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アイドルオタク人生録 vol.1~なんかちゃんは光~

はじめに

 この記事は、あるアイドルオタクについての記事である。

 アイドルならまだしも、何でアイドルオタクを掘り下げるの?と思われるだろう。当然の疑問である。

 私も、はっきりとした答えを持っているわけではない。ただ、このアイドルブームというムーブメントがいつまで続くかわからない中で、「こんな人たちがいたんだ」ということを残しておきたい、と強烈に思ったのがきっかけの1つだ。

 この記事で掘り下げていくのは私立恵比寿中学のオタクとしては比較的有名な「きうり」さんである。

 彼は2024年1月の私立恵比寿中学の大学芸会(大規模なライブ)を最後にアイドルオタクを引退するという宣言をし、きっぱりとXからいなくなった。だが、≠MEのコンサートをきっかけにXに復帰し、2024年3月現在、Xは稼働している。

 結局彼はオタク復帰したが、私が思ったのは、彼のようなオタクがいなくなることで、オタクの生き様は簡単に歴史に埋もれるなということだった。いやいや、友達はずっと忘れないでしょうという声もあると思う。確かにそうだ。

 だが、オタクをスッとやめて、そのまま消えてしまったあなたの友達の中に、個性的だったり、すごいなと思った人たちがいなかったか、改めて思い出してほしい。よく思い出すと、確かに今はもうオタクとして活動していないけれど、すごく面白い人がいたな、でも、その人のことを考えるのはそう言われてみればとても久しぶりだな、という人がいるのではなかろうか。私が言いたいのは、そういうことである。

 断っておきたいが、別に私は彼がとりわけ偉大なオタクだから取り上げたいと思ったわけではない(もちろん、長い付き合いのある大切な友人の一人ではあり、良いところはたくさんある人である)。

 私は彼を一つのモデルケースとして、「アイドルオタク」という人種を歴史に刻み、インターネットの海に投げ込んでおきたいと思ったのである。

 それがこの投稿の本当の意図である。阿佐田哲也の有名な小説「麻雀放浪記」では、玄人(バイニン)という麻雀賭博で生計を立てる人々の話が書かれている。もちろん、今では絶滅している人種である。もちろん小説だから脚色もあるだろうが、彼らの価値観、生き様というものは令和に生きる我々の胸にも響くものがある。同じように、私は、「アイドルオタク」というものを浮かび上がらせて、数十年後に「こういう奴らがいたんだな」ということを誰かに思い出してほしいのだ。

 前置きが長くなってしまった。

 話は、3月のある暖かい日の昼下がりに、千葉県の蘇我駅にて集合するところから始まる。

 昼から語り合いましょうということを漠然と話していた我々は、最初はご飯を食べながら飲みましょうか、と飲みの約束をしようとしていた。しかし、彼も21時から見たいドラマがあるということで、昼に集合し、夜早く解散するという段取りとなった。そこで私は、蘇我駅から少し離れた温浴施設に一緒に行きましょうと指定し、彼もそれを了承した。

 久しぶりに会った彼は、新しく口にピアスを開けていた。駅前のつけ麺屋に並び、互いの近況と、最近のアイドルの話をした。そして食後にコンビニで一服した後、温浴施設への連絡バスを待つくらいなら、歩いて30分ぐらいだし、歩きましょうか、ということになり、まずは私は彼の子供時代の話を聞いてみることにした。

 ※会話文に敬語とそうでないものが入り乱れますが、いつもお互い、だいたいこんな感じで敬語だったり、敬語じゃなかったりしているので、多少読んでいて気持ち悪いかもしれませんが、ご容赦ください。

生い立ち

 彼は、1985年2月に千葉県の九十九里で生まれた。つまり、早生まれの84世代ということになる。その後に86世代に妹が、88世代に弟が、89世代に妹が生まれ、彼は4兄弟の長男として生きていく事になる。
 両親は、父親は自営業で、母親は学校の先生。母親は厳格な教育方針で、家では一切ゲームができなかった。その影響もあり、小学校時代から、友達がするゲームの話についていけず、何となく疎外感を感じていたそうだ。身長は低く、背の順では前から二番目、足も速くなかった。
「そうすると、結構小学校の中では下の部類になっちゃいませんか」
「いや、でも小学生って、ある程度横一列なところがあるんで。そのときはそうでもなかったですよ」

初めてアイドルを見た日

 アイドルのコンサートに初めて行ったのは、2000年5月のこと。彼が高校1年の時だ。
 モーニング娘。の武道館コンサートで、モーニング娘。の4期生(石川、加護、辻、吉澤)のデビューとなるステージだった。
 好きになったきっかけを聞くと、「もう学校でもみんな好きだったし」とのことだった。確かにあの当時のモーニング娘。の流行り方はすさまじいものがあった。私の通っていた中学校では、逆にモーニング娘。みたいな音楽を聴いている人はダサい、という価値観がなんとなく浸透していたが、彼の学校は逆で、みんなモーニング娘。が大好きだったらしい。その中で彼はモーニング娘。のライブに行くことにしたわけである。
 その時の印象に関して尋ねると、「まあ、楽しかったし、すごいなとは思いましたよ」と冷静に話した。推しという概念はわからないが、好きだったのは吉澤ひとみだった、とのこと。
 その後に鈴木亜美にもハマっていて、むしろ好きという点では「鈴木亜美のほうが好きだったかも」と語った。とは言っても、実際、やっていることと言えば、テレビを見て、CDを買うくらいだった、とも。

憧れ「高橋由伸」

「でも、野球も好きだったんですよね?」
「そう、当時はアイドルっていうより野球が好きだったんです」
「割合で言うと野球が8でアイドルが2ですかね?いや、9対1ぐらいですかね?」
「いやいや、10対0です。全然野球でした」

 そう、先にアイドルの話をしていたが、彼の趣味はアイドルではなくむしろ野球だった。
 彼が大好きだった選手は、後に巨人軍の監督にもなる、巨人の高橋由伸選手だった。彼は中学生のころから熱心な巨人ファンで、月に1回程度は読売ジャイアンツの試合を見に行っていた。高橋由伸の守備位置はライト。彼は中学生のころから、最も熱心なファンが集まるライトスタンドで、応援歌を歌う熱烈な巨人ファンだった。
「初めて由伸を見たときは震えがきましたね、うわっ、由伸だ!って」
 彼は身体をブルブルと震わせるジェスチャーをしながら笑顔で語った。
「ライトスタンドで応援していると由伸が目の前に来るんですよ」
 彼はモーニング娘。のライブの感想を言うときよりも、はるかに興奮した様子でその当時の思い出を語った。

「まあ俺にとっては由伸は”憧れ”でしたね」
 彼は、高橋由伸を「憧れ」と呼んだ。
 高橋由伸は、彼にとって特別な存在となった初めての人物だった。

「部活も野球部だったんですか?」と尋ねたところ、
「いや、バスケ部でした」との答え。
 なぜかを掘り下げて聞いていくと、当時はやはりスラムダンク世代で、バスケットボールへの憧れがあった。そして、彼が言うには、「実際にやって楽しいのがバスケで、見て楽しいのが野球」ということだった。
 バスケットボールに関しても、雑誌等で情報を集め、NBAのマイケル・ジョーダン選手が好きになったと話していたが、高橋由伸には全くその熱量では及ばなかったようだ。「実際に生で彼を見られるわけでもないし、やっぱり見るほうで言えば野球が良いですよ」と彼は話す。
 高校では、1クラスだけある難関大進学クラスに在籍していて、他のクラスより授業時間が1時間多かった影響で、部活に入らなかった。

 2003年に高校を卒業した彼は、そのまま大学にストレートで合格した。難関大クラスだったが、進学を決めたのは近所の”Fラン大学”(本人談)だそうだ。
「単位が足りなくて留年しそうなる夢を今でも見ることがあります」

神様「西岡剛」

 話が大学に及ぶと、彼はついに西岡剛選手の話を始めた。
「で、大学生になって、そこで出てきたのが、自分にとっての神様、西岡剛なわけですよ。彼は同学年で、2003年に高校を卒業してロッテに入団しました。やっぱり同学年っていうことで、特別に注目していました」
「彼の何に惹かれたんですか?」
「とにかく”華”があったんです。本当に。華があった」

 知らない方のために、そして知っている方にも改めてお伝えすると、西岡剛とは、(元)プロ野球選手である。2002年にロッテにドラフト1位で指名された期待の新人であった。ざっくりいうと、彼はその後2003年はほんの少し、2004年頃から徐々に試合に出始め、2005年にはスタメンになることが多くなり、2005年の千葉ロッテマリーンズのリーグ優勝、日本一の際には、盗塁王としてチームの主軸選手として大活躍した。その後も2010年までロッテに在籍し、2010年には打率.346という驚異的な数字を残した。2011年、12年にメジャーリーグへ挑戦するも振るわず、2013年からは阪神タイガースに移籍。2013年は122試合に出場しているが、翌年以降は出場試合数も大幅に減り、2018年のシーズンを最後に戦力外通告を受け、NPBの世界からは去ることになる。

「たびたび西岡剛を球場に見に行ってましたが、本格的に火が付いたのは2005年でした。あの年のロッテはものすごく強くて、今年こそ優勝できるんじゃないかという空気と盛り上がりがありましたね。その熱を浴びてスタジアムに通い詰めました」
「通い詰めるってどのくらいですか?週3とかぐらいですか?」
「そんな感じですね。地方遠征もしました」
「そうなるともう完全にオタクと一緒ですね。いつもいる人同士で挨拶するようになってくるみたいな」
「まさにそう。俺のオタクの始まりはここ」
 彼は嬉しそうに話す。
「特に遠征先の応援が楽しかったんですよ」
「それはやっぱり、遠征する熱量のある人しかいないからですか?」
「そう、そのとおり。遠征するファン同士で仲良くもなるし」
「遠征はかなり行ってたんですか?」
「いや、まあ月1回ぐらいですよ」
「お金はどうしたんですか?」
「ひたすらアルバイトしていましたね。結婚式の会場とかになるくらい格式高い中華料理屋でアルバイトしていました」

 彼は熱狂的な野球オタクとして大学生活を過ごしつつ、2007年大学を卒業し、大学で学んだ道にも関連した福祉関係の仕事に就職することになる。
千葉ロッテマリーンズは2005年にはリーグ優勝、日本一も達成するが、(あの有名な「33-4」の年だ)それ以降はリーグ優勝から遠ざかる。

 歩き続けていた我々は、ここで目指していた温浴施設の近くに着く。
 私は、入浴して話の流れが途切れるのも嫌なので、このまましばらく話し続けようと提案した。
「どっちでも良いですよ、ていうかインタビュー上手いですね、なんか自分の人生振り返ってるんで俺も楽しくなってきましたわ」
「いやいや、じゃ、とりあえず向こうに歩きましょうか」

 そうして私たちは温浴施設の周りを歩いていたが、海沿いにベンチを見つけた。そのベンチに腰掛けると、そこからショッピングモールとキラキラ揺れる海が見えた。私たちは歩きながらではなく、海沿いのベンチに座って、話の続きをすることにした。

「チームとしては2005年がピークでしたけど、俺の熱量は年々上がってったんだよね。あと、正確な年は覚えてないけど、オフシーズン、12月ぐらいに西岡剛がファンミーティング的なものをするようになって。一人2万ぐらいだったかしてまあまあ高いんですけど、それもとにかく行きました」
「まあ、遠征1回分我慢したら行けますからね、そりゃ行ったほうが良いって判断にはなりますよね」
「そうそう。で、これがもう女性ファンだらけ。95%以上女性ファン。当時西岡ってめっちゃイケメンって評価されてて、ホストみたいな真っ黒いスーツで登場したんすよ。そしたらそれで女性ファンで失神した人がいて」
「マジすか」
 笑いながら、彼はスマホの写真を見せてくれる。
 その写真は、平成という一時代前の古さはあるものの、確かにカッコいいと言えるものだった。普段のユニフォーム姿とのギャップにやられて失神する人がいても、まあ、理解はできるなというルックスだった。(のちに調べたところ、2006年の出来事のようだった。)

「で、ついに2009年にはじめてキャンプに行くんですよ。石垣島に」
 千葉ロッテマリーンズは2009年よりキャンプ地を石垣島に移していた。
「キャンプまで行くって相当なオタクっすね」
「そう。それって試合見に行くのとは違っていて、やっぱりその人に会いに行くっていう意味合いが強くなるわけで。初めてキャンプでサイン貰った時、緊張しすぎてめちゃくちゃ胃が痛くなった。あんな風になったのは、人生で西岡剛と、(私立恵比寿中学の)仲村悠菜だけですね」

「ちなみに、認知とかあったんですか?」(認知とは、相手から顔と名前を憶えられていること。アイドルオタク用語の1つ)
「野球選手は特典会とかないですからね・・・でも、ありました。」
「どうやって認知取るんですか?」
「基本は出待ちです。アイドルだったら絶対ダメだけど。まあ野球選手はその辺許されてるとこあったから」
「なるほど」
「遠征とかも、よく行ってると、たまに選手と同じホテルだったり、飛行機とかが一緒になることもあったんだよね。実際1回は飛行機で隣の隣の席が選手だった時もあったし。あとは、喫煙所で選手が来る。選手に火、貸したこともあったな」
「そういうときって選手から話しかけてくるんですか?」
「いや、選手からは基本来ないっすね。こっちから話しかける感じで」
「ていうか、キャンプとかってよく休み取れましたね。福祉系の仕事なんでしたっけ」
「うん、まあ3,4日だけだから、取れたよ」
「なんで福祉の仕事を選んだですか?」
「懺悔だね」
「懺悔?」
「ばあちゃんをお世話してあげられなかったから。年齢的には全然長生きなんだけど、ばあちゃんが亡くなった時、俺そのときすごく泣いたんだよ。もっとお世話してあげたらよかったのに、って」
「それはいつの話ですか?」
「2000年、かな」
「高校生の時ですね。じゃあ、大学で福祉系に進んだのもそういう意図があってってことですか?」
「そうそう、そっちの道行きたいなって思ってたところに、近所にはいれそうなところがあったからだね」

 話は戻る。

「で、2012年に、とんでもないことがあったわけで」
「例の話ですか」
「そう。西岡剛のファンミーティングで、彼が話している最中に、『おい、ちょっと来いよ』ってと言われて急に俺のこと指差して、ステージにあげられたの。え、ほんとに自分ですか、って感じで確認したんだけどやっぱり自分のこと言ってるみたいで。で、ステージ上で西岡が肩組んで、『みんなに紹介するわ、こいつは昔から来てくれてる俺の一番のファンや、もはやダチみたいなもんやな』って言ってくれて」
「Twitterで言ってるの見ましたけど、それマジでヤバすぎません?それ、絶対めちゃくちゃうれしかったですよね」
「もちろん、もうめちゃくちゃ」

 オタクとして最高の瞬間を彼は一方で冷静にこうも語る。
「まあ、女性ファンがほとんどの中で、同性だったのもあるとは思いますよ。女性一人だけステージ上げられたら嫉妬とかもすごいだろうし」

「ちなみに、西岡剛選手のオタク仲間で友達はいたんですか?」
「数名いました。女子もね」
「いまならきうり会とか言って全員分の飲み代出させられるやつっすね、ほら、アイドルでえぐいレス貰った人が全おごりするやつ」
「はいはい、まあ、当時は別にそんなことしなかったけど、確かに今だったらそうだね」
「ちなみに、きうりさん、名前って、なんて名乗ってたんですか」
「・・・すかいくん、だったかな」

 2013年には西岡剛が阪神タイガースへ移籍したことから、彼は阪神タイガースのファンになった。甲子園にはそれほど行かなかったが、東京ドームや神宮球場というアウェー戦に積極的に応援しにいったそうだ。
「きうりさんって、昔はジャイアンツのファンで、ガッツリ応援歌歌ってたレベルのファンなのに、今度は逆の方で応援してるってすごいっすね」
「そうそう、阪神ファンになって今度は読売倒せってやるわけ。思うに、俺の単推しというのはここで養われたと思うよ」
単推し、というのは、一人だけを推すということである。確かに、彼は自分の好きなグループでも興味のないメンバーにはあっさりと興味がない、という態度で、昔から、興味ないメンバーはSNSもフォローはしない、というスタンスであった。
「プロ野球ファンは、普通はチームで応援しますよね。巨人ファンは誰が抜けようと巨人を応援する。普通はチーム、つまり箱を応援するわけですよね」
「そうそう。でも俺は違う。選手についていくんだよ」

アイドルオタクへ

「で、その話から時間的には戻るんだけど、2009年にAKB48を知ったんだよね。『言い訳maybe』のとき」
「ああ、あの時ですね。ちなみに誰のオタクだったんですか?」
「優子」(注:大島優子)
「大島優子は、結構積んだんですか」
「いや全然。数枚だよ。優子は、とりあえず行ってみるかって握手会行ったんだけど、もう地獄で。数秒の握手のために9時間も待った」
「じゃあ体験としては最悪だったわけですか」
「まあそうだね。でも、ライブも見たいと思った。握手会にはミニライブもあったんだけど、もう人多すぎて全く見えなかったわけ。それで、2010年の代々木体育館のライブに初めて行った。板野が前田敦子のケーキ落としちゃうやつ。そこで初めてMIXも聞いて、うわっなになに、ってなった。んで、確かそのころには平嶋夏海に推し変してたかな」
「平嶋夏海ですか。名前は知ってますが、顔がわからないです」
「彼女は渡り廊下走り隊にも入ったんだけど、それがとにかく楽しくて。雰囲気っていうのかな、あれが、エビ中の2014年の握手会とかとほぼ一緒で、すごくちょうどいいというか」

「平嶋夏海は、俺のオタクとしての母なんだよね」
 彼はそう語った。
 平嶋夏海に認知があったか尋ねると、「わからない、少なくとも今は向こうは覚えてないと思うよ」と。積んだ枚数は20枚か、30枚程度と、オタクとしては控えめな枚数ではあった。
 彼はここで生誕委員というものを初めて経験することになる。(生誕委員とは、アイドルの誕生日に合わせて、フラワースタンドを出したりメッセージカードを出したりする企画をファン同士が集まって考え、カンパしあって実行する組織である。地上アイドルでは数十人規模になることも珍しくない。むしろ100人を超えるケースもあるだろう)
 ただ、平嶋夏海は、2012年にスキャンダルが出て、即AKB48を脱退となる。それから、彼はSKE48の小木曽汐莉に通い始める。
「小木曽汐莉は、僕の歴代の推しメンの中でも相当美形ですよ」

 そこで彼はポツリと言った。
「この辺かな、AKB前後で、野球とアイドルの熱量が逆転し始めて」
「それは、西岡の調子の話も関連してますかね」
「してるだろうなあ」

 西岡剛は2011年、12年にメジャーリーグに挑戦している。そして、あまりそれは良い結果だったとは言い難かった。彼は西岡剛を見に行くために2012年、渡米したが、あいにく西岡剛は1軍におらず、西岡選手を見ることができずに帰国する。
 その後、西岡選手は2013年に阪神タイガースで日本プロ野球界に復帰する。2013年はなかなかの好成績を残すが、その後はなかなか以前ほどの活躍はできず、徐々に出場機会も減っていった。

 彼がSKE48の小木曽汐莉の卒業後にハマったのは、AKB48の髙島祐利奈だった。当時彼女は研究生で、彼女に対しては100枚以上のCDを買うようになった。2014年に卒業するまで、彼女を推していた。

髙島祐利奈

「急に20枚から100枚になったのはなぜですか?お金が増えた?」
「いや、増えてないな、やっぱ熱量だと思う。研究生の時から推せたっていうのは、でかかったかもしれない」

 そういえば、2012年から2013年と言えば、ももクロが大旋風を起こしていたころである。私はももクロについても尋ねてみた。エビ中に行きつくオタクのほとんどは、ももクロ経由だったからだ。
「ももクロはどうでした?2012年あたりって紅白出たりしてすごかったじゃないですか」
「ももクロも行ってましたね。AKBのオタク友達と、面白いらしいから行ってみようって。面白いなって見てましたよ。あーりん(佐々木彩夏)が好きでしたね、ああいう系の顔が好きなので」

 これまで大島優子、平嶋夏海、小木曽汐莉、髙島祐利奈、という推しメンの名前が出たが、何年から何年というのは彼にも正確にわからないようだ。ただ、やはり多くのオタクと同じく、ある程度は同時並行であった、ということである。

中山莉子との出会い

 時代は2014年まで戻ってきた。であれば、次はエビ中(私立恵比寿中学)だ。もう私が知る年代になる。私はエビ中について尋ねた。
「そろそろエビ中ですね。2014年にかほりこ(小林歌穂、中山莉子)が入りますから」
「あ、そうなんですけど。入ったときとかは全然知りませんでした」
「あ、そうなんだ。じゃあ、4月の武道館にも行ってないってことですよね」
「うん、行ってない」
「知ったきっかけは?」
「2014年の6月ごろかな、あんまり覚えてないんだけど深夜番組にエビ中が出てきて、ツインテールのロリ系の子が出てきて、うおおおって、一目惚れ。すぐインターネットで検索して、中山莉子って知った感じ」
「なるほど」
「初めて行ったときは、スタダの現場だ・・・、ってなんかビビってて、とりあえずお試しで100枚、やってみるか、って感じで」
「あの当時100枚買ってる人そんないなかったっすよね」
「そう、AKBの感覚があるから、100枚ぐらいみんな買うだろ、って思ってた」

 それから彼は、2014年~2016年ごろまでは中山莉子をメインとして通うことになる。そして、それから他の現場に行っているときでも、一番は中山莉子、とずっと公言することになる。2023年に仲村悠菜に推し変をするまで。

「で、そこからは莉子ちゃんをずーっと推して。まあ、適宜他も行きつつ。でも莉子ちゃんは外せないって感じで」
「ですよね、知ってる範囲で言うと、いぎなり東北産の律月ひかる、NegiccoのNao☆、超ときめき♡宣伝部の菅田愛貴、日向坂46の金村美玖、≠MEの冨田菜々風も、1人ずつハマって行ってますよね」
「そうそう」
「で、これが18か月理論ですよね。18か月以上現場が続かない、っていうやつ」
「まあ、そうだね」
「で、最後が、エビ中の仲村悠菜」
「そう。でも、ゆちゃん(仲村悠菜)は最後一本にした。莉子ちゃんから正式に推し変した」

 18か月理論というのは、彼がエビ中以外の他の現場にハマっても、18か月ぐらいするとすぐに飽きてしまう、ということをちょっと意地悪にいじった理論である。確かに上記の推したちは、ハマって18か月目前後しか持っていない。なので、これらの18か月理論は相当に信ぴょう性がある。
 一説には、恋愛状態の快楽物質が出るのが18か月ぐらいらしく、その脳内麻薬が切れるからではないか、とも言われている(私が提唱している説だ)。ただ、補足すると彼はアイドルにガチ恋するタイプではない。よって、私も、彼が疑似恋愛していて、その恋の期限が来て飽きている、などと言うつもりはない。とはいえ、間接的にせよ、何かしらその時間が関係しているのではないか、というのが私の推論だ。

中山莉子という記憶

「それにしても、中山莉子が18か月以上続いたのって、なんでですかね。もしかしたら・・・、ちょっと言い方悪いですけど、やっぱり、強くて有名なオタクになったから、ってのはありますかね。やっと努力してつかんだ地位だから、簡単に手放したくないというか」
「それは正直、否定できないところはありますが、ただ、やっぱりライブ中のパフォーマンスが最高だったんです。野性味があるとか、いろいろ言われてると思いますが、彼女のライブを見てると自分の感情表現全てをさらけ出せるんです。そういう意味では本能的なものです」
「なるほど」
「彼女がロリ系から大人の美人になる過程で離れてもおかしくなかったんですけど、それでも離れなかったのはそこが大きかったと思いますね」
「他のメンバー推してる自分からしても、中山莉子のビジュアルとパフォーマンスって本当すごいなって改めて思うんですよね、最近いろんなアイドル見て、エビ中に戻ってきたときにすごく思います」
「そうなんですよ、本当に莉子ちゃんってすごいんですよ」
「やっぱりそういう意味では他の推しメンと比べたときにパフォーマンスは中山莉子がダントツですかね?」
「はい、なんかちゃん(冨田菜々風)は同じくらいすごいかもしれないですが」
「でも、中山莉子から仲村悠菜に推し変したじゃないですか、それってなんでですか?改めてなんでかもう少し深く聞きたいんです」
「そうですね、はっきり論理的には答えられないんですけど・・・。仲村悠菜ちゃんのデビューライブから、みるくてぃーって色の服を着ていて、2人推してるような状態だったんですけど」
「っていうか、ほぼ仲村単推しの服装ですよね、一応リストバンド水色はつけたままで」
「そうですね、まぁ、外見は仲村推しそのものですけど、建前は二人推しているっていう感じでした。でも、正直、ライブになると悠菜ちゃんを見ているのに、莉子ちゃんパートで身体が勝手に動いちゃうんですよね。それは9年も見てたこともあって、もう慣れみたいなものもありますけど、やっぱりそれだけ莉子ちゃんのパフォーマンスが凄かったんです」
「でも、それでも推し増しじゃなくて、推し変した理由はどこにあるんです?」
「いや、最初は推し増しってことにはしてたんだけど・・・。でも、他のメンバーからいじられたりして。あと、莉子ちゃんはわりと嫌そうにしてて、推しメンを一人にしないと悪いなとは思ったんだよね」
「なるほど。中山からはそういう反応だったんですね。仲村から何か言われたことはあるんですか?」
「悠菜ちゃんからはないです。ただ俺がもともと中山莉子ちゃんにガッツリ通ってたことは知ってたとは思います」

「なるほど。推し変をしようと決めたのはいつなんですか?」
「ニュージーランドの時だね」
「どんなことがあったんですか?」
「悠菜ちゃんが俺を見て、本当にうれしそうに笑顔で迎えてくれたんですよ」
「それは、特典会か何かの時に?」
「そうそう、その時まで悠菜ちゃんは、俺のことを中山推しと思っているような遠慮があったと思うんだよね。でも、その時に"自分のオタクだ"と受け入れてくれた感じがした、それがうれしくて、それ以来、仲村推しとして一本にしよう、と思った」
「結局水色のリストバンドはいつ外したんですか?」
「エビ中の新春大学芸会のあとだね」
「結局推し変しても水色付けてたんすね」

「今、中山莉子に対して何を思います?」
「感謝と大好きという気持ちです。オタク人生を振り返ったら一番に顔が浮かぶのは莉子ちゃんだと思いますね」
「なるほど、やっぱりそういう意味では中山莉子は、特別な存在だったし、それだけ刺さったんでしょうね」
「はい。そう言える推しに出会えたことは幸せでしたね。18か月理論を超越したのは莉子ちゃんだけなんですよ」

 ここまで話して、じゃあ、一旦2024年まで戻ってきたことだし、そろそろお風呂に入りましょうか、ということになった。

 靴を脱いで玄関を上がると、下足ロッカーで彼はうろうろしている。どうしたの、と尋ねると「いや、悠菜の誕生日が0529だから、(番号)ないかなって」と、番号を探していた。
 下足ロッカーの番号に529はなかった。彼は空いている「12」(中山莉子の出席番号だ)に靴を入れると、フロントへ下足ロッカーの鍵を預けた。

 トイレに行ったり煙草を吸ったりしてタイミングもずれたので、互いを待つことなく、別々に入浴することにした。日曜日の14時ごろのスーパー銭湯は、多くの若者でにぎわっていた。黙浴の掲示もなく、数人の若者の話し声が響いていた。コロナ前と同じように。

 私は一人で身体を洗いながら考えていた。

 彼は中山莉子でTO(一番強いオタク、トップオタク)と呼ばれるほど有名なオタクとして知られていたが、なぜ彼はそうなったのだろう。意図的になろうとしたのだろうか、そうでないのだろうか・・・。
 彼は野球ファン時代やAKB48ファン時代にはそれぞれの名前があったが、どうしてエビ中のオタクになってからどの現場でも「きうり」という名前を使うようになったのだろう。

 洗い終わり、浴槽に使っていると、身体を洗い終えた彼がやってきた。そして、私は上記の疑問をぶつけることにした。

「きうり、っていう名前を、エビ中以外の現場でも変えなかったのはなぜですか?」
「名前が広まったから、だね。どの現場行ってもエビ中のオタクがいるし、今更そこで変えようとは思わなかった」
なるほど。それは確かに言われてみればそりゃそうだ。

「中山莉子に関してですが、きうりさんは強いと言われるオタクだったし、TO候補には絶対上がる人でしたよね。それって、意図的に一番を目指したんですか?」
「そうだね、やっぱり好きな子の一番になりたいと思う気持ちはありました」
「なるほど」
「一気に有名になったのは、2ショット撮影会、あれが1回8000円ぐらいした時代に、全ての部で撮影して、もちろん全会場行って。それをアップしたんだよね。そしたら、なんだこいつ、ってなるわけ」

中山莉子との2ショット撮影会

「ああ、エビ中の金八の撮影会ありましたね。2015年の。僕も福岡まで行きましたよ」
「そうそう。で、特にペコペコリーヌ(中山莉子のソロ曲)の衣装を着てエビ中の仮装イベント(T-SPOOK)に行った。あれで相当有名になったのかなあと」
「あー、見たことあります」
「そういう感じでどんどんフォロワーとかも増えて。なんか目立ちすぎて生誕委員とかのオタクに目を付けられて、毛嫌いされてたみたいだけどね」

ペコペコリーヌ衣装を着て、仮装イベントに向かう彼

 そうして彼は中山莉子の有名オタクになっていった。私が彼に出会ったのもそのころだったように思う。

「で、有名になると、会場とかで『うわ、本物のきうりさんだ』みたいな声が聞こえてきたりもするわけ。あと、俺がフォロバ(Xのフォロー返し)すると、その画面スクショして『震えた』とかってツイートしてくれる人もいたりとか。まあこういうとあれだけど、正直承認欲求っていう点では結構気持ちよかったよね」

 風呂が熱い。身体が火照ってきた。椅子に座り続きを話す。

「オタクとして目指す人っていましたか。ロールモデルっていうか、師匠みたいな人って」
「いや、ロールモデルとかはいないね。でも、こういう人になりたいなっていう人はいたよ。髙島のオタクで」
「どんな人でした?」
「すごく謙虚で、推しの幸せのことを考えてる人だった。俺が俺が、っていうタイプじゃなくて、生誕委員とかでも、周りに押し上げられる人って感じ」
「なるほど、かなり良い人ってタイプのオタクなんですね」
「そうそう。俺もすごく尊敬してた」

 中山莉子の話。
「そういえば、正直、莉子ちゃんと相性は良くなかったというか、そんな好かれてたわけじゃなさそうってよく言ってましたよね」
「そうだね。でもさ、2回目の写真集のイベントが去年(2023年)あって、お渡し会行ったとき、俺がね、『今日みたいな莉子の個人の現場、2015年から数えて今日で50現場目だったんだよ』、って話したんだよ。そしたら、向こうがさ、『そんなに?全部来た?』って。俺は『うん』って答えた。そしたら、『さすが』って笑顔で返してくれたんだよね。ああ、こういう信頼関係みたいなものがあったんだなって胸がキュってなったね」

 椅子に座っても暑い。露天風呂に出て、我々は寝湯に浸かることにした。

「そういえば、きうりさんってガチ恋しないタイプですよね。今までのアイドルの中で、ガチ恋したことってあります?」
「あるよ。1回はNegiccoのNao☆ちゃん、もう1回はベボガ(ベースボールガールズ)の水沢心愛。赤(メンバーカラー)ね」
「ああ、Nao☆ちゃんはガチ恋スイッチ入ったところで結婚決まったってやつっすよね、覚えてる覚えてる。ベボガにガチ恋してたんすね、あの時みんな一時期ベボガ行ってたなあ、2016年頃でしたっけ?」
「2015年だね。みんなで行って、みんなですぐ醒めて。やっぱエビ中だなーとか、BiSHだなーってそれぞれの現場に戻っていったやつだね」
「ガチ恋だったらみんな来なくなっても一人で行きません?」
「まあその辺は、なんか自然に行かなくなった。それ以来地下も行ってない。なんかね、自分の場合、節目で行く気が急に失せる感じがあって」

「オタクをやめようと思ったのはなぜですか?」
「やっぱり、オタクってずっとできるもんじゃないとは思ってたんだよね。いつかやめなきゃいけないとはずっと思ってて。で、もう1年前ぐらいから辞めようと思ってた。そこに出てきたのが、仲村悠菜だった。自分の好みドンピシャで、オーディションのときからかわいいって思ってた。間違いなく大物になる子だって思って、この子の1年目を見て、それでオタクやめよう、って思った」

 彼は2023年、オタク最後の年と決めて、エビ中の現場を(原則、告知されているものについては)海外遠征を含め全通した。

「1年でオタクやめるっていうのは本人には言ったんですか?」
「まさか。言わないよ。野暮だし」
「じゃあ、今ごろ、どうしてあの人急に来なくなったんだろうって思ってるかもですね。まあ、それか、何も思ってないか、もしかすると、もう全部知ってるか。今も未練はあるんですか」
「今はほんとやり切ったって感じで未練はないね。オタクしてきて2023年が一番楽しかった。悠菜の成長を近くで感じられて。レスを覚えたなとか、そういうのも全部感じられたし」

 その時彼のロッカー番号が見えた。彼の浴室のロッカーの番号は仲村悠菜の誕生日である「0529」であった。

「仲村悠菜で一番になろうとは思わなかったんですか?あと冨田菜々風についても」
「思ったよ。思ったけど、無理だったね」
「なぜですか?」

 彼はそれぞれの推しメンについて、自分が絶対に勝てないと思ったオタクがいたから、とそのオタクの話をしてくれた。若さ、執念、相性、推しからの好かれ具合…など、いろいろな強いオタクたちがそれぞれにいて、絶対にかなわないと彼は思ったそうだ。
「何より、想いの強さが違ったなと思ったんです」

 露天風呂にはテレビがあり、競馬中継が流れていた。メインレースは阪神大賞典。画面は遠く、番号はわからないが、1着の馬が2着を大きく引き離してゴールしていた。アナウンサーが実況する大きな声は、何を言っているかまではわからなかったが、遠く、我々のいる寝湯まで響いていた。

冨田菜々風という光

「きうりさん、歴代の推しメンで、誰が一番なんですか?」
 核心に迫ってみた。
 すると彼は間髪入れず即答した。
「推しメンはみんな好きだし選べないけど、一番すごいアイドルは冨田菜々風だね」

 私は一番を聞いた時の答えが、彼が数年間の間一度も外すことなくラバーバンドを付けていた中山莉子ではなく、冨田菜々風だったことに少し驚いた。
 彼はいつもなんかちゃん(冨田菜々風の愛称)は光、と言い、「なんかちゃんは光」といううちわまで作っていた。その「なんかちゃんは光」という言葉はエビ中のオタク界隈でも知られる一種のキーワード・呪文となっていた。

「オタク辞めて2か月して、誰に会いたい、って思ったかと言えば、なんかちゃんだった」
「それは、3月にノイミー(≠ME)の周年コンサートがあったからではなく?」
「それは否定できないけど、でもなんかちゃんは特別な存在だった」

 彼の推しメンは、ロリ系が多い。彼はアイドルでは子供っぽい子が好きだ。そして、決してセンターに立つタイプの子を深く好きになるということでもない。実際、≠MEでも入り口は永田詩央里というロリ系に分類されるメンバーであった。
 しかし、彼は冨田菜々風に強烈に惹かれ、推すことになった。18か月理論で言えば、彼の冨田菜々風への興味はとっくに失せているはずである。実際、彼はだいたい18か月で冨田菜々風の現場に行かなくなり、エビ中の仲村悠菜に通った。冨田菜々風はもはや、前の現場の、前好きだった女であるはずだった。だが、彼は一番を尋ねると冨田菜々風と即答した。

例外理論

 私が常に提唱している理論の1つに「例外理論」というものがある。オタクはある程度自分の好みがある。例えば、ロリ系というのも1つだし、ロングヘアが良いとか、歌が上手い子が良いとか、そういうものだ。
その好みに外れた子にハマった場合、沼る確率が高くなる、というものである。
 これは、アニメで考えるとわかりやすい。アニメでは、結構明確にキャラ分けがされる。しっかり者、天然、ツンデレなどなど。だいたい、ツンデレが好きな人はどのアニメを見てもツンデレキャラが好きになるものなのだ。
アイドルではアニメほどの明確なキャラ設定はないが、グループの中でどういう子を推すか、というのはある程度傾向があると思っている。
 彼の場合、その好みは、ロリ系の子だった。そしてセンターという主役級よりは、名脇役だったり、グループのスパイス的な立ち位置を担う子だ。大人っぽい子で、かつセンターを推すという経験は(CDを100枚単位で積むようになってからは)ほとんどない。しかし、冨田菜々風は≠MEの正真正銘のセンターであり、どちらかといえば背も高く大人っぽい部類である。彼女は彼の推しメンの中では例外である。
(金村美玖は大人っぽく、中心人物であるという反論もあるかもしれないが)

憧れ、華、光

 私はどうして彼が冨田菜々風にそこまで惹かれるのかを考えた。そして一つの結論にたどり着いた。
「きうりさんにとって、なんかちゃんはもう女性アイドルの枠じゃないのかもしれませんね。つまり、こういうことです。きうりさんにとって最初の神様みたいな存在、それが高橋由伸でしたよね」
「うん」
「で、その後が西岡剛」
「うん」
「その後が冨田菜々風なのでは?」
「あぁ・・・ああ・・・確かにそう言われると・・・」
「きうりさんって推しメン崇拝するタイプではないですよね。でもなんかちゃんに対しては「光」とか、「神」みたいなこと言って崇拝しますよね?高橋由伸が”憧れ”で、西岡剛が”華”で、冨田菜々風が”光”っていう。そういう系譜なんですよ、多分。今までのアイドルは、女の子として、顔がかわいいとか、好みだとか、そういう風に見てきた。でも、そうじゃない。スポーツ選手を見ている感覚に近い、自分の中の強烈な憧れ、そういう存在なんじゃないですか?」
「うわー、そう言われるとそうかもしれない、マジで真理を突かれた感じがする」
 その分析は彼は深く響いたようだった。

 競馬のメインレースも終了してしばらく経った。そろそろいい時間だったので、風呂を上がることにした。
 その後休憩室でゴロゴロしていろいろな話をした。

 彼のスマートフォンの待ち受けは未だに仲村悠菜だった。
「まだ悠菜なんですか?」と尋ねると、
「なんとなくね」と答えられた。

 また私の持病の頭痛がやってきた。光を見ているだけで気持ち悪くなってくる。彼も頭痛持ちだということで、何となくわかるよ、と共感してくれた。薬を飲んで、横になるとずいぶんと良くなった。

 そうこうしているうちに、帰る時間がやってきた。
 彼は21時から、どうしても見たいドラマがあった。好きな女優の出ているドラマだからと見始めたが、すごく気に入ったらしい。クラシック音楽を題材にしたドラマということで、クラシック音楽が好きな私にしきりにおすすめしてくれた。
 バスまではまだ時間があった。我々はまた、バスを待つくらいなら、歩いて行こうということで駅まで歩くことにした。

 帰り際にこんな話をした。

「きうりさんは、どうして主人公、つまりなんというか、発信者とかになろうとしないんでしょうね?オタクの中には、そのままアイドル運営になったりアイドルになったり、様々な面で作る側に行った人っているでしょう」
「俺は本質的にサポーター気質なんですよ。自分がっていうより、誰かを支えたい。人に喜んでもらうのがすごく好きっていうか」
「きうりさんって4人兄弟の長男じゃないですか。つまり6歳のときには下が3人いた。そういうのって影響してませんかね?」
「そこは何とも言えないですね。少なくとも、すごく面倒見がいいというわけではなかった」

そして鹿児島へ

 ≠MEの鹿児島公演が2024年5月10日に予定されている。鹿児島は、冨田菜々風の出身地。彼女にとってはグループ初となる凱旋公演となる。彼は東京公演等は行かず、ピンポイントでそこに行くことを決めている。

「鹿児島、昔行ったときすごく良い街だと思いましたよ」
 彼は、冨田菜々風とのオンライン2ショット会で、冨田菜々風の故郷である鹿児島までわざわざ飛び、背景に桜島を入れて撮影することにしたという相当変わったオタクである。
「それにしても2ショットの背景のためだけに鹿児島行くってかなり狂ってますよね。でも、これも結局喜んでもらいたいからなんですか?」
「そう、なんかちゃんが喜んでくれたらそれでいい」
「やっぱ根本には人に喜んでもらいたいっていうのがあるんですね」

冨田菜々風とのオンライン2ショットでは、桜島を背景に

 遠くに駅が見えてきた。あと少しで駅に着く。
 私は鹿児島のライブに行く予定はない。
 平日開催のライブで休みが取れるかわからないし、今メインで通ってるのはニアジョイだから。

「5月10日、楽しそうでうらやましいな。きうりさん、ライブ見たら答えがわかりますよ。なんかちゃんに対する想いが、ただの過去の推しメンに対する未練なのか、それとも、彼女が高橋由伸、西岡剛に次ぐ存在なのか」
「そうだなあ、とにかく鹿児島は楽しみですよ」

 そうこうしているうちに駅についた。
 駅の改札を抜け、じゃ、とお互い言って別れた。

 私は帰りの電車の中で、とりあえず聞いた内容を忘れないようにと、メモを書いていた。だが、結局メモは見ずにここまで書ききった。もしかするといい記憶力をしているかもしれない、我ながら。

おわりに

 改めて内容を総括的に見ると、自分が全然掘れてないな、ということに唖然とする。もっと彼の神髄みたいなものに触れたかったな、と。あと、推しメンのどういうところに惹かれたんだろう、とか、そういうところを18か月理論とかで片づけないで、もっと深く聞けばよかったな、とか。

 ただ、収穫がなかったかというと、そんなことはない気がする。
 彼は本当にとても正直に話してくれたと思う。
 中山莉子の有名オタクになって、承認欲求が満たされてうれしかったこと、そして2023年にオタクをやめようと決心して、最高の1年を過ごしたこと、一番になろうとしたけど勝てない人がいたからあきらめたこと、推しメンの中で冨田菜々風だけがどうしても忘れられないこと。
 目立ってTOぶってるやつとか痛いよな、と彼を笑うのは簡単だと思う。実際そう思っている人もたくさんいるだろう。彼にアンチは多いのは彼自身も、私もわかっている。
 でも、誰もが絶対に承認欲求を持っているし、人と比較している。そして、強いと周りから言われるオタクになりたい、と思っている人が大半であろう。
 彼がオタクとして優れている点があるとすれば、それは「やりきった」と胸を張って言えるほどオタクをしたことだ。
 
それは、特に、西岡剛、中山莉子についてはそんな風に見えた。そして最後の推しメンである仲村悠菜についても、たとえ一番になれなかったとしても、1年間告知のあったイベントは全通して、推しメンとの信頼関係が構築出来たと本人が心の中で思い、オタクをしてきて一番楽しい一年だった、と言えるならそれでいいのだ。

 最後に、私自身の話で恐縮だが、私はライブ中も結構冷静な視点というのが忘れられない。熱中しなければならないときに相手に当たってないかな、と考えだしたり、ああ、あの人ペンライト上げすぎだな、とか、そういうことばかりが気になってしまうタイプなのだ。私から見て彼は直情的というか、「今この瞬間」に集中できるオタクに見えたので、うらやましい、と述べた。そうすると、意外な答えが返ってきた。
「いや、実際自分もそっち側ですよ。のめりこめるようになったのは本当に最近かな」

 えっ、今までその感じだったの…?
 彼にはまだオタクとしての成長の余地があるのだろうか。恐ろしい話である。

 2024年5月10日、彼は、オタクとして本格復活するのだろうか。
 冨田菜々風は彼にとって、西岡剛の再来なのだろうか。
 なんかちゃんは光なのだろうか。

 気が付けば私は、5月10日の≠MEの鹿児島ライブを申し込んでいた。

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