20230726

 最近、滝口悠生の『水平線』(新潮社)を読んでいる。硫黄島にルーツを持つ祖父の死をきっかけに小笠原諸島に赴く兄妹を導入にして、戦争前の若き祖父と島の人々の記憶を混濁させつつ語るという長篇小説だ。兄の方はライターとして、恐らく作者自身に一番近い境遇設定で、その思考の流れに違和感なく読めるのだが、妹の方が20歳のパン屋アルバイトという設定であるものの、思考が明らかに地続きで小説家のそれであるために少し違和感を覚える。三人称複眼視点で書かれた方がやりやすかったのではないかと考えてしまう。とは言え、面白いのは話を聞いていた人間が又聞きでの話を語るため、語り手がどんどんずれていくところなので考えた上での設定だったのだろう。同時に読み始めた、文藝八月号に掲載されている町屋良平の長篇「生きる演技」も配役を演じる登場人物と、普段の生活とが入り混じっていて、語り手が素で話しているのか、演技しているのか、曖昧になっていく実験的小説だ。芥川賞候補になった乗代雄介が自身のブログで語っていたように、小説の空間における会話をいかに描くかという技術をポストモダン以降、現代作家が試行錯誤しているというのは頼もしい限りだと思う。

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