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冷え込んだ調査地、その麓。

これは大学時代の卒論でよく足を運んでいた、冷え込んだ調査地の、その麓。




私が“先生”と最後に会ったのは亡くなる少し前。大学4年のちょうどいまくらい、卒論の調査で演習林に足を運んだ日。
それが最後だったと思う。

風は冷たいものの、尾根に上がると青い空が広がる、よく晴れた日だった。

トランシーバーから“先生”の声が聞こえる。
『こちら研修センター』
『位置情報を送ってください』
『ポイントから東に下りたところに栗の木があります』

調査中は林道を外れて歩くことが多い私にとって、研修センターに送る自分の位置情報と“先生”の土地勘、トランシーバーから聞こえる声が欠かせないものだった。
林道の途中まで車で送ってくれることはあるものの、林道を外れるところまで付いてくることはない。どうしてなのか、理由を聞いたことがある。「全員で上がって、どこにいるのか分からなくなったら困りますから」
ふにゃふにゃ笑っているように見えて、私の目を真っ直ぐ捉えながら言った。以前、そういう事故があったのだ。
たしかに、研修センターで待つ“先生”の、トランシーバーから聞こえるその声に幾度となく安堵し、救われたのを覚えている。

”先生“はずっと私の名前を間違えていた。
私はずっと「今井さん」だった。
それでも良かった。ちゃんと私のことを見て話してくれるから、なんて呼ばれたって気にならなかった。

調査を終えて下山するとき、”先生“は私を呼び止めた。『今野さん、また来てください。卒業論文を書き切ってください。』と。

卒論を書き終えたあと、”先生“の奥様と会う機会があった。
本当はずっと「今野さん」だとわかっていたこと、はじめに呼び間違えてからなかなか直せなかったこと、呼び間違えても嫌な顔ひとつせず話を聞いてくれるのが嬉しいと言っていたこと、自分の声にしっかりと耳を傾けてそれに返してくれると喜んでいたこと。
そんなの生きてるときにちゃんと言ってよ。もう何も返事できないじゃん。

最初からずっと「今井さん」だった私を最後の最後に「今野さん」と呼び、旅立っていった。
もう行ったって会えないのに。最後まで「今井さん」で良かったのに。

私は毎年、奥多摩に行く。
”先生“に会える気がするから。



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