11月雑記

対人援助という仕事のおもしろさはたぶん挙げたらきりがないほどあるけど、今日気づいたのは、頻度はまだわからないけど何人かに一人、相談者に自分の片鱗を見ること。この人はわたしの延長線上にいるなぁと勘付いてしまうと、自分のやばい部分が生きてる相手として具現化してるようなものだから、(あーその言動やっちゃうのわかる、私はギリやばいって気づいてやんないけど、あなたはそれ気づけるネジがいま外れてんだね、、)みたいな見方になる。もちろん同一視はよくないから慎重にやるけど、頭ん中が主観と客観の汽水域みたいな、わけわかんなくなりそう。気を確かに。


生活や人生で何かに困り果てている人を相手にしていると、たまに自分の言動によってその人に小さくてもカタルシスが起きることがあって、そういう時はこれが相互作用か!!!!!!とじんじんくる。この人を今この瞬間だけでも少し楽にできたという実感。そんな大事なことだけじゃなく、わたしと話して楽しそうだったとかも相互作用。
なぜわたしはそれがうれしいのか?身の回りの友人では飽き足らずなぜ見ず知らずの人にやるのか?
がいまいちわからなかったんだけど、一つは、わたしは昔から母以外の他者との相互作用に飢えていたのかもしれないと思った。思えば親戚と交流がほぼなかったからおじいちゃんやお兄ちゃんお姉ちゃんやちびっ子に慣れてなくて、最近はそんな感じのばっかりだから新鮮で楽しいのかもしれない。
学童みたいなこともやっていて、今日はいつもナマイキな6年生の双子と距離がちょっと縮まったシーンがあって、うれしくて何度も反芻した。
小さい頃は激しく人見知りだったから、学童みたいな場所でも大人はたぶん構いづらくて、でもわたしは壁を破ってきてほしかったのを思い出した。好ましい反応が返ってこなくても、壁を破ろうとすることはやめちゃいけない。子どもは見てる。

自意識が<大人>になることなんてしばらくないんだろうなと思ってたけどすんなりそっち側に来てしまった。この子らを守るぞと思ったら大人だった。大人になったからってなんてことはなかった。

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