20231109

 『コタツがない家』の最新話を観た。しばらくなぜこの番組を面白いと思っているのか、考えていたが、たぶん最近はあまり見なくなったファミリーものを懐かしむように観ているからではないかと思い至った。昭和、平成と核家族化、自由恋愛が一般化したことで山田洋二的な家族ドラマや、橋田壽賀子の渡鬼(渡る世間は鬼ばかり)的世界観が通用しなくなったことは間違いない。おまけにジェンダーに対する固定概念も軟化したことで、それこそ『きのう何食べた?』で描かれるような世界が受け入れられるようになった。それでも、それはここ数年のことでしかない。わたしがテレビを観て育った時代にはまだまだ家父長制が根強く残る価値観で番組は創作されていた。もちろん、それらの価値観を知らぬうちにわたしが内面化してしまっている危険性はある。『コタツがない家』はバリキャリの母親が主人公である一点をのぞけば、比較的典型的な核家族であり、そこに舅が登場することでまさに渡鬼をひっくり返したような世界観になる。うだつの上がらない夫に、将来を見据えられない一人息子、そして熟年離婚で一人になった父親。家父長的マッチョリズムから零れ落ちた男たちにわたしは共感しているのかもしれない。家族三世代が集まって悲喜こもごも、日常の諸問題に直面するその感じにノスタルジーを覚えているのだろう。しかし、彼らが脱落した分を母親ひとりが背負う今の状況をそのまま肯定はできない。これからの展開次第ではこの評価はどうとでも変化するが、いい方向にむかってほしい。

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