30. 英検1級二次試験不合格で考えたこと
外国語は喋れることが大事だ。
通訳など、なまじやってみるとそう思う。
通訳のパフォーマンスが悪いときには、
「あの人、TOEIC○○点だってよ」
「英検1級持ってるのに」
と揶揄されている気になる。(妄想である。)
資格のタイトルに責任感を背負う。
プロ野球で例えると、「甲子園出場」や「ドラフト1位」といった肩書きより、育成契約なのに一軍で立派な成績を収めるほうにプロとしての本質を見る。
名刺代わりの資格は時に仇になる。
現場での良いパフォーマンスほど周囲を納得させられるものはない。
そんな折、3年前に初めて挑んだ英検1級二次試験。
既に合格済みの同僚はこう助言してくれた。
「よどみなく喋れたら大丈夫だよ。」
これまで、自分が話せないという自覚はなかった。
人前で話すことも苦手でない。
「運が良ければいけるかも。」
そうして挑んだ二次試験本番。
たどたどしいスピーチ。
2分に収まらなかった。
質疑応答も精一杯話した。
面接官2名双方の眉間にシワが見えた。
終わったあとは面接を終えたという達成感があった。
手応えはない。
だけど、受かっていたらいいな、と思った。
帰る途中、問題を読み間違えに気がついた。
「しまった!やらかした!」
冷や汗をかいた。
気持ちはひどく落ち込んだ。
この陰鬱な気持ちを抱えたまま、家に帰りたくなかった。
遠回りした。
途中で偶然見つけた喫茶店に入る。
雨は降っていないが、雨宿りする気分であった。
幸い、店内にお客は少なく、静かな中で思いを巡らすことができた。
「どうすればあの試験に通るのだろう。」
具体的な策がわからない。
スマホで検索しても欲しい情報は見当たらない。
珈琲を一口飲む。うまい。まだ正気だ。
落ち着いて考えると、真剣に勉強してなかったのではないか、と反省した。
短期間集中したところで合格できるわけがない。
学習をなおざりにしてきたツケが回ってきたのだ。
原因は自己に帰結した。
結果は、スピーチ4、インターアクション4、文法語彙6、発音6。
ぶっちぎり不合格だった。
「こんな情けない思いはしたくない。」
今の学習はこのときの思いに基づいている。
「スピーキング能力とは、4技能の集大成だ。」
そんな意見がある。
不合格の経験を踏まえ、私もそう思っている。
以降、スピーキング能力向上を意識して学習を続けている。
合格の画面をポストする裏に以上の出来事があった。
あの時感じた重い気持ちは、今でも学習意欲の原動力となっている。
私は「実力がついてから英検1級を受けよう」と思い、約20年を無駄にした。
「不合格より、挑まない不作為こそ敗者である。」
新自由主義信奉者ならそう言うだろう。
不合格は辛いが、マイナスではない。
心からそう思い、不合格画面のツイートに「頑張れ!」のパラフレーズとして「いいね!」を押す。
不合格で落ち込んだ経験が因果となり、現場でのパフォーマンス時の支えになっていると確信している。