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完全になれない、完全にならない


久しぶりの投稿です。記事ひとつ書いたきり、下書きでいくつか書いたものの、アップしなかった。する勇気がなかった。
…そのまま一年半になります。

その間に、いわゆる「推しにハマる」という人生でも珍しいことが起き、影響を受け、心境が変わってきました。

恥ずかしいというか怖いというか、その不安を押し退けてアウトプットすることの大切さ。
自分にあるものを認めて、そのままを認めて、シェアするということが、何かいいことにつながるんじゃないかと思いまして。

何も大したことは書きません。思いついたことを、一生懸命書いてみます。
以下は、下書きしたまま放置されていた、1年以上前の記事です。ひとまず、やっと歩き始めた気分。



手仕事は、どうしても人の手のゆらぎが残る。完成度という目線で言えば、不完全さが拭えない。

でもよく見てみれば、有名な作家もの、古窯の名もなき名品なども、歪んでいたりする。そのいびつさが、かえって他にない良さに映る。

完全な円、完全な形なんて、工業製品の鋳込み商品だって難しい。

ずいぶん前に100円ショップで買ったガラスの保存瓶、買ってからハデな凹みがある事に気づいた。でも使っている。なんだか持つときにちょうど良く指がなじむのよ。(100円ショップなので歩留りが悪いと商売にならない、ありうる事)

欠点(?)があるものも、自分に合った使い方を探せばしっくりくるものがある。

曲がっていたり歪んでいたりするところが、なじみやすさに通じる。味わい、とか、他にない良さ、自分だけにわかる良さ、愛着。

それでもキッチリ作りたいと思ってしまう。手跡を残すのはもっと先。無駄のないかっこいい仕事ができるようになれば、手跡の勢いも気持ち良いものになる、と思う。無駄のない仕事ができれば、歪みも必然性をもつ。

まあそう頑張らなくとも…結局力をぬいて作るのがいちばんよ。そう、「力の抜けたものづくり」は、できそうでできない。しがらみにまみれた自分を解き放ち、やっとたどり着く境地かな。

不完全な人、不完全なもの、それぞれに、生き方活かし方があるのでしょう。今の世の中がどうあれ、全ての存在が生き生きと生かされる時代になりますように。



昨年も11月に野外販売イベントに出店し終え、さまざまな方々とお話ができ、沢山の収穫がありました。ありがとうございました。

2022年も数か月過ぎ、少し暖かくなりました。
新しいスタートを切る方々といっしょに、私も少し心をほぐし、肩の力を抜いて、粘土に向き合いたいと思います。