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下北沢B&B 嶽本野ばら×ヤマダトモコ×西野木ショーン 「拝啓 吉祥 寺の大島弓子さま」『大島弓子 fan book ピップ・パップ・ギーととなえたら』刊行記念トークイベントに参加しました(長いー) 後編

まずはお三方のご挨拶からはじまり、本の企画のお話に。
企画段階では「大島弓子パーフェクトバック」と銘打たれていたという話に笑いが。
また、この本の印象的な表紙の選別はデザイナーさんとヤマダさんが何気なくムックを見ていたところ決まったようです。あとでヤマダさんにお声がけさせていただいて、更にお伺いしたところ「どのフォントでもいける!」と思われたそう。確かに。

また編集のショーンさんは野ばら先生の作品で大島先生を知ったそう。
ショーンさんは男性の方だったのですが、乙女らしさも兼ね備えた方で、web上では女性と誤解されやすいとのことでした。

また野ばら先生も実はリアルタイムで大島先生を知ったわけではなく、綿の国星ブーム去りしあとにご友人から初期作品群を借りて知ったそうです。「苺物語」を電車で読んで、先にあとがきからラストを知ってしまい、その戸惑いのうちにも読みながら号泣して電車を乗り過ごしてしまったそうです。

ここでヤマダさんから、野ばらさんの、大島先生作品への「号泣できる哲学書」という形容はさすがだとのお言葉が。

だんだんと大島作品の登場人物へ話題が以降。野ばら先生によればピュアとは実は自己中心的であること、そこに魅力があるというお話。野ばら先生の最新作のラノベは「アイドルに期限がある」ということらしいのですが、そのあたりも大島先生の作品のテーマを汲んでいるようなところがあると。

野ばら先生の作品のお話もまじえながら話がすすむうちに、ヤマダさんがこんなことを。「ずっと残る作家さんは最初から懐かしい」と。

萩尾先生含め多くの少女漫画界の神を愛好するヤマダさんらしきお言葉だと思ったのですが、確かにそうです。ヒット作ではなく名作が今にも語り継がれている作家さんって、いつどこから入っても懐かしさを催させ、処女作からそれはそうであるような印象があるかもしれません。
今は新しい作品が一日に数え切れないほど生み出される時代。書籍に限らずネットや動画も含めたら新しいものは量産されている。でも、心に通じるものって「新しさ」ではなく「懐かしさ」ではないかとはっとしました。

それって、昔知っていたものを何年ぶりに見た、というような感覚ではない。自分がこのイベント前にちび猫のレシピ本をみつけてうれしーい! となったのは確かに懐かしさなのですが、初めて綿の国星を見たとき、それはまだ10に満ちるか否かのときであったにも関わらず、確かにその衝撃のうちには郷愁が含まれていました。それは、この作家さんはどうして私のことを知っているんだろう? 生まれる前の自分のことを知ってくれているんだろう、という生物的な感覚でした。

あれはもうトラウマとかカルチャーショックみたいなものではなく、本当に不可思議な懐かしさとしか言いようがない。

大島先生の作品群には世間になじめていない少女が多く登場すると言うお話になり、本人は無自覚だけれど、だからこそ、「体にきている」というお話にも頷けました。

それから、長続きする作家さんは一連の作品群が「輪になって完結するとファンは離れてしまう、けれど少しずつ(新しいものをとりいれながら)螺旋にしていけば」ついてくる…といった話も感動しました。


また、だからこそ作者の大島先生が社会的なわけがないというイメージをもたれやすいというお話も。

現状、大島先生とすぐ会える編集さんはほとんどいらっしゃらないそうです。ファンとの距離感がつかみにくいのでは? というお話になったのもそのあたりに秘密がありそうです。

初めて知ったエピソードとしては、大島先生が吉祥寺在住であることは有名ですが、実際に家を探される方がたくさんいたということ。また探せば見つかってしまうところにあったそう。

これは自分も思ったのですがエッセイ漫画「サバ」のシリーズから、先生のご自宅が推測されるような描写があるから、ですね…

実際に大島先生ともなると日々大量の郵便物が届くので、ポストのかわりに自宅前に明らかにご本人の字で「大島」と書いたポリバケツを置いていたそうです。それを発見して喜んでいた、見つけてしまった、と野ばら先生やヤマダさんはおっしゃっていて、参加者にも同様の体験をしたと手挙げされる方がちらほら。

そ、そうだったのか… 吉本ばなな先生もされていたとのこと。
そ、そうだったのか… そういえば、ばなな先生の作品も初期のものは特に大島先生の作品に登場しそうな男子が多い気がします。

今はもちろん移転されているそうですが、当時のセキュリティは今よりも甘くて、そういう時代だったんだろうなーと思いました。

大島作品は何故かひっかかるところがある、と語るヤマダさんのお話は女性視点であることからも共感しやすかったのですが、かつては人から聞きたくなかった大島先生の話を、あるときからころっとかわって、今はいろんな人から聞けるようになったとおっしゃっていました。

野ばら先生によれば、大島作品を共有することは自分の秘密を打ち明けるようなもの、といったお話も。

それから、萩尾先生などは特にオスカーなどキャラに憧れることがあっても、大島作品の場合は男子としてすきなのか感情移入してるのか判断できない雰囲気があると。

キャラ<作品の魅力 ということなのかもしれません。

また、大島作品のキャラと言えば、だいたい、お父さんが変! というお話に。確かに、大島作品に登場する大人はわけても父親にあたる人物が大概おかしなことを行っている。わりと不幸な父が多い。そして物語の読みはじめには父親が大切だと最初気付かないと。

そこから発展して次は大島弓子先生の「お父さんfanbook」をつくれば? という野ばら先生の提案に、すごくやりたいけど企画としては通るかどうか、どうでしょう…とマジレスするショーン氏に場が和みました。

ほかにも様々に面白い話題が出たのですが、覚書としてはこんなところです。正直小学生並みのメモで面目ない。だいたいの雰囲気でも伝わったら幸いです。

野ばら先生からはサインをいただいてしまいましたよ! わーい。B&Bでは買いたいものができたからまた行こうと思います。

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