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アダルト・ヤング

無限は美徳ではない。webは字数制限がないからいい、配信ドラマは尺を気にしなくていいからクリエイティブに自由がある、あたかも無限が美徳のような言い回しに違和感を感じる。寿命が今よりもずっと短かった遠い昔の時代に、不老不死を求めた始皇帝はかえって早くに死んだ。こういうのはよくある話。絶対手に届かないところにあるからこそ憧れてしまうんじゃないか。そして、インターネットという世界の中で無限を手に入れてしまったこれからは、どんどん若返ることができるのかもしれない。

実際、不平不満をSNSで吐き散らかすのは子供と変わらない。我慢ができない人はそこでバランスをとろうとする。今はグーグルで検索する人が減っているという話も聞く。youtubeの関連動画で一方的に自分の好きそうなコンテンツをどんどん流してくれるそうだ。多分、SNSのタイムラインが時系列に並ばないこともそういうことなんだろうか。そのへんの仕組はよく分からない。生まれたばかりの赤ちゃんは呼ばずとも母親がミルクをくれる。赤ちゃんの視点になってみれば、ほぼ全自動で自分の欲を満たしてくれるのと変わらない。その子の中で不満があれば泣けばいい。そしたら後は親がその欲を満たしてくれる。一方的に入ってくる自分の好きそうな情報を取り入れているだけでは、赤ちゃんのそれと対して変わりはないのかもしれない。

僕みたいな素人でも自由に文章を書いてアップロードができる。いろんな工程を経て出版された読み物とは違って乱雑な文章があふれかえる。その一端を僕も担っちゃってるわけで、文章に限らず写真でも映像でもネットにあふれるコンテンツは全部そう。相対的に質も信用も落ちて、とにかくわかりやすいものが正義とされる。こうやって僕も頭の中に浮かんでくるよく分からないことを文字にして自分の中でバランスを取ろうとしている。

最近、instagramを辞めた。辞めたとはいえ僕もまだ大人になりきれていないというか、SNSを断絶するのにはまだもう少し勇気がいる。もういい年なんだけど。こういうこともネットでは言えちゃう。一応、いつでも戻れるようにアカウントを停止しただけ。そう。好きなときにいつでも戻れる。SNSのアカウントを消すとメンヘラ扱いを受けることがある。そう言われてしまうとあながち間違いではないのかもしれない。久しぶりに友達と会っても、ストーリーズでみた。の一言でコミュニケーションが終わってしまうような気がして、一旦、アプリからログアウトしてみた。一緒にいないのにその人の生活を見れるってなんか変な感じ。その人の生活の充実具合なんてどうでもよくて、そういうのを見て病んじゃったとかそういうお話ではない。その人がこの24時間以内に何をしていたかを見てみて、それを1週間見続けたら全行動を把握している気分になってしまってなんか気持ち悪いし、久しぶりにわざわざ会って話したいという気も起きない。今はそもそもそんなことできない状況だけど。あとは、もう見始めると止まらない。実際楽しくてしょうがない。SNSに時間を消費している場合ではない。他にもやることはたくさんある。instagramを辞めてちょっとだけいつもより時間に余裕ができた気がする。あとは他人に興味がもてるようになった。興味がもてるようになったのに、外で会えないのは少し寂しい。

2020.4.21

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