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メキシコ、パリ、シンガポール、東京。

10年以上前、メキシコで大きい規模のデモに巻き込まれた。暴徒化したデモ隊のせいで道路が渋滞していて、僕が乗るタクシーの目の前の車がターゲットにされた。鉄パイプのような棒や何かしら凶器になるものを持って、バンダナで顔を隠した男たちが車の上に乗ったり、ボンネットをボコボコにしたり、彼らの気が済んだら次は僕が乗るタクシーがやられるかもしれないという状況だった。タクシーの運転手が「降りてくれ」と言い出して、ただでさえ危険な状況の中、日本人である僕が外に出たら間違いなく殺される。チップもはずませるし、車から出たくないと言っても「降りろ」の一点張りで、覚悟を決めて降りるしかなかった。渋滞しているところは街でも比較的大きな幹線道路で、反対車線に移るには車を擦ってでも縁石を乗り越えないといけない。呆然と立ち尽くしかない僕の目の前で、タクシーはでかい音を立てて反対車線に移った。自分の身は自分で守らなければならない。タクシーはクラクションを鳴らして、反対車線から乗り込めとドアを開けて待っている。頭が働かないままタクシーに走って乗り込むと、縁石を乗り越えるには衝撃も強いし、目立って失敗してお客さんに迷惑をかけたらいけないという、本当に助けるつもりがあったのか、自分だけ逃げようとしたのか、よくわからない説明があって、それならそうと降ろす前に説明してほしかった。いや、正直なところなんて言っていたのかはわからなかったし、覚えてもいない。でも、衝撃がどうのというところまでは理解できた。そんなこんなで、ここで死ぬかもしれないと思った状況を乗り越えることができた。もちろんその運転手へのチップは弾んだ。車の修理代の足しにでもなっただろうか。

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5年前のパリではテロに巻き込まれた。アシスタントでパリの展示会の運営を手伝っていた時。パリでの業務も中頃、師匠に外国での業務を労ってもらうため、優雅にテラス席でフレンチを堪能していた時だ。爆破された劇場から2ブロックほど離れたところで、少し向こうの方から泣き叫びながら大勢の人が走って逃げてくる光景を目の当たりした。人があんな顔で必死に走っているのは、映画やドラマの画面の中でしか見たことがなかった。何が起きているのか全くわからないまま、僕らはそのレストランの中へと誘導された。すぐに外出禁止令が出されて、外に出ようものなら武装警察の怒号が飛び交う。ここからは情報戦になるのかもしれない。Wi-Fiのレンタルはしていなくて、高額のローミング覚悟でネットを繋いで、ひたすら何が起きているのか検索をかける。何時間も缶詰にされて現地のフランス人も痺れを切らしたのか、警察を振り切って外に飛び出す人が増えてきた。そのどさくさに紛れて僕も外に出ることにした。iPhoneのバッテリーはその時6%だった。そのレストランから自分が泊まってた宿までの道のりを頭に叩き込んだ。不謹慎な話、写真家を志すものとしてこの状況は記録しておかなければという、変な使命感を感じて、宿までの道すがら誰もいない街を撮り歩いた。ここでも僕は外国人扱いで、しかもカメラを持ち歩いている。それだけで警察に見つかれば肩からかかった機関銃を突きつけられて尋問を受ける。全身から血の気が引いた体験もこれが初めてだった。たまたまジャケットの内ポケットに展示会のスタッフであるExhibitorのバッジがあった。内ポケットに手を突っ込んだら撃たれるかもしれない。映画でよく見るやつだ。自分の胸を指差してそこを探るようなジェスチャーで乗り越えた。パリでも比較的大きな祭典ということもあって、なんとかそのバッジのおかげで解放された。

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次はシンガポールでのこと。3日程度で帰国する予定が1週間ほど延びて10日ほど滞在することになった時。当時の僕はまだ学生で換金したシンガポールドルはちょうど3日で足りるくらいの額だった。クレジットカードの上限額は10万円で、その月の自分の生活費の支払いと飛行機の当日キャンセル代と航空券の再手配で上限を迎える。滞在していた宿の延泊は次のお客さんの予約で不可能だった。手元に残る現金は大体1万円ほど。1泊1000円程度のゲストハウスを見つけてそこに泊まることにした。シンガポールの国土は大体東京と同じくらいの大きさで、タクシーでの移動が1番楽だった。そんなタクシーでの移動も節約しなければならないくらい緊迫していて、それでも手元に残った現金の使い方を工夫すればどうにかなった。

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アシスタントを卒業して独立して5年目になる。この5年のうちの3年間は借金まみれの生活でお金がないながらも楽しくやっていたし、1年目の年収なんて70万くらいしかなくて、いわゆる住民税非課税世帯に食い込んだわけだけど、その頃はそんなこともわからないまま借りた金でしっかり税金も払って、完済して今ようやく人並みの生活を送れている。生活していく上で多少の制限があっても正直、身ひとつあればどうにでもなるような気はしているけど、今はそんなことも言っていられないのかもしれない。

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4月からの改正健康増進法をきっかけにタバコを辞めようと思って5日が経った。結局、3日目の夜には手を出してしまった。この間、上司に呼ばれて喫煙所にいっても僕は吸わなかったし、3日は吸わなくても平気だと分かってから、逆にいつでも辞められるかもしれないなんて、変に自信がついて、今無理して辞める必要もないのかとか、結局タバコに取り憑かれて、この5日間頭の中がタバコのことでいっぱいだった。朝起きて30分以内に1本吸う人はなかなか禁煙できないときく。僕はそういうタイプではなかったのに、今朝起きると無性に吸いたくなってしまって、起きてすぐにタバコを買いに家を飛び出してしまった。明らかに普段の生活と何かが違う。禁煙中という個人的な生活レベルの反動といえば、実際その通りではあるけど、それでも、今街を歩けばいつもと何かが違うというのは誰でも感じると思う。僕はどちらかというとインドアなタイプなので、家から出るなと言われたら喜んで引きこもるし、苦だとは思わない。それでも、感じる謎の不安はタバコのせいだろうか。この明らかにおかしい静かな日常の反動がどれほどのものになるかわからない不安なような気もしてしまう。これは、ただ単に自分の意志の弱さで禁煙できないことを今の世の中の不安に流されているせいにしたいだけなのかもしれない。ふと、自分のこれまでのキツかった場面を思い起こすと、今回もなんとか乗り越えられるのではないかとも思ってしまう。

海外で経験したことも、ここに載せた写真もこの同じnoteのどこかの記事で書いている気がする。似たような記事を書くのも気がひけるのが、ふと思いついたときにnoteを更新するようにしている。また同じことを書いてしまうということは、ふと思う度に思い起こしてしまうくらいには自分の中に染み込んでしまった経験なのかもしれない。次に進まないととは思いつつも、この何度も思い出してしまうことの中から別の何かが見つかるような気がしてしまう。こうやって何度も自分の中で気が済むまで消費したら次に進めるのかもしれない。

2020.4.5


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