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笑いのシステムについて

今日から一週間、天満天神繁昌亭昼席に出演するのだが、最近楽屋に入る前は中之島図書館で過ごすのがルーティンになっている。
小難しい本を読むワケではなく、あまから手帖を相変わらずパラパラやっていると、数ヶ月前に友人と訪れた大衆酒場、新開地・冨月が取り上げられていた。写真はここの名物である「サンドイッチの中身」。卵サラダ、ハム、きゅうりがセットになっており、まさにサンドイッチのパン抜きである。これを肴に一杯目のビールを飲むと、昼酒の背徳感がやや薄れる。
さて、ここ数日、チャリや電車での移動時間や家酒をしながら、ずっと笑いのシステムについて考えていた。息の長い芸人の多くがパターン化されたシステムというのを持っている。ギタレレ漫談のピロキ師匠、漫談家のナオユキさん、「なんでだろう」のテツ&トモ、最近では漫才のミルクボーイもそう。ともすれば「ワンパターン」と言われるが、お客様はその芸を楽しみに会場に来ているわけで全然OKなのだ。
逆にシステムが作れないと永遠に時代にマッチした新しいエキセントリックなネタを作り続けねばならない。これには限界がある。いずれ枯渇するのは目に見えているからだ。
で、己もその苦しみはずっと味わってきた。なんとかシステムを作れないか?新しいワードをはめ込んでいったらネタが完成する、という独自のパターンを捻出できないか、と。
この2~3日でようやくその尻尾のようなモノを掴みかけてきた。こ、これはイケるんやないか、という独自システム。一週間あるので試してみようと思う。どうなることやら。

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