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珠玉の稽古場

公演中止に後悔はないです。

全くないとは言い切れないものの、総体的に、全てをひっくるめて、後悔はあるかないかと問われたら後悔はないです。

「幕が開く」というのがゴールだとすると、志半ばで諦めざるを得なかったので非常に悔しい。けれど、「幕が開く」というのがある意味のスタートだとすると、稽古場は実験場としてスタートし成果を上げ、ゴールをしていました。実験としてはおそらく成功していました。あとはプルスウルトラ。もっと先を見据えていましたし、そして新たなスタートとして作品を見てもらうだけでした。

今日はその稽古場での物語。


1.

『Illya and Roy』の舞台稽古は2月2日から実質スタートだったが、前年の8月2日に本読み会と称してキャスト4人と集まって台本と向き合う時間を設けていた。ちょうど半年前。

そこではキャストのインタビューも行った。自分はどんな作品に出演してきて、どんな役が多かったか。この作品、このキャラクターにどんな印象を抱いたか。インタビュー動画はHPに貼ってあるので参考までに。

自分はどんな風に見られているか、自分はこの作品をどう見るかというのを明言してもらってから半年後。改めて作品に触れる。改めて自分はどう向き合うか。という作業を行ってもらうことになった。

キャストにはこんなタイプの人たちがいた。

自分がどのように見えるかを知っている人。純粋に人や台本と向き合うことが出来る人。表現の引き出しが多く、色んなアイディアを持っている人。常に俯瞰的で、意見を表明することは少ないけれど行動で結果を示す人。

生い立ちや環境、読んだ本触れてきた作品など、その人たちが歩んできた生き方で本の読解の仕方も演じ方も、行動原理も変わり、そしてそれは演出を行った僕も、そして書いた作品も色合いが異なる。

そこに美術・照明・音楽・衣装。今回はありませんが振付も、さらにそれぞれの趣向が混じる。この多彩な色を、どのように形作るか。


2.

主演俳優が別現場で1カ月空く為、稽古場代役を立てる。彼女はとても多感で、ただその内面に抱えた思いを外に出すのが苦手に見えた。

立ち稽古に入る前に、各シーン何が魅せたいかを共通認識で持つためにディスカッションを重ねる。演出する上で俳優とこの共通認識が取れていると「なんでそのアクトをしたか」という俳優の行動が分かりやすくなる。

純粋に役と向き合ってくれる準主人公の俳優は、役の行動原理、感情の流れを主軸に考えてくれる。色んな引き出しがあるヒールに近い役を演じてもらった俳優は多角的な視点で意見をくれる。「こういう風にも取れる」という提示が物語の違った未来や可能性を見つけてくれる。俯瞰的な俳優は、たった一言や行動に色々な意味を織り交ぜてくれた。

立ち稽古が始まってから更にアイディアが溢れていく。「この時もし振り返って目が合ったら、どんな思いになるか」「この言葉を立てると相手はどう受け取るか」シーンを切り取っているため、より感情的であったり、より何かが動くものを採用する。もしくはそのシーンで何かが動かなくても布石になるように。そんな中、

「この言葉に違和感がある」というのが一つ問題になる。


3.

俳優は「そのセリフが出るように感情の流れを持っていく」作業というのを行う。簡単な例で言うと怒る為にここまででフラストレーションを溜めておく、とかこのきっかけをトリガーにする。など。しかし、その感情の流れに無理があった場合など、つど演出とすり合わせを行う。この役作りでいくとここでこの言葉は出ない、違和感がある。と。

今回問題に上がったセリフはこの一文の中のセリフである。

イリヤ:これでよかった。これで。君はパン屋の娘と幸せになっておくれ。・・・とっくに捨てたと思っていたのに。王子として育てられたあの日々で、私は男になった。ウィルが生まれてからも私の心は男であったはずだ。なのに。ロイ・・・。私の中のどうしようもない性が君を求めてしまう。私は・・・。」

”私の中のどうしようもない性が君を求めてしまう。”

主人公のイリヤという女性は、男性として育てられてきた。しかし、ロイという少年と出会い、仲良くなっていく過程で、ロイから異性の子が気になっているような発言が出ると、イリヤは心に渦巻くものを感じる。

別のシーンでロイと自分の隔たりを感じて言い合いになったあとに、この言葉が零れる。

設定が17世紀の為、男性、女性がはっきりしているという解釈はできる。現に「女だから王位を継げず、幽閉されている設定」になっている。しかしこのセリフには「女性だから男性を好きになった」という解釈が出来てしまうというのが現代を生きる僕たちには無視できない問題だった。

主演の俳優から「このセリフがモヤモヤするんです」と顔合わせの前に連絡を受けて、その時に「女なんだ、と自覚してしまったから」と問題となっていることとは別の、動機部分を説明をしたことで腑に落としてくれようとした。しかし、代役に立ってくれた俳優が「女性だから男性を好きになった、というのに違和感を覚えてるんです」と腑に落ちない姿を見て、ここは腑に落としてはいけない問題かもしれないと感じた。話し合ってチームで答えを見つけ出す必要があると。

そこから話し合い、皆の意見を貰い、自分が書いたときの考えを伝え、皆が納得し、お客さんも腑に落ちるような結論を考えた。この話し合いはとてもとても有意義だった。

このシーンで、チームが導いた答えはこうだ。

≪誰よりも女性性に固執しているのはイリヤだった。このシーンも自分が女性だからロイに惹かれてしまった、と決めつけてしまった。しかしラストでイリヤは男でも女でもなく、ただのイリヤとしてロイを愛していたことに気づけた≫

演出がこう演じてほしいと伝えるよりも、俳優たちがその答えにたどり着いたことがとても大きい。演出はどうしても力を持っていて、行動を制限する権限があってしまう。「このように見せたいからこのように動いてくれ。ここで止まっててくれ」という指示を出してしまう。そうすると自発的に行った行動よりも納得が薄い。行動原理が弱くなる。だからこそ、この答えは強い。明確にこう魅せたいという共通認識が取れているから行動も思考の流れもはっきりと見えた。

4.

稽古が進むと色んな発見や見解の違いが出てくる。今回の稽古場で生まれた中で大きかったのは≪距離感≫である。

僕は、基本的に人と一定の距離感を保っている。踏み込み過ぎて、或いは踏み込まれて自分が巻き込まれることを嫌がっている部分があった。その為、しばしば役同士の距離感が近いと、近いと伝えてしまう。

もちろんそこに演出的、ミザンス的要因もあったけれど、多分僕が人と距離感が近いと違和感を持ってしまうからもあったと思う。近いなあと思った俳優は、感情が上がっていくと近づいてしまう。むしろ近づくことが自然だという。僕は感情が上がるとむしろ人と距離を取ろうとする。距離を離すのが自然だと思う。ここのすり合わせが難航した。難航したというか、僕が当然と思っていたことが、その俳優とは食い違っていたからだ。

実際、感情的になって、相手を付きまといながら言葉を発するアプローチは存在するなあと後々思う。

結果として、僕は演出として動かないことをしてもらった。

構図の美学があったからもある。近づくと色が混じるとも思ったし、近いと二人だけの世界になってしまう。二人の距離感を離すことで、エネルギーをより相手に飛ばす必要が出るし、個々がしっかり際立つ。更にお客さんも含めて二人の問題に関わってもらえる。更に動くことで存在がブレてしまう。止まって言うからこそ、言葉に集中できる。そう思った。

今こうして文字に起こしてみると伝えたいことがはっきりしているが、稽古場の即興的な場面で、こうも理路整然と伝えられはしなかった。対話するときにはどうしても感情が混じってしまうので、冷静に「こういう効果が見込めるから離したいの」とは言えなかったように思う。演出はその場で生み出す想像力も、対話力も、俳優がワクワクと演じてもらうための話術も必要なんだと知った。家で悶々と考えているだけではダメだった。

距離感が人それぞれ違うというのを知ってはいたけれど解釈やプレイングにも大きく影響するということに気づけたのは宝物のような発見だった。


5.

まだまだ稽古場では沢山の発見があった。俳優がセリフを言っている瞬間から役が話しているように変わった瞬間は鳥肌だ。生まれた、と思った。相手役から感情やエネルギーを貰うのが上手い俳優が、相手役が自意識から解き放たれて役になった瞬間に、更に飛び上がっていく姿には口元が半開きになってにやけた。こんなすごいもんが見れるとはと思った。

成長の過程というのは完成とは違った面白さがある。稽古場の姿を見てもらいたいとも思った。しかしそれは見世物にしてしまうときっと別物になってしまう。閉じられた中だからこそ向き合えているのかもしれない。



公演が中止になってしまったことに後悔はないです。

稽古場で珠玉の芝居を見ました。僕にとってはとてつもなく大きな財産になりました。

そしてきっとここで生まれたものは公演という形で今回はお披露目できなかったのですが、必ず繋いでいきます。そして、このタイミングだなと思ったときに改めて再集合致します。もしかしたら4人芝居ではなく、今回登場させなかったキャラクターや、描けなかったシーンも交えて、更にグレードアップさせたものになるかもしれませんが、これは面白い作品だと胸を張って言えるので、ぜひその時にまたお知らせ致します。

今回製本した脚本などを販売をする予定です。また稽古場で感じたことなどをまとめた演出書き込み付きの台本も別に販売します。まっさらな脚本で読んでもらった後、演出書き込み付き台本を読んでもらったらきっとより楽しめるかと思います。稽古場で何を思って何が生まれて、どう飛び立つのかということを想像して読んでいただけたら、いつか行われる舞台ももしかしたらよりワクワクと楽しめるかもしれません。

この作品を上演してくださっても大丈夫です。その場合はぜひ一報ください。他のチームがどんな解釈をしてくださったのか、ぜひ見たいのです。

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