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はじまるぞの音にあわせて

やはり気まぐれに、noteのタイミングはやってきます。
定期的に、テンポよく、続けていくかと思われた呟きは、少しタイミングがずれると途端にピタリと停止してしまう。
歩き出すのを待つのもいいし、ちょっとえいやっと、心より先に足を出してみてもいい。良くも悪くも変わるものだ。


友達がもうすぐ結婚式を挙げるらしい。
大学のときの友達で、明るくて周りの人を元気にするようなニカッとした笑顔の、元気な子。
人が好きで、福岡弁の似合う子。
部屋に遊びに来て、寝転んでいる私の上に、ザ・たっちの幽体離脱並みに上に重なってきたり、話している途中でプツリと電池が切れたように突然寝ちゃう子。
結婚式でサプライズで流す映像で使うとのことで、写真にメッセージを添えたものを集めてくれている子に送った。
たくさん思い出を思い出しては、短く何を伝えるか悩んだけれど、結局よく見るメッセージになった気がする。難しい。でもその子におめでとうが少しでも伝わるなら、まあ言葉は特別なものでなくていい。伝われ〜、という気持ち。


結婚式と言えば、ここ半年でいとこが二人結婚式を挙げました。めでたすぎ。どっちも愛知の子で、名古屋で挙げました。結婚式場もいろいろあるのねぇ。

先月は年下の女の子のいとこが結婚式挙げましてね、もう、泣いた。家族との話は泣くやん。私そういうの弱いんよ。愛!!!!!ってなるやん。良かったなぁ。


泣いたと言えば、前におかんのおる愛知に帰って、また東京戻るときに新幹線の駅までおじいちゃんが送ってくれたんですけど、その車の中でなんかひょえ〜ってなってそっと涙を流しました。
私、別にね、たくさん遊んだり、久しぶりに会えた人とかでもさ、別れるときは「またねぇ」って、ほんまにまた会おうね!!!会えるね楽しみにしてる!!!って気持ちでばいばいするんやけど、なんか寂しくなっちゃったんですよね、あの時。
おばあちゃんがいつもまたねってするときに握手してくれて、その手のあったかさとか、おかんと一緒にテレビ見たことだとか、おじいちゃんのまた帰ってくる時は連絡したら迎えに行くでなって言葉とか、なんかそういう、そういうのなんですよね。次はいつになるんだろうって、ほんのちょっとのしゅんってした感じが、ぶわって広がっちゃったんですね。


やぁね。会えるのにな。
会えるって気持ちと、いつだって最後になるんだぞって声が、一緒に体育座りして並んでるんです。おめぇら仲良いのかよ。


またねで泣いたと言えば、私の友達が昔、夜行バスでその子の地元を出発する直前に寂しい顔して泣いたことを思い出しちゃいます。
なんで泣くのよまたいつだって会えるし会いに来るのに!!!って思いながら、きっとハグでもしたはずだ。
その子は寂しがりやってのもあったけど、お別れに人一倍強い感情を持っていたんじゃないだろうか。
もうその子は目には見えなくなっちゃったんですけどね、大丈夫なんです。来世でもまた会おうねって言えたから、来世ってのがお互いにあるんやとしたら会えます。やっぱりまたねは、すごいや。


今日は短くしんみりこのへんで。
またね。

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