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何にウソついてるの?

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 灰色の心の中から浮かび上がる文字。
「私はウソつき」 

 人生それなりにあっだけど、ここ数年、このフレーズが何度も浮かんでくる。
なんでだろう。
人を騙した?ううん、騙すほどの度胸はない。
誰かにウソをついた?それはある。けど、心の中から浮かび上がるような、そんなことなんてない。

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私は母が嫌いでした


 この謎、わかったんだ。
人生の60歳を越えて、病んで、心理学を学んで、セッションをたくさん受けてようやく、です。

 『私は母が嫌いでした』

 そんなこと、別に驚くほどのことじゃないでしょう。お母さんを嫌いな人も普通にいるよって。謎っていうほどのことじゃないよって。

 でもね、私、知らなかったの。自分が母を嫌いだったこと。
セッションを受けて、心の重しが取れたのか。
その次の日、急に浮かんできたの。
「母のことが嫌いだった」

 

その年になって何言ってるの?


 学生のとき、一人暮らししてるよね。仕事についていた時もあるよね。結婚して、引越して、子どもを育てたよね。その子どもがとっくに手を離れている今頃になって、お母さんが嫌いって言ってるの。
どういうこと? お母さんは年取っているんだよ。体も弱って、これからは助ける立場じゃないの。そう、弱い人は助けなくちゃ。

 だからなのか、今もお母さんの価値の中で生きてたの。

 弱い人は助ける、この常識持ってますか。
逆に言えば、弱くなれば助けてもらえると思ってるかも。
きつい言い方だけど、普通にあるよね。
小さな子どもが喧嘩してお兄ちゃんに勝ちたくて泣くとか。年寄りが都合が悪くなると、病気を使うとか。


腑に落ちる瞬間

 
 これなの、ウソをつき続けてきたって。嫌いなことを隠していた。
私が子供の頃、強く反抗した。結婚して子どもが出来て、普通に助けてもらったから。批判なんて出来なくなった。母のことを好きだと思いこんでいた。母を嫌いだと知らなかった。
 だから、普通に母のためにって出来ることはしたよ。洋服を買ってあげることもあった。母はいつも嫌ってタンスの中にしまい込んだ。派手だと言うのだ。タグはついたままだった。一度も袖を通さない。母もまた私を嫌いだったのだろう。家族は鏡って言うものね。
なにか、母を嫌う周波数でも出していたんかな。それを母も感じていたんかな。

 妙なんだけど、嫌いだけど、大事な人だったんだ。笑顔は向けてくれなかった。私はバカ話して笑いたかったんだ、一緒に。


母娘の関係


 お母さんと話をしようとした。でもね、母が緊張するんだ。
私達母娘は「義務」「〇〇するべき」でつながっていた気がする。普通のおしゃべりほとんどしなかった。
よく怒られた。そして一方的な母のグチ。母の意見に逆らえば「あんたは優しゅうない。あんたはお父ちゃんにそっくり」 
 私は役に立ちたかった。中学生くらいの頃、
「〇〇してあげたよね」母にそう言うと
「恩着せがましい」と言われた。口をつぐんだ。認めて褒めて欲しかったんだけどね。

 母はいつもおばちゃんたちにグチっていた。きっと父のことそして私が優しくないと言いつけていたんだろう。おばちゃんたちによく頼まれた。「お母さんに優しくしてあげて」それを聞くたびに、私は優しくない子なんだなと感じていた。

 母のことを嫌いだと思うなんて、バチが当たる。信じてないけど記憶に残っている。
「親に向かってそんな口を聞いて」
母に何度も言われた言葉。母に「バカじゃねえ」なんて言ったら、この言葉が、飛んできた。

 でも人間だもの、長所も短所もあるよね。完璧な人はいないと思うんだ。
 実際子どもが生まれてから すごく助けてもらった。子どもを育ててどんだけ子育てが大変か、身にしみた。両親は本当に助けてくれた。感謝したよ。子どもを育てるうちに母に対する反抗心はほとんど無くなった。

 それとも 私が母の愛情を ただ受け取れなかったのか。ああそれだ、それもある気がする。



体のケアで母に触るようになった

 ひどい肩こりなど体のトラブルが大きくなって来た。私は体のケアを学んだ。母にケアの練習台になってと頼んだ。優しい刺激だったので。母は喜んでくれた。あまり 話はしなかったけど、優しい時間を二人で過ごした。


引きこもりをやめた

 体のケアを習ったところは優しい人が多かった。それまで10年ほども引きこもりをやっていた私。ケアを身に着けて、ここの皆さんとの関わりの中から徐々に外に出ることが出来るようになった。
 
 書いていて気付いたけど、母との雪解けが私を外に連れ出したのかもしれない。
幸せをあたたかい気持ちと書き換えるなら、体のケアはまさしくそうだ。
疲れや緊張でカチカチになった筋肉を優しい刺激で緩めていく。痛みがなくなり、体液が流れて辛かったところがあたたかくなってゆく。
 私は練習といって、何度もケアした。母に会うたびにケアを続けた。母は私が行くとケアを楽しみにしているようだった。

 小学校からの何十年間、ふたりでいると居心地が悪かったけれど、ようやく互いに受け入れたと思えたよ。


母に好かれてない自分にバツ

 母に好かれていないと思っていた自分にバツをつけたのだ。
そして好きじゃない母を 好きなふりしている自分にバツをつけたのだ。
「私はウソつき」

 偶然目にした、スピリチュアルの方の言葉。
「好き嫌いはあっていいんです。好みですから」

 善悪をつけることは良くないと聞くけれど、そうなのか 好き嫌いはいいんだ。
少しあとに気づいた。私はウソつき。母のことを嫌いです。

 母のことを嫌いな私を認めます。嫌いって言わずに、ウソをついて気もちを繕っていたことを許します。

 母との関係がうまくいかなくて、私は悪い子と思ってた。私は人(母)に嫌われているとも思っていた。

 母のこと、嫌いなところはある、同時に大切に思っている。
子どもは、愛情無くして育たない気がする。時間もエネルギーも愛情もいると思う。
母も母自身を 嫌いなところがあって受け入れられなかったのかもしれない。

 母を嫌いなことも、それを隠してたことも、愛情を受け取れなかったことも「そうだったんだー」と思った。ぐでっと寝転んで空を見上げている気分。

 その後、サトユミ先生のweb講座、No.8を聞いて涙が出た。「涙が止まりません」って本当にあった。本当やんと思いながら笑い泣きしたよ。

 自分の気持で言うと、地面に足がついた気がする。不安や自信のなさが小さくなったと思うよ。


これからどうする?


 母との関係、身近な存在だから逆に 私はそんなことないと見過ごして来た。夫婦関係もそうだ。
誰がなんと言っても気付けないときはあって、不思議なことに何気ない瞬間に「ハッ」とすることもある。
 気付いて認めること。私は先輩カウンセラーさんとサトユミ先生とのご縁なくしては自分のことがわからなかった。今は。私のような人のお手伝いする仕事がしたいと心から思っている。

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