naohiko.yasuda

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【一首感想・12】戸棚より鶏卵むねに抱えきて匿さむ春の草萌ゆるなか 平井弘

 見えたものを書く。  華奢な少年の顔。彼は草のなかにしゃがんで、なにかへ土をかけている。視点が切り替わるとそこには卵が。彼は戸棚からこれをかかえ、小走りに野まできたのだった。少年のきれいな顔にかかる、やわく癖のかかった前髪。  光景のなかで、男の子がなぜ卵を隠したのかは判然としない。私に見える彼の表情はあいまいで読みとれない。胸をうつのは、卵を匿すそのそっとした手つきのみ。  春の草は繊い。卵を割らぬようむねに抱くのも、そのまま野までゆくのも、卵を土に置くのも繊細さが

    • 【一首感想・11】あれは声なりしを ながき気遅れの日をあさがおの咲き昇るかな 平井弘

       まず口語にしてみる。「あれは声だったな ながい気遅れの日のなかをあさがおが咲き昇ることだ」  あれは声なりしをの「し」は直接過去の助動詞「き」の連体形、「を」は文末で使われる間投助詞で詠嘆を表す。ながき気遅れの日をの「を」は格助詞で経過する場所・時間を表す……のだろうか。「気遅れの日のなかを」と訳した。「かな」は詠嘆の終助詞。文法は非常に自信がないが、大きく外してはいないだろう。  そのうえでどのような読みをしたか書く。まず、かつて耳にしたあれは声だったな、という想起が

      • 【一首感想・10】立ちあがるはずみというは花ならば切口に思いあつめむものを 平井弘

         口語に直すと「立ちあがるはずみというのが花であるならば、切口に思いあつめるだろうのに」となるだろうか。立ちあがることは、花が上に向かって咲くのと似ている。上句は体感としてそのように理解する。下句は上句と順接でつながっている。だから上句の理路の流れでうなづく、そうか切口に思いあつめるのか。けれども切口とはどこだろう。  切花での切口は根の側の、水を吸うところだ。ここに思いあつめるというのは水が集まって吸い上げられるイメージと重なる。これもわからないではない。立ちあがるはずみ

        • 【一首感想・9】村よぎるもののちいさき脱落を埋め 戦いのような手つきが 平井弘

           見えた景を書く。山村のなかをなにか不透明なものがよぎる。それはかつてこの村から脱落した、言い換えると失われた存在だ。その欠けた部分を、大きな手が塗りつぶす。手は戦争のように巨大で、人知の及ばない存在だ。  ちいさな脱落は、戦いのような手つきがなすままに埋められてしまう。その無力感がよい。無力でなすがままであることほど気持ちのよいことはない。責任も自己も手放して。  

        【一首感想・12】戸棚より鶏卵むねに抱えきて匿さむ春の草萌ゆるなか 平井弘

        • 【一首感想・11】あれは声なりしを ながき気遅れの日をあさがおの咲き昇るかな 平井弘

        • 【一首感想・10】立ちあがるはずみというは花ならば切口に思いあつめむものを 平井弘

        • 【一首感想・9】村よぎるもののちいさき脱落を埋め 戦いのような手つきが 平井弘

          【一首感想・8】こころおきなく果てたれば妹が火をながす水のうわべのほてり 平井弘

           連作「八月」の一首目。平井弘の歌業から私はこの歌を次のように読む。  先の大戦で兵士たちはこころおきなく果てた。こころおきなく、はもちろん皮肉として。兵士の妹は生き延びて八月に灯籠流しをする。ここでの妹は戦死せずにいられた当時の女性たち一般を指している。  同時にこのような読みもできる。『平井弘歌集』において、妹は戦没者を忘れ、情事に耽る存在として描かれる。そのため、こころおきなく果てるのは妹のこととも取れる。この歌は情欲の場面と重ね合わせられているのだ。そうすると、水

          【一首感想・8】こころおきなく果てたれば妹が火をながす水のうわべのほてり 平井弘

          【読書録・9】高橋哲哉『デリダ』第一章・1 アルジェリアのユダヤ人 ヴィシー政権下の迫害で学校を追放される

          【要約】  デリダが九歳の時に第二次大戦が勃発し、一〇歳になった直後ヴィシー政権が成立する。この政権はクレミュー法を廃止し、ユダヤ人の公的諸権利を剥奪した。なおかつ、ユダヤ人排除政策によりデリダは学校を追放される。  デリダの母語、彼にとって唯一の言語であるフランス語が、それにもかかわらず「他者の言語」であるとは、レイシズムとコロニアリズムとを分かちがたい、こうした他者の暴力の経験から来ている。(191字、60分) 【感想】  サン・トーギュスタン通りつまり「聖アウグス

          【読書録・9】高橋哲哉『デリダ』第一章・1 アルジェリアのユダヤ人 ヴィシー政権下の迫害で学校を追放される

          【読書録・8】高橋哲哉『デリダ』あとがき

          要約がしんどいので息抜き。記録しておきたい箇所のみ引く。 "まえがきにも述べたとおり、本書で与えられた紙幅のなかにデリダの重要テーマを漏れなく盛りこむことは私にはできなかった。デリダとハイデガー、デリダとフロイトないし精神分析、デリダと文学、芸術といったテーマは、それぞれがそれだけで優に一書を必要とする膨大な問題領域であり、ここではまったく立ち入ることができなかったし、デリダとレヴィナスの問題についても実質的な議論は他日を期さなくてはならない。一種の「正義」論としての脱構築

          【読書録・8】高橋哲哉『デリダ』あとがき

          【読書録・7】ドストエフスキー(原 卓也 訳)『カラマーゾフの兄弟』上 第一部 第三編 好色な男たち

          ミーチャ多め。スメルジャコフ初登場。父親にもアリョーシャにも怖がられるイワン。グルーシェニカとカテリーナのやりあいのところがたのしかった。

          【読書録・7】ドストエフスキー(原 卓也 訳)『カラマーゾフの兄弟』上 第一部 第三編 好色な男たち

          【読書録・6】プルースト(吉川 一義 訳)『失われた時を求めて』1 スワン家のほうへ Ⅰ 第一部 コンブレー 一

          「私としては、目には見えない親不孝な手で、母の心に最初の皺を刻みつけ、最初の白髪を生じさせた気がしたのである」p.95

          【読書録・6】プルースト(吉川 一義 訳)『失われた時を求めて』1 スワン家のほうへ Ⅰ 第一部 コンブレー 一

          【読書録・5】ドストエフスキー(原 卓也 訳)『カラマーゾフの兄弟』上 第一部 第二編 場違いな会合

           今回はゾシマ長老のところにみんなで行く話。ゲームの第一章にありそう。『カラマーゾフの兄弟』がラノベというのもわかる気がする。カラマーゾフの血についてラキーチン君が語るところとか「Dの意志」みたいで。  ミウーソフのかませ解説キャラぽさがよい。

          【読書録・5】ドストエフスキー(原 卓也 訳)『カラマーゾフの兄弟』上 第一部 第二編 場違いな会合

          【読書録・4】高橋哲哉『デリダ』第一章・1 アルジェリアのユダヤ人 フランスへの同化が進んでいたアルジェリアのユダヤ人

          【要約】  アルジェリア生まれのユダヤ系フランス人。この条件は割礼、言語、場所の記憶などをとおしてデリダの思想に身体的刻印を刻みこんでいる。  フランスの植民地であるアルジェリアでは、圧倒的多数のアラブ系アルジェリア人は市民権が与えられず差別されていた。しかし一方、アルジェリアのユダヤ人はクレミュー法によりいちはやく市民権を与えられる。  結果、アルジェリアには最上層にフランス人植民者、中間にイタリア人、スペイン人などフランス人以外のヨーロッパ系植民者およびユダヤ人、最

          【読書録・4】高橋哲哉『デリダ』第一章・1 アルジェリアのユダヤ人 フランスへの同化が進んでいたアルジェリアのユダヤ人

          【読書録・3】ドストエフスキー(原 卓也 訳)『カラマーゾフの兄弟』上 第一部 第一編 ある家族の歴史

           読んだ。第一編はメインキャラ紹介。そのうちの五分の一でしかない「フョードル・パーヴロヴィチ・カラマーゾフ」だけで短編小説が書けそうなくらいなのにその密度が永久につづく。

          【読書録・3】ドストエフスキー(原 卓也 訳)『カラマーゾフの兄弟』上 第一部 第一編 ある家族の歴史

          【一首感想・7】薄く胸の疼いてならぬ朝にきて幹を抱く誰にも見せぬ頬して 平井弘

           美少年。「薄く胸の疼いて」は字義どおりには薄く、言い換えればかすかに胸が疼くことだ。しかし、同時にこの発言をしている主体の胸の薄さも想起させる。あばらの浮くような、華奢な。  幹を抱くことは甘えることだ。安心して抱きしめられる相手はこの主体には樹木のみなのだろう。誰にも見せぬ頬は、しんじつ誰にも見せられないのだった。  蓬よりも剝きだしにして 風ふけば裸の腕の葉子が揺れる  平井弘の第一歌集『顔をあげる』には、葉子という人名が出てくる。彼女はほとんど植物と見分けがつか

          【一首感想・7】薄く胸の疼いてならぬ朝にきて幹を抱く誰にも見せぬ頬して 平井弘

          【読書録・2】高橋哲哉『デリダ』まえがき

          【要約】  テクストには解釈しきれない謎があり、そのため複数の読みの可能性がある。そのあいだで選択することが解釈だ。  デリダは他者のテクストの解釈をつうじて自身の思想を展開する。そのため、デリダの解説には、彼の読んでいるテクストも同時に読み解説しなくてはならない。かつ、デリダのテクストは要約を拒むような、謎を残すテクストである。  そのため本書はデリダのすべてを分かるための本ではなく、デリダの彼の思想の核にある「哲学的」モチーフをつかまえることに主眼をおいている。

          【読書録・2】高橋哲哉『デリダ』まえがき

          【読書録・1】高橋哲哉『デリダ』第一章・1 アルジェリアのユダヤ人 デリダ以前のデリダ

          【要約】  ジャック・デリダはいつ生まれたのか?通常の意味では、私たちの哲学者は生まれたときジャック・デリダではなかった。1930年に生まれてからかなり長いあいだ、彼の名前はジャッキー・デリダだった。  後年語っているところによると、デリダは哲学者として著作を発表しはじめたとき、ジャッキーからジャックにファーストネームを変えた。この名前の変更は「じつは極めて重大な問題」を提起しているとデリダは言っている。さらに、デリダは後年になるまで彼自身が知らなかった第二の名前を持って

          【読書録・1】高橋哲哉『デリダ』第一章・1 アルジェリアのユダヤ人 デリダ以前のデリダ

          【一首感想・6】言わなくていいことなのに死者のまま死なせてあげていい筈なのに 平井弘

           発表時の時代背景に照らせば、この歌は70年前の戦争と、その戦没者のことを歌ったものだろう。とりわけ、死者のまま死なせてあげていい筈という部分には英霊という言葉を想起してしまう。しかしここではそうではない仕方でこの歌を読みたい。つまり特定の時代背景を少なからず反映している歌は、それが遠景になっても名歌でありうるか。  この類の歌には二通りの道があるだろう。ひとつは背景の文脈から離れても普遍的な価値を持つもの。もうひとつは文脈を離れると輝きを見出しにくくなってしまうもの。そこ

          【一首感想・6】言わなくていいことなのに死者のまま死なせてあげていい筈なのに 平井弘