社内で叩かれまくった時のハナシ その1

時代を先取りし過ぎたゆえの悲劇

 今はフリーランスのオッサンにも真面目なサラリーマン時代というものがいくつかあって、プライム上場企業に入る前のまだ小っちゃい場末の独立系SIに居た時のハナシを書こうと思う。

 オッサンは、転職歴で言うと履歴書1枚に書ききれないどころか2枚目の半ばまで突入するレベルのヤバイ転職回数があるが、全く問題なくプライム上場企業(しかも年功序列バリバリの古い体質)に入れてしまったりするので、この経験を元に言うと転職回数や、年齢なんてものはお飾りに過ぎないと思ってる。ヒトののめぐり合わせとタイミングなんだろう。

 オッサンが経営者や採用担当者だったら、こんな奴は絶対に採用しない。問答無用で書類選考で落とす。

放り投げられた案件

 小さい会社がひょんなコトで請けてしまった案件があり、その時、オッサンはちょっとした病気で長期休養を貰っていた。この病気が前庭神経炎という珍しい病気なのでどこかで書きたい。某企業で常駐している時、エレベーターに乗っているといきなり発症した。大企業のオシャレな建屋のキレイなフロアを匍匐前進というか、四つん這いで移動することになったハナシは多分、涙を誘うだろう。笑いの。

 復帰に少し時間がかかったものの、リハビリとして最初にやった仕事がこのひょんなコトで請けてしまった案件のPMだった。小さい会社なので、社長がフロントに立ち、技術部門のトップがプリセールスに入りという万全の体制で受注した案件だったのだが、あんまり深く考えてなくて請けたんだろうな。流行のそれっぽいアーキテクチャが書かれたプレゼン資料を後で見せられたが実装については1ミリも考えられてなかったんだと思う。

 要件定義でつまずいた。

 技術部門にはギーク(大学職員のハナシを参照して欲しい)がいて、社長とギークがバチバチにやり合っていて、ギークの相手をするのが嫌になった社長が復帰したオッサンをあてがった、というのが真相である。オッサンが入った時点で技術部門のトップも抜けてしまった。やっぱり嫌だったんだろう。

 社会不適合者2名体制で案件スタート。期間5カ月10人月。
 12月の中頃のハナシである。

要件定義書や設計書というけれど。

 オッサンとギークは、大学の頃からの付き合いで、システム開発の考え方は学生の時の20年以上昔の当時のまま、プロトタイプ原理主義者と言われてしまうようなヤカラである。もっというと、「UNIXという考え方」と「マスタリングTCP/IP」を10代の青春真っ盛りにタバコと共に叩き込まれ、半田ごてを片手に電波暗室に篭り、SUNの中古ワークステーションを家に高く積み、足りないドライバを書き、動作するコンパイルしたカーネルサイズの小ささ選手権で競ったような筋金入りである。こんな10代の学生は純粋に気持ち悪い。

 動くモノを出来るだけ早く作成して、お客さんに触ってもらってフィードバックを取り込んでいく。リリース時には、新規の機能を盛り込んで、さらにフィードバックを加速させる。
 文字にしてみて思った。あれ、どっかで聞いたことあるな。でも、これ20年以上前からやってるんだよな。

 オッサンとギークはモックと呼んでいたんだけれど、このモックを1カ月程度で開発した。ちなみに、モックを開発していた間の進捗は見かけ上は全くない。設計書も全く埋まっていない。
 お客さんとの週次定例でやっていたことは、ひたすら意見を聞くことでまともなアウトプットもなかった。その意見を聞いてメモ書きレベルの要件定義書をでっち上げて合意をとりつつ、裏ではモックをひたすら開発する。

 アウトプットが全く出てこなくて、不安になったお客さんが、社長にご相談をした結果、オッサンとギークは社長につるし上げられてしまうのだが、その理由が設計をちゃんとやっていないのになぜ開発が出来るのか、ということに端を発していた。

 請負である以上、非常に正論である。

 が、オッサンとギークにとっては、意味が分からないハナシになる。世の中にない仕組みを作る以上、原理試作(これが、SI絡みのシステム屋には理解して貰えない)を作らないと検討できないのに、どうして、設計書が書けるのかが分からないと、喰ってかかってしまった。
 途中まで開発したモックを見せて、実際に動作させて見せてもどうしてそれが正しいモノであるのかは社長には理解して貰えない。社長の頭の中にはおそらく設計書を元にしたシステム図があったのだろうが、それとあまりにもかけ離れたツールをいくつか組み合わせたシステムの実態との乖離がひどかったのだろう。
 ツールでは機能が足りなくてその機能を追加で開発した。(ansibleとかいう例のあのツール。なんであんなにザルいのか

 この開発順序の違いがしばらく続き、社長が匙を投げた。
 もう勝手にやれと。

 ギークは「わかりましたー」と言って返事をしていたのだが、オッサンはあの満面の笑顔を20年以上の付き合いで初めて見た気がする。
 社長の投げやりなGOサインで、オッサンとギークはさらに独自の道を歩み始めてしまう。

超高速スプリント

 オッサンとギークは、今でいうアジャイルのスプリントを1weekで回す速度で開発を進め、システムの機能は徹底して細分化という方針の元、お客さんとの週次定例では毎週新しい機能が次々と実装されお披露目されるというサイクルで進んだ。お客さんからすると、設計もまともに出来ていなかったはずなのにいきなりモノが出てきて驚いたんじゃなかろうか。でも、実際に機能は貧弱でだが動くものが目の前にあって、触ってみた時のフィードやバグの指摘を貰い、次の定例までに修正して、新規機能と一緒にリリース。最初は貧弱だったモノが1週ごとに機能が拡張され、バグが修正されていく。そんなプロジェクト進捗状況に、開発しているこちら側よりお客さんの方が温度があがる。そりゃそうだ。毎週、モノが出来上がっていくのを見ることが出来れば楽しいに決まってる。しかも、それを動かしていいっていうならなおさらだ。

 月 新規機能開発 指摘事項修正版リリース
 火 新規機能開発
 水 新規機能開発+レビュー 新機能仮リリース
 木 お客さん定例 指摘事項修正
 金 お客さん確認 正式リリース 指摘事項修正 設計書作成
こんなサイクルだったと思う。

 お客さんに機能を触ってもらって合意をしてリリースしたものを設計書に落とし込んでいくという逆サイクルなのよな。
 なんだかんだやって、5カ月あるうちの3カ月程度で、新規開発の要素がなくなってしまいお客さんのフィードバック待ちという状況になってしまった。平たく言うと、開発が終了してしまったのだ。自動的に設計書も完成してしまい、やることがなくなった。

ここからが本当の闘い

 お客さんに触ってもらいながら開発をしていたため、認識の齟齬などほとんどなく、週の稼働が定例参加10分というフザケタ状況になってしまった。開発したそばからお客さんに触ってもらいフィードバックをもらって修正をかけていたので、バクなんかもないのよね。
 契約書に毎週定例を実施する、という記載があったためどうしても履行しなくてはいけなくて、5分や10分で終わる打ち合わせのために木曜日は電車に乗って客先に顔を出した。ヒドイときは椅子に座る前に定例が解散になったこともある。
 そして、その足で喫茶店により高校野球や相撲なんかをタバコを吸いながら見て1日潰したり、有休を消化しまくった。

 じゃぁ、他の仕事をやればいいじゃない、という意見もありそうだが、小さい会社なのでやれる案件もなかったし、手伝うと会計上、原価の問題が発生するのか手伝わせてももらえなかった。関わらせたくもなかったんだと思う。設計がー、なんてウォーターフォール的な開発手法からは全く外れていたし社内でこの開発方法を支持する人間もいなかった。好き勝手にやっていいって言われたしな。
 
 暇なので、椅子に座って動画を見たり、漫画を読み、喫煙所でタバコを吸い、隣駅の弁当屋で昼食を仕入れ、あげくには軍人将棋の中将と軍旗の有用性で喧嘩をしはじめ、本当に好き勝手にやっているオッサンとギークを見ては社長や他の社員から嫌な顔され社内に居場所がなくなっていった。何をしてても売り上げが出ているので誰も文句を言ってこない。こんなボッタな見積もり作ったのは社長なのでやっぱり誰もソコに文句を言えない。

 最終的に喫茶店で時間を潰しているのをお客さんに見つかってしまい、毎週定例に来てもらうのが申し訳ない、という理由で検収が早まり無事納品された。結構な売上になったはずなんだけれど、社内で祝ってくれる人は誰もいなく。

間違っているが正しいとも思う。

 このハナシは、システム開発のアプローチには向き不向きがあるというだけで、オッサンとギークが出来るエンジニアであると主張したいわけではない。たまたまこの案件では、このアプローチが適切だっただけで、リスクが高い請負でこの方法をとったことについての申し開きは何一つできない

 お客には喜ばれたけれど、身内には全く褒められなかったなぁ。

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