自分をコントロールできないということ
当たり前のことだけど、人の痛みは見ただけでは、自分にはわからない。 だって、見えないんだもの。
同じように、僕の手がしびれていて、長い文章をペンで書くことができないことも、他人にはわからない。
もし、この時代にパソコンというキーボードがついた機械がなかったら、僕は仕事を続けることができなかっただろう。
ふと、そんなことを思うことがある。
30歳の時に煩った無菌性髄膜炎の後遺症である体のしびれは、僕が自分の体を自由にコントロールできないことを教えてくれた。
五体満足の体をいただいて僕は生まれた。子どものころは、自分で自分をコントロールできないなんてことはありえないと思っていた。ひたすら練習を繰り返せば、いつかはできるはず。そう思っていた。
でも、一度ハンディをしょってしまうと、それまで当たり前に、できていたことが簡単にはできなくなる。
昔は、それなりにきれいな字を書いていたんですよ。でも、今は、ミミズが這ったような字しか書けない。
でも、そんなことはたいしたことではない。時間をかければ、何とか人に読んでもらうことができるのだから。
ましてや、パソコンを使えば、伝えたいことを伝えられる。
もう一つ、病気を境に失ったことがある。それは短期記憶力だ。
口頭で言われた数値を覚えられない。人の名前を覚えられない。仕事をする上で、これは当初致命的だった。
しかし、怒られながら、必死にメモをとることで長期記憶として覚えられることを学習してから、それもたいしたことではなくなった。
体のしびれにしても、短期記憶力にしても、他人からはなんで苦労しているのかまったく理解されない。
だって、普通の人は、いとも簡単にできるのだから。
でも、このハンディは、僕に人とは違った見方を与えてくれた。世の中を、人とはちょっと違った視点で見ることができる。
そして、それが、NOTEで書いているエッセイにつながっているんだと思う。
人は、何度でも生まれ変わることができる。何かに気づき、視点を変えて世の中をみることを始めれば。
そうすれば、世の中はまったく違った世界に見えてくる。
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