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恋はしたいけど、破滅する未来しか見えない

昨年末に彼氏と別れてから、私はほぼ14年ぶりに「誰とも付き合っていない状態」になった。今まで恋愛に依存していた私にとって、「特定の誰かに恋をしていない」というのはとても新鮮で、とても不安定である。

SNSで知人の幸せ投稿を見たり、薬指の指輪を見たりして、勝手に傷ついて「このまま一生恋愛せずに生きていくのかしら…」としょんぼりしたりもするけれど、じゃあ結婚したいか?羨ましいか?彼氏できたら幸せか?と聞かれると、素直に「そうね!」とは言えない。

一人になって冷静に今までの恋を思い返してみたら、「私が」「相手と居るのが嫌になって」「別れを切り出す」ことがほとんどだな、と気づいたからだ。しかも大抵が3年単位。義務教育かな。

純粋に恋に落ちたことも、寂しさを埋めたくて付き合ったことも、恋人を作るために恋していたこともあったけれど、そういうことを全部ひっくるめて、根本的に自分自身の何かを変えないと、誰と付き合おうが変わらないんじゃないかなとこの数年で私は気づいたのだ。とてもえらい。

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書籍を読んだり、カウンセリングを受けたりして、自分がアダルトチルドレンであること、そしてHSPであること(毒親×HSPの掛け合わせは負の連鎖を生みやすいそう)と向き合っていくうちに、「恋愛に依存していた」(家庭での問題から目を背けるため、父からの虐待で受けた傷を癒すため)状態とは別に、もっと根本的に、分かったことがある。

「どうやら私は他人との心の境界線が薄すぎるらしい」ということだ。

これは恋愛だけに留まらない。特に疲れている時に顕著になる。相手の感情が自分の中に流れ込んでくるのだ。悲しみなら悲しみが、喜びなら喜びが、自分の中に浸透して勝手に共感してしまう。そしてこれは、親しければ親しいほど浸透しやすい。正直、めちゃめちゃ疲れる。

境界線は壁、とも言い換えられる。本来やすやすとは超えられない壁があるから、人は他人と自分の感情を分けて考えられる。依存しなくて済む。はずなのに、何故か私の壁は5mmくらいしかない。もはや壁ですらない。

私は今まで「好き」あるいは「(自分の存在価値を確認するために)この人を救いたい」という気持ちだけで相手と付き合ってきた。そこに「この人といたら居心地がいいな」「相性が合うな」「価値観が合うな」「話していて楽しいな」「ずっと一緒に居られるな」という「自分にとっての心地よさ」には、目を向けてすらいなかったなと思う。

境界線が薄い故に相手(彼氏なら尚更)の感情が入ってきやすく、しかもその感情は自分にとってプラスのものじゃない。かつ、自分の存在価値を確認したいから相手に気に入られようと振る舞って、結果的に勝手に疲れてしまうという。

そりゃ続かないわな。「一緒に暮らしたい!」になるわけもない。自分の内面を保てない生活、楽しいよりしんどいが先に立つもん。

恋自体は楽しいし、またしたいなと思うけど、今のままじゃ同じことを繰り返すだけで、それはとても苦しい。だから少なくともこの一年は、居心地の良い人となるべくたくさん会って、話して、笑って、境界線を少しずつ濃くしていこうと思う。焦らないように。がんばる。

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