【読書録・1】高橋哲哉『デリダ』第一章・1 アルジェリアのユダヤ人 デリダ以前のデリダ

【要約】

 ジャック・デリダはいつ生まれたのか?通常の意味では、私たちの哲学者は生まれたときジャック・デリダではなかった。1930年に生まれてからかなり長いあいだ、彼の名前はジャッキー・デリダだった。

 後年語っているところによると、デリダは哲学者として著作を発表しはじめたとき、ジャッキーからジャックにファーストネームを変えた。この名前の変更は「じつは極めて重大な問題」を提起しているとデリダは言っている。さらに、デリダは後年になるまで彼自身が知らなかった第二の名前を持っていた。エリー、がそれだ。ジャッキー・デリダ、エリー・デリダ、ジャック・デリダ、――どれが「本物の」デリダなのか?(286字)


【感想】

 精読をしてみたくてはじめた。段落単位まで分割してタスクにして、それぞれ時間を計る。とりあえず段落の中心となる一文を抜き出せればよしとする。このめちゃめんどうな作業を可能になったのは wrike https://www.wrike.com/ja/ のおかげだ。みんな使おうwrike。

 高橋哲哉『デリダ』の冒頭はデリダに複数の名前があるというところからはじまる。この時点でぐっとくるフレーズがいくつもある。以下に引用する。

・「ジャック・デリダ」が「なかば偽名」なのだとすれば、デリダが大きな影響を受けたと思われるキルケゴールの著作における偽名問題などとも絡んでくる。

・これらの複数の名前以前に、「本当の」デリダなどいるのだろうか?彼はあるインタビューに応えて、「愛とはたぶん、sur-nommer(過剰に名づけること=異名をつけること)にあるのです」と語っている。

・「私のデリダという姓をいつも私はとても美しいと思うんです。そう思いませんか?」

 私事。私は高校で文芸部にいたとき、他の部員のだれもしていなかったことを始めた。筆名を複数持つようにしたのだ。そして作品の色によって使いわけた。

 もうひとつ私事。大学に入って短歌会に入ると、筆名をほぼ実名のように使う知人が多く現れた。短歌の場で接するかぎり、彼ら彼女らは筆名のみで扱われた。後輩のなかにはそれが筆名と未だに知らない人もいるかもしれない。私はその様子を不思議な思いで見ていた。

 こうしたことを印象深く思い出すのはなぜだろう。名前はどこまで・どのようにそのひとを束縛するのかなと思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?