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"私"として生きない働き方

また、noteを復活させようかな、なんて。
自分の名前でnoteを書くのは久しぶり。数年前のnoteは読み返せないほど自分がある意味純粋で眩しすぎたので、消してしまいました。

自分の今を言語化する

嬉しい、楽しい、面白い感情は、なぜそう感じるのかすぐわかるけど、悲しい、辛い、苦しい感情って、「なんでそう感じるの?」と自問自答しないと自分でもわからないんですよね。
自分が今、何に対して苦しいのか、悲しいのか考えないと答えが永遠と出てこなくて。でもそこに向き合う時間も、精神的な余裕もなくて、気持ちを言語化できないまま時が過ぎてしまう。
本当は気づかないといけない、SOSかもしれないのに。

”私”で生きていくことが辛い

「あなたがかなえさんね!」
と、地域で活動するようになってから声をかけられることが増えました。
決して悪い話ではなくて、みんな良い印象を持ってくれているから安心する部分もあるし、それはありがたいことだなと思います。
私に会いたかったと訪ねてきてくれる人も、共通の知り合いを辿って連絡をくれる人も、いろんな人が繋がってくれて嬉しいなと。

でもその一方で、どこに行っても”共通の私”でいなくてはいけなくなってしまって、段々と地域の中で動いていくこと、働くことが辛くなってしまいました。

私は人生の中で複数の居場所を持つことが大切だと思っているんですが、その中でもそれぞれの居場所に違う自分がいる状態が特に大切だと思うんです。
お姉さん役をする居場所、妹のように可愛がってもらえる居場所、刺激を与え・もらう居場所…
どこかの居場所が辛くなっても、別な場所に行けば違う自分になれる、それが精神的にも安全に過ごせる環境だなと。

地域で生きていくことが辛く感じたのは、どの場所に行っても違う自分になることができなくなってしまったからでした。
周りが作るイメージ通りに、期待通りに見せていかないといけないと感じることが多くて、それが辛くて。

新潟の私を知らない仲間たち

フリーランスとして活動を始めた頃、地域の知り合いに声をかけてもらうこともあったけど、ほとんど断っていました。
その代わりに、何社と落ちても応募していたのは、県外の仕事。
長岡を離れて生活することはできないし、大きく環境を変えることは難しいけど、フルリモートの仕事なら地方に住みながら働けるんじゃないかと、当時はそれだけが希望でした。

そして運よく受かった企業と、オンラインコミュニティで知り合った社長さんに誘ってもらって、県外企業との仕事を始めることができました。

どちらもいろんな業種の集まったプロジェクトチームに入って、それぞれの作業を進めていくような仕事。
年代も、住まいもバラバラ。ほかにどんな仕事をしていて、どんな趣味があってとか、お互いのバックグラウンドは知らない、特に聞かない、言わないような環境でした。
名前もニックネームで呼び合っていたし、つながっているSNSもたなかかなえの名前じゃないので、プロジェクトメンバーは私の名前も、どこに住んでいるかも知らないだろうし、私もメンバーの仕事以外の部分はほとんど知りません。

だからといってコミュニケーションが全くなかったわけではなく、良いモノは良い、悪いモノは改善点を言い合える関係性が常に維持されていました。

自分が生み出したものに対して、色眼鏡で見ずに成果物をだけを見て評価してもらえる、その環境にたくさん救ってもらっていました。

いろんな私が生きれる場所をつくる

やっぱり、いろんな自分が生きれるような居場所をたくさん持っておかないと、ダメになってしまうなと。

生真面目でしっかり者の自分がいてもいいし、弱音ばかり吐く自分がいてもいい。
いろんな自分を生かすことが、自分が自分らしく生きていく保険になっていく。

仕事も同じこと。
一つだけに絞ってしまうと、もしその仕事が、職場がダメになってしまうと、次を探すのも、気持ちも辛いじゃないですか。
今は転職もキャリアアップ、副業OKの企業も増えてきましたよね。
以前は考えられなかったフリーランスという働き方も選ぶことができる。
掛け持ちすることは、悪いことじゃない。
むしろ自分らしく生きていくためには、居場所も、仕事も、選択肢が多い方が生きやすい。


#仕事について話そう #フリーランス #働き方 #社会的処方 #居場所

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