サイダー

サイダーパンク

著:脂腿肉無骨


一本の矢ではすぐに折れてしまうが、三本の矢を束ねればサイダーパンク小説が書ける

「お帰りなさいませ、ご主人様!」

「いつものを、頼む」

「ごめんなさいご主人様。今日はいつもの、無いんです」

「何?」

「ひえっ!? ごめんなさい、怒らないで! 代わりに良いもの、仕入れてますから!」

「ああ、早くした方が良い。急がないとあんたの頭が吹き飛ぶぞ」

「す、すいません!」

「……はぁ」

「ごめんなさいね。あの子まだ培養漕から出たばっかりなのよ」

「いや、構わんよ。培養液のゲロみたいな臭いは嗅ぎ慣れてる」

「昨日もろくでもない荒くれが十人束でこのカフェにやってきたんですもの」

「道理で壁が見覚えのある色合いって訳だ」

「連中もこうなる事くらい、出来立ての脳味噌でも考えられると思うんだけどねぇ」

「で、埋め合わせがあいつか」

「ええ。彼女、何人目だったかしら。ちょっとまだこういう商売に慣れてないのよ。お手柔らかにね」

「それなりに。しかし、例の物が無いとなると参ったな」

「いや? 一応あるわよ。ま、例の物はあまり表に出す物じゃないから。あくまでお得意様だけよ」

「すまんが、良い物とやらを頂いたらすぐに例の物をくれ。すぐだ」

「お待ちなさいな。良い物、ってのはその意味も兼ねて良い物なのよ」

「まさかブーストか?」

「ブーストなんてけちな代物じゃないわ、オリジンヴィンテージよ。そろそろあの娘も帰ってくるはずだから、もうしばしお待ちを」

「おう、待つとも。……しかし、何だってここにそういうチンピラが来たんだかな」

「昨日は電磁嵐がこの辺に来たの。多分その避難で来たんじゃないかしら。それだけなら良いけど、連中節操も無くかますでしょ」

「強盗じゃないのか。まあ、ちょっとスペアに変えるだけで済んで良かったじゃねえか」

「左腕と心臓だけ取り替えるのも手間なのよ。ここはメイドカフェ、旧日本の文化を残す遺産なのにねぇ」

「鉄臭い文化な事で」

「世相によって変わるのが文化よ」

「変われば良いってもんでもなかろうよ」

「おおお、お待たせしました!」

「ようやくか。……すまん、何だこれは?」

「アルミ缶、という容器らしいわ。廃都の遺骸に残されていたっていう曰く付きのサイダーよ」

「俺の知るサイダーとは随分違うな」

「今みたいにサイダーが病的な嗜好品でなかったんじゃない」

「病的? これが無くちゃあこんなクソ溜生きてられるか」

「提供してる私の言える話でもないか。ま、ごゆっくり。ご主人さま」

 形骸化したメイドという存在の決まり文句を言いながら、店主はカウンターを離れる。

 それは、彼の機械義手よりほんの少し大きい、細長い円筒型の容器に入っているらしかった。手を近づけると冷気がセンサーを刺す。先ほどまでずっと凍てつく程の冷気で冷やされていたのだろう、白煙の様な水蒸気をまとっている。軽く人差し指で叩いてやると、コォンと高い音を響かせ、表面についた細かい水滴が取れる。

 緑と白を基調とした塗装と、矢の赤い羽を三つ合わせたエンブレムはかつてこのブランドが存在した時代の様相も表しているように思えた。大柄な彼の身体には不釣り合いな小さな容器だったが、それの持つ時代を経た存在感、容器だけでも大いに感じられる清涼感に彼は気圧されそうになる。もし全力で握りつぶそうと思えば、簡単にスクラップになってしまう様な材質である事は明らか。 だがこれは軽く、この時代では間違いなくすぐに壊れてしまうような繊細な代物だった。

 少し離れた席に座っているサイボーグを見るが良い。彼の五十センチもあるアンバランスな手に握られたジョッキは重厚な金属で造られていて、その中には安物の違法サイダーがたっぷり入っているのだろう。本来そのような重量と強度が無いと、そもそも違法サイダーの成分に耐久出来ずジョッキは数秒もせず崩壊する。そうでなくても、彼の大腕で軽く力を入れれば容易く鉄くずだ。

 彼の前にあるサイダーは二百年前のヴィンテージである。故に違法な物質は入っているはずがない。大きな義手の指ではプルトップに指をかけるのも難しい。それ以前に、この時代の人間にとってプルトップとは意図不明の構造物に過ぎない。容器の上部に指をかけて、紙の蓋を開けるように彼はアルミをちぎり開く。開けた所から炭酸が抜け、空気の抜けたような音を立てる。その後、カフェの茶色に汚れた換気扇の音にかき消されるようなか弱い炭酸の破裂音が容器の中で踊っている。果実の様な香りもこの時代の違法サイダーには失われた物だった。

 ちぎれ刺々した箇所からサイダーを飲むと、さざ波を思わせる音と共に微かに口内でサイダーがはじけ、喉を通っていく。普段飲むサイダーよりも刺激は少なく甘ったるい感触が広がったが、これはこれで彼も悪くないと感じていた。試しに大柄なジョッキに注いでみるとこの液体は透明で、小さな気泡までよく見える。普段のどろりとした、どぶ水の様なそれとは大違いだ。彼に不満があるとすれば、あの桃色の高揚感と世界の呪縛から解かれた様な青い不死鳥のさえずり、この地の血を忘れられる未踏の太陽の幻影は見られない事であろうか。しかしいわゆる普通の、いや高級違法サイダー……いわゆるブーストなんぞよりも味は良く、飲後感も爽やかで後を引く。一時のトランス状態から解かれた後の、頭ががんがんして誰彼構わず殺したくなってしまうような衝動に駆られる様な事も無い。先ほどのサイボーグなんて、もう飲み終えて店内を大声で騒ぎながら暴れ始めている。典型的な中毒症状だ。そしてそれは新人のメイドの持つ銃によって心臓を撃たれて幕引き。どうせあのサイボーグも複製した自身がいるのだろうから、もうすぐにでもけろっとこのメイドカフェに現れるのだろう。

 薄暗い店内で、サイボーグの死した巨体を引きずるメイドを肴に飲むサイダーは悪くなかった。新鮮な鉄の臭いと果実の清涼な香りが混じり合って気持ちがいい。

「ねえ、どうだった?」

「こりゃ良い。少し刺激が足りんが気軽に飲める」

「でしょう。私も何杯か飲んだんだけど、結構イケるのよ」

「でも改めて俺はあれに依存して生きてるなとしみじみ思うね。もうあのどぶ水が飲みたい」

「やだやだ、これだから男は。ま、今日の所は我慢なさい」

「むしろ聞きたいんだが、あれ抜きでどう生きてるんだお前」

「私も少しはキメてるわよ。けどあんたみたいにずぶずぶじゃないから」

「少しでもやってる時点でこれだから男はって言える身かよ」

「これだから男は」

「いたちごっこじゃねえか」

「それはともかく、私はこのメイド遊びが生き甲斐ですから? そうだ、久々にあれやらせましょうか。おい、新入り」

「はい、何でしょう?」

「オムライスあるでしょ? お客さんにあれやってやんな」

「かしこまりました」

「てか、メイド遊びと言いつつお前は言葉遣いにそれらしさが微塵もないよな」

「だから遊びなんだって。皆ごてごての機械まみれ、よく個性も無く生きられるわね」

「個性とか無くてもいいだろ」

「もうそれが駄目よね。このメイドカフェに来てる時点で没個性なあんたに一つ個性あげてるけど」

「はあ。でもこのご時世かかる火の粉を振り払う事以外はすこぶる退屈だし、お前みたいな妙な商売してるのは悪くないかもな」

「裏じゃ例の物の提供だからけして悪い商売でも無し。……遅いよ、あんた!」

「申し訳ありません!」

「構わんよ。とりあえず、頼む」

「はい! それでは、ご主人様も一緒にオムライスがおいしくなる魔法をかけましょうね!」

「ああ」

「萌え萌えルンルン、萌えルンルン♪ 美味しいオムライスになぁ~れっ☆」

「萌え萌えルンルン、萌えルンルン。美味しいオムライスになーれ」

「はいっ、出来ましたよ! ごゆっくりどうぞ~」

「……おい、何だその目は」

「いや、あんたみたいな殆ど銀と茶色のサイボーグが萌えルンルンって……滑稽でしょ」

「今ほどお前の脳味噌地面にぶちまけたいと思ったことはないわ」

「いくら常連さんでも暴力沙汰はご勘弁願いたいわ」

「機械人間が萌えルンルンしちゃ悪いのか」

「悪かない、悪かないけどね、シュールってこの事よ……あー、今ほど八代に渡ってメイドカフェ続けてきて良かった事は無いわ」

「二百年の歴史が泣くな」

「私は笑いすぎて泣いちゃうわ」

 彼はついカッとなってマスターの頭を銃でぶち抜いた。赤い皿に乗った緑色の食べ物に、メイド服を着た少女がかけた黒光りする液体が映える。この黒い液体はケチャップと言うらしい。それに血がかかると、もう皿の赤だか血の赤だか分からない。彼はそれをゆっくりと口に運んだ。粘つくようなごてごての調味料の味がたまらない。九割がた食べ終え、地面に落ちた身体が処理された頃、新しいマスターが喫茶に戻ってくる。

「はい、ただいま。本当にひどいわね、あなた」

「常連だからって銃を取らないとは思わない事だな」

「はいはい、私が悪うございました。お代は倍付けでね」

「そうかよ」

「そうだよ?」

「払えば良いんだろ」

「もちろん」

「じゃあ、これで」

「はい、毎度あり」

「メイドが毎度ありか」

「世相によって文化は変わるものよ」

「お前は適度にやってくれると思ってるよ。じゃ、また」

「じゃあね。……行ってらっしゃいませ、ご主人様」

「行ってきます」

 カフェの出入り口を開けると、暗い廊下は非常口の緑色の光に照らされて奇妙なまでの存在感を放っていた。廊下を抜けて階段を出ても外は変わらず暗いまま、厚い雲が都市を覆う。メイドカフェ@H0mEという緑色のネオンの看板が暗い街を照らしていたが、それ以外の看板は光も切れかかり、大した光量にはなっていなかった。彼はそれに背を向けて、路地裏に入っていく。彼と共についてくるのは、ネズミ一匹だけだった。

★付箋文★


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『サイダーパンク』 著:脂腿肉無骨

担当編集:水井くま

編集・日本大学芸術学部文芸学科所属 出版サークルKMIT


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