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ツイッターで小説を連載するということ、あるいはニンジャスレイヤーがどう面白くスゴイのかという長文

 ブラッドレー・ボンドとフィリップ・N・モーゼスによる「ニンジャスレイヤー」。優れた復讐譚でありサイバーパンクSFでありアクション小説であり革命譚であり風刺小説であり、さらにその他の要素も兼ね備えた作品で、読み物として純粋にクオリティが高く面白い。だからこそ私は数年来この作品を追いかけているのだが、内容のみならず、その発表の手法にも相当面白いものがある。何をどう面白がっているのか、自分なりに整理し、個人的な感想や経験を交えてまとめてみた。

(※本稿はDIY企画「ニンジャスレイヤー222」への参加を目的として書かれたエントリです)

 念のため確認しておくと、「ニンジャスレイヤー」はツイッターで連載されている小説だ。公式アカウントが140字以内に区切ったテキストを少しずつ、おおよそ10分弱くらいの間隔で投稿し、続けて読むことでストーリーが見えてくるというわけだ。

 私が本作を最初に知ったのは2012年10月に書籍の1巻が出た時で、ツイッター連載を知ったのは「フー・キルド・ニンジャスレイヤー?」が連載されていた頃。調べてみたら2012年12月だった。割と近い。ただ、しばらくは書籍化されたものだけを読んでおり、ツイッター連載をリアルタイムで追い始めたのは、第2部の続きが気になってトゥギャッターで一気読みした後だった。確か2013年の冬だったと思う。2014年1月の「オイランドロイド・アンド・アンドロイド」の頃には確実にリアルタイムでツイッター連載を読んでいた記憶がある。

 で、ツイッター連載である。この形式がもたらす特徴には、いわゆる実況行為がまず挙げられる。ツイッター上で読者であるユーザー同士がリアルタイムで感想や考察を交わし合うことが可能になるわけだ。公式アカウントからも推奨されている(と思う)、ツイッター連載ならではの楽しみ方だ。だが、この「実況」をしなくても、ツイッターで小説を読むこと自体が相当楽しいし独特の味があるだろうと私は思う。前置きが長くなりましたがここからが本題です。

 そもそもツイッターというSNSは、多くのツイート(つぶやき)が渾然として流れる媒体だ。誰をどれだけフォローしているかにもよるが、アーティストや公式アカウントによる告知、知らない人の仕事の愚痴、イラストレーター渾身の落書き、真っ当なニュースなどがどんどん流れていく仕組みになっている。必然、読者はそれらにも目を通しながら「ニンジャスレイヤー」を読むことになる。この読み方は新聞小説のそれに近い気がする。ニュースなどを広く掲載する媒体で、小出しにされるフィクションを読む連載小説を読むわけだから。 

 で、先述の通り、「ニンジャスレイヤー」は140字以内のテキストがだいたい10分弱ごとにツイートされる。小説というのは一般的にどんどん先を読むもので、140字ごとに立ち止まって考えたり感想を捻ったりすることは基本的にない。私も一応書き手ではあるが、この読まれ方は羨ましい反面かなり怖いものがあると思う。手の抜きどころがまるでないのだ。

 送り手である翻訳チームもそのあたりの特性を把握しているのだろう、本作では「これくらいの情報で読み手は気付くはず」のハードルが結構高く設定されている。一見の読者が分からなくても、実況タグを覗けば古参だったり勘の良い読者が「これはもしかして前に出てきた○○では?」などと気付いてくれるだろうし、その情報は瞬時に共有されるのだから、そこまで分かりやすく書く必要はない……と思っているような気がする。この信頼感は相当カッコイイと思う。いいなあ。

 まあそれはそれとして、個人的にツイッター連載の最大の強みが何かと言うと、「小出し感」だと思うのだ。繰り返しになるが、ツイートの間隔はだいたい10分弱。この時間、読者は焦らされることになる。しかも私が以前使っていたガラケーのモバツイだと、一定回数更新すると規定の時間リロードできなくなったりするから、なお焦らされる。ページ単位でどんどん読み流されがちな小説において、140字単位で読者を焦らせることができるというのは相当の強みだし、「ニンジャスレイヤー」はそこをよく理解している。

 例を挙げよう。第3部に「トゥー・レイト・フォー・インガオホー」というエピソードがある。妻に馬鹿にされながらもセコい仕事でわびしく稼ぐニンジャ(注:本作では「ニンジャ」は一種の後天的な超人であり超能力者を意味する)、スカラムーシュが主人公となる一編だ。

 殺しの依頼を受けてヤクザの事務所に殴り込んだスカラムーシュは、そこで自分達を戦わせて楽しむ強者の存在を知り、慌てて自宅へ向かう。自分は単なるコマであり、上にいる奴は自分もその家族も何とも思っていない。秘密を知ったら消されるかもしれない。彼は不安に駆られながらどうにか自宅へ辿り着き、ドアを開ける。ここで、次のツイートが来る。

「おかえり」

 鉤括弧含めて6文字の短いツイート。発言者ほかを補足する情報は何もない。ここで読者は焦れ、そして考えざるを得なくなる。「おかえり」と言ったのは誰なのか。無事に家で待っていた妻なのか、あるいは彼を消しに来た刺客なのか、だとしたら妻はどうなっているのか! この焦らしのテクニックは、リアルタイムに小出しにするからこそ使えるものだ。実際のところ「おかえり」を言ったのは誰だったかは省略するが、私はこのツイートに当時かなり感心し、同時に、ここからの10分弱でかなり胃を痛めた。

 また、リアルタイムで本文が投稿される以上、その時間帯もまた重要だ。昼に読むのか夕方なのかで印象も変わる。以前は連載が深夜に及ぶことも多かったので、続きは明日読もうと思って寝てしまい、翌朝携帯でチェックしてホッとしたり驚いたりできるわけだ。国を支配する黒幕に反体制派のDJニスイとその義理の息子デリヴァラーが立ち向かう名エピソード「レイズ・ザ・フラッグ・オブ・ヘイトレッド」のクライマックス、ニスイとデリヴァラーが追い詰められたシーンで、さすがにそろそろ主人公のニンジャスレイヤーが駆けつけてくれるだろうと予想しつつ寝てしまい、翌朝に予想外の展開を見てひっくり返ったのは私だけじゃないと思う。

 さらに、「ニンジャスレイヤー」は携帯電話で読める。つまり、電波さえ入ればどこでも読めるということだ。これがでかい。そもそも、ものを読んだり見たりプレイしたりする時には、その作品の内容だけでなく、自分の精神状態や周囲の状況が割と大事だと私は思う。物語の印象的なシーンや台詞は、それをとりまく状況とセットで記憶に残りがちだ。休館日の図書館の前のベンチでホラー小説を読み終えた後、めちゃくちゃ恐怖感を覚え、つい人恋しくなって人混みを求めて駅前に行ってしまったりしたことはないだろうか? 僕はあります。

 どこでもいつでも読めるからこそ、「ニンジャスレイヤー」は読んだ場所と状況がセットで記憶に残る。色々あって疲弊していた時に電車で読んだ「ア・ニンジャ・アンド・ア・ドッグ」に笑わされ、少し楽になった思い出。この時期は、「ヒア・カムズ・ザ・サン」で必死に戦う主人公達にも勇気づけられた。また、それはもう長かった「ロンゲスト・デイ・オブ・アマクダリ」のエピローグ「ネオサイタマ・プライド」。これを読んだのは、久しぶりに実家に帰っていた時だった。市民の善意によって救われるヒーローの姿に、階段を降りながらホッと安堵したことを今もしっかり覚えている。

 例を挙げ始めるとキリがないし、とりとめもなくなってしまうので、このくらいにしておくが、要するにまあ、「ツイッター連載」という形式はかなり興味深く独特で面白いものだと思うし、「ニンジャスレイヤー」という作品はその特徴込みでユニークな名作ですよね、と言いたいわけです。これからも頑張ってください。