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フリル生地の白いワンピース

 昨日阪木に会った。正確に言えば見かけたといった方が良い。クラスでは無口で友人も多くは無い。そんなあいつが、女物の服を着て、下手な化粧をしながら今大通りを歩いている。

「阪木。」

 小声で呟いただけなのに、こちらを向いてきたので目が合ってしまった。最悪だ。俺にとっても阪木にとっても、一番会いたくない瞬間だっただろう。この状況をどう対処したらいいのか解らない。出来ることなら、お互い見なかったことで手を打ちたい。そう考えているうちにも、阪木は俺の方に向かってどんどん歩いてくる。茶色の瞳を大きく開け、明らかにカツラだと解る金色のロングヘアーを風になびかせながら、服に合わない緑色のピンヒールを履いた足で、俺の正面に立った。そして一通り俺の体を上から下まで見回し、白い歯をむき出しながら豪快に笑った。

「え、やだ、すごい偶然。どうしよう。照れるなあ。」

「あ、え、お前本当に、阪木?」

「ひどいなあ。僕達同じクラスじゃない。」

「いや、学校と雰囲気が違うからさ。」

「ええ、そんなに違うかなあ?」

 いや、むしろ違ってないとまずいだろう。

「ね、せっかくだしさ、どっかでお茶しない?」

「え?俺と?」

「そう、ね、お願い。」

 そっと俺の手を握る阪木の手首からほんのりと、ラベンダーの香りがする。それを辿っていくと、ワンピースの袖から覗く、細身だが確実に女性とは違う肉付きの腕が、震えているのが見えた。

「べ、別にいいけど。場所ずらすぞ。」

 硬そうな手の感触と周りからの視線が痛い。この場から一刻も早く立去りたかった俺は、阪木の腕を掴んで駆け足で近くのカフェに入って行った。

「こんなところにお店あったんだね。」

 一緒に入った所はダークブラウンの壁に家の支柱をわざと黒く塗りこんでいるアンティ―ク調なお店だ。かかっている曲なんかもレトロで味のある雰囲気をかもしだしていた。窓際の席に腰をかけはしゃいでいる阪木を横目に見ながら、取り敢えず側にいるウェイターにコーヒーを二つ頼む。

「俺になんの用?」

 ここに来るまで考えてはいたけれど、今この状況を説明できる答えは浮かばなかった。挨拶もろくにしたことがない奴を、女の格好をしたままお茶に誘うだろうか。俺なら絶対にしない。きっとその日に会う奴に合わせて、服を選び、髪型や香水の香りを決める。個人的なファッションの嗜好なんて他人に見せる物じゃないだろう。

「そうだよね。ごめんね、突然声なんかかけて。びっくりした、よね。」

 いやそれよりも、俺はお前の服装に驚いたけどな。

「でも、僕、ずっと、上塚君と話がしたいって思っていたんだ。でもなかなか踏み出せなくって。だから、今日声かけてくれた時、凄く嬉しくて、だから何とか引き止めたくて。」

「とりあえず、俺と話がしたかったってこと?」

 予測の出来ない会話。ずっと俯いたままの阪木。その全てが俺の不安を募らせる。すると意を決したかのように、顔を上げ、俺を見た。

「上塚君、僕を、僕をどうか可愛くして下さい。」

 息が荒い。顔も真っ赤だ。手も震えているし、トップスから覗く腕は小刻みに震えている。傍からみれば、俺たちはきっと、一世一代の告白でもしているように見えているのかも。そんなことをぼんやりと俺が考えている内にも阪木の話は続いていく。

 自分はゲイとは違って、恋愛対象は女性であること。昔姉のブラウスを羽織ったときに、妙にしっくりときたこと。もっと着こなせるようになりたいが、女性には聞けない。だから男の中で自分にあった服装を選んで欲しいことなどを語った。

「てか、何で俺?」

「だってさっき、上塚君は驚いてはいたけど、引いてるわけでは無さそうだったから。」

 いやいや、充分引いてるって。

「それに、今も話聞いてくれるから、見た目では判断しないのかなって。」

 そんなに、俺のことを見ていたのか。なんか意外だな。自分のファッションについて気にしたことはないし、阪木のように固執した趣味を持ってるわけでもない。そんな俺に頼むって、やばいだろ。てか、友達いないのかよ。

 俺は実家が美容院なのもあって、そういう情報は自然と入ってきていたし結果として、流行に乗っ取った服を選んでいるとは思う。けれども、それと、男に合う女の服装を選ぶのは勝手が違うような気がする。

 さっきのウェイターがコーヒーを運んできた。泣きそうになるのを必死でこらえているる阪木は、店員に頭を下げると、また動かなくなってしまった。。阪木のつむじを見ながらコーヒーをすする。こんなへんてこな格好で、頼むなんてどうかしている。男の癖に泣くし、正直若干引いている。しかしその必死さが自分に向けられていると思うと悪い気はしなかった。おれは単純なんだ。

「いいよ。」

 きっと面倒くさい。でも最近の生活に少しの刺激とスリルが味わえるなら、暇つぶしには丁度いいかも。

俺の返事を聞くや否や興奮を抑えきれないようなで、満面の笑みを俺に向けている。

 あ、ちょっといいかも。素はよさそうだな。自然に向けた笑顔から、こいつの服のイメージがどんどんと膨らんでいく。ちょっと楽しみだな。

 そんな事を考えながらコーヒーに口をつける。いつもの癖のある強い香りと共に渋みのある味が口一杯に広がった。

「お前も早く飲めよ、冷める。」

 さっきから見ているだけで一向に飲もうとしない。カップを持っては置いてを繰り返す。

 なんなんだよ。

 いぶかしげに見る俺の視線を見て、恥ずかしそうに肩をすくめると口を開いた。

「さっき言うべきだったんだけど、実は僕コーヒー苦手なんだ。」

「おま、早く言えよ。」 

 コーヒー二配分は俺の胃をがぶがぶにさせた。

 その夜は不思議な夢を見た。茶色の髪を後ろに束ね、白いフリルのワンピースを着た女の子。青い花のコサージュが服の色によく映えている。細い腕に連れられて俺たちは二人で紫陽花の丘を歩いている。それなのに周りからはラベンダーの香りがするので、なぜかと尋ねた。すると口は動いているが彼女の声は聞こえない。結局そのまま、目が覚めてしまった。昨日の出来事に対して思ったよりも興奮していたことを知った。

 朝、クラスに入れば既に阪木は自分の席に座っていた。昨日の性格と格好からでは同一人物だとは思えない。大抵の男子学生は学ランの下に柄物のティーシャツを着ているが、あいつは首もとまでしっかりボタンを絞め白いシャツはズボンの中にいれている。おまけに黒めがねに、ぼさぼさのパーマ、手に持っているのは小難しそうな哲学書。「地味」の一言を絵に書いたような奴だ。全くこんなんじゃ先が思いやられる。

「おい、阪木。」

 隣の席に腰掛けながら、あいつの頭をノートで小突いてみた。

「あ、上塚君。」

 一瞬俺の目を見たと思ったら直ぐそらされてしまった。昨日涙目で頼んできた奴は本当にこいつなのだろうか。

「今日暇?」

「え?」

「暇なら買い物行くぞ。」

 本から顔を上げた阪木の目は大きく開いて俺を捉えている。 なんだ。やっぱり中身は同じなんじゃないか。

「化粧ポーチとかは持ってんの?」

「う、うん。一応。」

「じゃあ、放課後一緒に帰るぞ。」

 阪木がうなずいたのを確認して、俺はいつもの集団の輪の中に入っって行った。

 授業が終わり早く教室を出ようとしたとき、その中の一人である圭に呼び止められてしまった。

「小太郎。今日さ帰りにメシ食わない?」

 俺の肩に首をのせてくる。それを優しくほどきながら、

「わるい、今日は先約あるから行けない。」

 すっぱりと、切り捨てた。

「えー、なんでだよ。一緒に食おうぜ。」

 圭の後ろにいる三人組も不平を漏らしているのを聞き流し、また今度と適当ないいわけを言うと、俺は校門まで走って行った。

「悪い、遅れた。」

 やっぱり予想通りに阪木は、文庫の本を片手に校門前で立っていた。

「あ、じゃあ、行く?」

「ああ。」

 息を整えながら阪木の歩調に合わせて歩く。学校からの一本道を抜けると、アーケード通りに繋がっている。そこは若者の流行の地となっていた。特に海外の女性向けブランド店が多く揃っているので、品質も良い。要するに服を買いたければ、上下一式それなりの値段で安く買う事が出来る場所なのだ。俺たちは、その中の一つ「エンゼル」という二十代の女性向けブランドの店に入っている。少しフェミニンだがシャツやワンピースの形がいい。これなら男性特有の肉付きを隠せそうだ。横で不安げに店内を見ている、阪木の肩に手を置き、今日の作戦を伝える。

「取り敢えず今は下見な、自分に何が合うのかリサーチするのが目的だから。」

「う、うん。」

「だからさ、その袖なしのシャツとか選ぶのを辞めて欲しいんだけれど。」

 今阪木が手に持っているのは、華奢な女性の腕を強調させるものだった。

「いいか、俺たちは男だ。顔は化粧でごまかせるとして、問題は他の部分だ。可愛くなりたいなら極力体系は隠せ。だから仮に俺が選ぶとしたらだな。」

「あ、解った、解ったから。ちょ、ちょっと待ってメモする。」

 慌ててバックからノートを取り出そうとする、阪木を制止させる。

「心配するな、全部まとめたやつを昨日書いておいた。後で渡すから今は服選びに専念しろ。」

「う、上塚君。」

 尊敬の眼差しを背中で流しながら一時間ほど店内の服を物色した。幸いな事に男二人組という異様な組み合わせに、店員も嫌な顔一つださず丁寧にアドバイスしてくれたのでじっくりと阪木に似合うものを探せた。その後も二、三件女性向けの店を回ってから、俺の家に寄った。

「上塚君って、面倒見いいよね。」

 俺の部屋で目元にアイラインを描いているときに、阪木が言った。

「おい、集中しろよ。上手くなれないぞ。」

「うん。ごめん。でも、こんな変人に本気で付き合ってくれるなんて、そんなことあるわけ無いって思っていたんだ。」

 化粧のせいで少し大きくなった瞳が一点を見つめたまま動かない。ポーチから紅を取りポーチから口紅を出して、薄桃色の唇に艶をつけながら、筆で形を整えながら、引き受けたときからずっと気になっていた事を聞いてみたくなった。

「そう自分で思ってるんならさ、なんで女装なんかするんだよ。」

 一瞬阪木の体が揺れた気がした。でもそれは俺の気のせいだったのかもしれない。実際のこいつは、ずっと俯いたまま、床をみつめていた。

「何でなんだろうね。なんか着るとしっくりするんだ。姉さんのブラウスを羽織った事が始まりだったけど、ずっとオトコ物の服とか学ランとかはこうなる前は嫌悪感なく着れてたんだ。」

 にやりと笑った顔は内気な少年の面影は見えない。あるのは自信に満ちた女の顔だった。

「ふうん。ここまでになるのになんかあったのかと思った。」

「でもこんなんなったのは、彼女に振られた時からかもね。」

 へえ、そういうこともあるのか。

 もう昔の事だと、阪木は言う。それ以上は踏み込んではいけないような気がして、聞けなかった。

「ねえ、僕も上塚君にも聞きたい事があるんだけどさ。」

「何でそんなに化粧上手いの?」

「あー。俺四人兄弟の末っ子で上三人が皆女でメイクアップアーティストなんだよ。」

「それが理由?」

「昔は憧れてたんだよ。」

「へえ。可愛いね。」

 男に対してそれはどうなんだろうか。まあ、阪木だしいいか。その後はどうでもいい話や、ファッション雑誌を一緒に読んだりして、夕方には化粧を落として阪木は帰って行った。それからは、休日の暇な時や、放課後は一緒に過ごす様になった。

 意外に阪木は覚えが早く俺が渡したノートに書かれた化粧や服装のコツをどんどん吸収し自己流にアレンジし始めた。こちらとしても、教えがいがあり、女性向けのファッション雑誌を買いあさっては俺も勉強し新しい知識を詰め込んでいった。お互いが良い関係だった。

 しかし阪木との時間を割けば割くほど、普段一緒にいる圭たちとの関係がおろそかになってしまう。最近は特に授業が終れば俺は直ぐ帰ろうとするので、よく引きとめられてしまう。その理由は大体なぜ一緒に遊べないのかという事なのだが、特に圭は俺に彼女が出来たのではないかという変な詮索をしてくる。いい加減、鬱陶しい。もとから取り立てて仲が良かったわけではない。適当に、クラスで遅れを取りたくなかったから、惰性で付き合っていたようなものだ。

「なあ、やっぱ、彼女できたんだろう? 別に恥ずかしがる事ないだろう。なあ、はっきり言えよ。」

 圭の会話に乗って他の取り巻きの三人も口々に俺に詰め寄る。今は一刻も早く校門で待っている阪木の元に向かいたいのにこんなくだらない事で足止めされている。これが全て自分の適当な付き合いから生じたものだと考えると腹が立ってくる。

「最近、阪木とよく帰ってるみたいだけどあいつとなんかあんの?」

「もしかして、お前らさ。」

「あーそれ以上言うと、小太郎がかわいそうだろう。」

 なんて低レベルな会話だろう。阪木だったら絶対こんなこと冗談でも言ったりしない。

「でも、あいつさ、普段ムズそうな本ばっかり読んだりしてんじゃん。しかも私服もダサそうだよな、小太郎とどこが合うのか正直わかんねーよ。」

「お互いの立ち位置? っていうかさ、違うように思えるんだよ。」

「あいつ、ちょっと行動も変だよな。なんか最近は特に女みたいに見えるって言うかさ。」

「うわ、ないわー。」

 もう、限界だ。時間も気持ちもとっくに頭の中で沸点は越えている。

「おい、言いたいことは、それだけか。」

 耳障りな笑い声が止まった。四人が一斉にこちらを見ている。自分の心臓の音だけが教室に響いている気がした。

「あいつは、お前らみたいに影で悪口なんか絶対言わない。努力家だし、笑い方だって綺麗でかわいいよ。」

 一言ずつ噛み締めてしゃべる。腕が震える、ああ、真面目に、正直に話すってこんなに怖い事だったのか。店で半泣きになりながら俺に頼みごとをした阪木もこんな風に感じていたのだろうか。そう思うと胸が熱くなる。

 女に見える?当たり前だろ。俺が仕込んでいるんだ。

 地味だと?当たり前だ。学ランはオトコ物なんだから。あいつのよさなんかわかってたまるか。

「阪木は誰よりも、自分のことを解っているよ。俺たちと一緒にすんな。惰性の付き合いなんかしない。」

 ああ、怖い。でも言わなくちゃ。あいつと一緒にいたいなら言わなくちゃ。

「もう、関わらないでくれ。」

 呆然としている四人の間を割って、さっさと教室を出る。廊下に出る瞬間、誰かが何かを呟いたように聞こえたが、気にしない。

 校門にはいつも通り阪木がいた。少し柱にもたれて、また変な哲学書なんかを読んでいる。視線を感じたのか、本から目を離し俺を見つけるとゆっくりと微笑みながらこちらに向かって来る。

 思わず衝動的に阪木の腕を掴んで走った。途中何度もつまずきそうになりながら全速力で俺の家に向かう。途中何か言っていたような気もするが、全部無視した。部屋に入りずっと前から押入れに入れていたダンボール箱を乱暴に引っ張り出す。突っ立ったままでいる阪木をむりやり押し倒し、こいつの学ランを全部脱がせる。最初抵抗していたが、最後は暴れるのを断念したのか動かなくなった。汗だくの顔をタオルで丁寧に拭きあげ下塗りをし色をつける。アイラインを引いて睫毛には紫と黒のマスカラを付ける。頬にはピンクのチークを少々。最後に筆で真紅の唇に染めあげる。茶髪のカツラは後ろでとかし、毛先をアイロンで軽く巻いた。白シャツのワンピースにそっと青い花のコサージュをそえて止めた。

 全ての手順を終えた瞬間一気に緊張が解けたのと同時に体に疲労が出たことで、二人共黙ったままだった。部屋には荒い息使いだけが響く。

「これ、いつの間に揃えたの?」

 沈黙を破ったのは阪木のほうだった。

「お前を道で見かけた日。」

「何で?」

 それが何をさしているのかは多分本人もわかっていないのだろう。阪木は小声でずっと問い続けている。そんなこいつの肩にかかる髪をどかせながらゆっくりと手を置く。阪木の体がかすかに震えるのを感じた。

「俺がいる。」

 傷は自分でしか治せないけれど。一緒に居ることくらいは許されるだろう。

「だからさずっと、今の阪木のままで居てよ。」

 だから、俺を見て。

「おれは恥じないお前が、気に入ってたんだから。」

 何度も何度もそう呟いてみる。目は合わせてはくれない、俯いたまま肩を震わせて動かない。いつか、こいつが女装を辞めたら、阪木は俺を見てくれるのだろうか。

「なあ、夏に着せたい服があるんだ。きっと似合うよ。」

 もうそろそろ日が暮れ始めてきた。理想の形を手にしても阪木が満たされたのかどうかは解らない。こんな形を彼は望んでなかったのかもしれない。それでも俺はこれを止めることは出来ない。

「君って結構強引な人だったんだね。」

「お前動かすならこれくらいで調度いいんだよ。」

 相当変だよ。僕たち。

 そうだな、でもそれが俺たちなんだから仕方ないだろ。 

 阪木が振り向く。その顔は、夕焼けに照らされて、輝いていた。

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『フリル生地の白いワンピース』 著・木本直哉

※この作品は読切です。

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