いは、頭の中にある地図でもおこっている。頭の中にある地図も連続しいるというふうに思ってしまう。頭の中に入っている地図は、不連続な線の集合体だ。面ですらない。まして三次元となるともっと曖昧になる。

 たとえば、通勤で使っている道。連続しているように思えるかも知れないが、歩いている所、つまり線のみが入っていて、その周りの情報は、けっこう抜けているはずだ。裏道一本入った先がどうなっているのかは、案外覚えていないものだ。いつの間にか、建物が入れ替わっていて、前にどんな建物がそこにあったのか思い出せない、ということが多々ある。まわりの景色になると、そのぐらい、いい加減にしか覚えていない。

 まして、電車の中ともなると、もっと曖昧だ。電車の中では、本を読んでいる人、ゲームをしている人、眠っている人、時間のつぶし方は人様々だ。そこに何があるかを真剣に覚えるために車窓の景色を眺めている人はおそらくいないだろう。つまり、乗車した駅から下車した駅までの間の地図は、電車という箱の中だけなので曖昧そのものになってしまう。

 去年から、土曜日の休みにカメラを持ちながら、関東近辺を歩き回っている。マガジン『散歩の足跡』は、その足跡だ。長寿番組である『途中下車の旅』というのがあるが、実際歩き回ってみると、降りたことのない駅や訪れたことのない場所、公園などがたくさんあることに、今さらながら気づく。

 今週掲載した幸手の権現堂もその一つだし、北綾瀬にある菖蒲沼公園もそんな場所の一つだ。青梅にある吹上菖蒲園となると塩船観音寺のツツジを見に行った帰りに、看板を見つけて、寄ってみたのだが、当然まだ花の咲く時期ではなく、何もない公園を一回りして帰ってきた場所だった。花菖蒲の時期にもう一度訪れて写真を撮ることで、脳の記憶の地図に刻まれた場所となった。

 実は、脳の中にある記憶の地図も当たり前の話だが、脳の記憶の一部だ。日記のようにあるマーキングが目印になって、脳に記録された記憶につながる。すべてが面となって連続して覚えているのではないので、人によっては、記憶した情報を呼び出すのに苦労する場合がある。いわゆる方向音痴といわれている人たちだ。しかし、記憶の地図にたどり着くマーキングの決め方さえ、きちんとできれば、不連続な線でてきている地図は、簡単につながるはずだ。要は、記憶に留めておく目印があやふやなだけなのかもしれない。

 この間、70をとうに越した方にお会いした。その方が、『最近、この歳になって、記憶に残っていなかった小さな子どもの頃の記憶が蘇ってきた』と仰っていた。赤ちゃんから3歳までの頃は、覚えなければならない情報がたくさんある。各器官はそれにきちんと対応できるように体を作っていかなければならない。そうした時期なので、その時点では記憶にたどり着くすべを脳が身につけていない可能性がある。あるいは、脳の負担を減らすために、意図的につながらないようにしているのかもしれない。そこまでやると脳がオーバーワークになってしまうからだ。

 この記憶に残らない時期が過ぎると、脳はその活動を緩やかにするという。この小さかった頃の脳の使い方をずっと続けていると、ヒトは、二十歳までも生きられないといわれている。この時期、そのくらいのハードワークを、脳がしているということだ。

 お会いした方の話に戻ろう。おそらく、この方は、記憶に残っていないと思われた脳の記憶になんらかの方法でたどり着くことができたのだろうと思われる。それが、どういう方法なのかはわからないが、一度つながったら、ちゃんと記憶は蘇るのである。

 だから、方向音痴の方でも、目印の付け方をちゃんと覚えると、まったく問題なく、脳の中に不連続な地図を描くことができるようになると思うのだ。

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