見出し画像

人生邂逅 ・まなび編 ◆体験談から -18

2010年6月 愛知県知多郡東浦町にある液晶ディスプレイの工場に異動。 ここが最後の単身赴任地となりました。

交通の便は少し不便ですが、丘の上に建つ巨大な建屋はまさに装置産業の象徴。

東浦町は、ブドウの産地。ということ以外には家康の母 於大の方の出生地で「於大公園」があることくらい。

名古屋駅からは、東海道線大府駅下車、会社の連絡バスで20分ほど。

最盛期は2千人を超える従業員だったようですが、私が赴任した時点では1,500名ほどだったと記憶しています。

液晶パネル事業はソニーが得意とする先行逃げ切りではなく、後追いビジネスだったことで苦戦を強いられていました。
当然ながら、工場も生産性を追求するために人員削減が実施されており、沈滞ムードは否めませんでした。

ここでの重要なミッションは、工場を少しでも元気にすること。で、
まさに適任!

とはいうものの、ことはそうたやすくはないのです。

従業員は、混成チーム。
元々、豊田自動織機とソニーの合弁会社でスタートしており、さらに1年前には厚木の開発部隊が合流していました。

文化の異なる3つが混然一体となっているのです。

そこで、総務のメンバーと一計を案じ、考え付いたのが「オアシス運動」でした。
挨拶励行
はようございます
りがとうございます
つれいします
いません
コミュニケーションの基本でもあります。

一人でも多くの社員が、挨拶を交わせるようにする。
あちこちで挨拶を交わす声が聞こえる工場にしよう。
そのために、挨拶励行運動を実施。

曜日を限定し、工場内の通勤経路3か所にオアシス運動メンバーとマネジャーが立って、通勤してくる社員に挨拶を投げかける。
半年以上は続けたように思います。

このほかにも、整理整頓・安全巡視を頻繁に実施し、そのときも声掛けをして回る。
といったことも取り入れました。

さらには、環境やマナー改善の一環として、置き傘や放置自転車の撤去。 会議室の幽霊予約の撲滅。コピーの取り忘れ撲滅。など。
当時の職場環境で問題となっていることには積極的に対応していきました。

これらのことで、どれだけ工場全体が活性化されたのかは、測りようはなかったのですが
おそらく、何もやらないよりは少しは役だったのではないかと思います。

やらない後悔より、やっての後悔

  今から思うと、挨拶励行運動はやりすぎ?                     まさに、一過性で根付くことはありませんでした。

  挨拶は強要してやるものではない。 のでしょうから。 



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?